誰かに届けたい『痛み』の創作、本当に届いているの?届くの?わからない。虚しい

猫嶋です。いつも読んでくださってありがとうです。
あまりお礼やお返事を言う機会がないですね。


自分は元々空っぽの自分を絵の評価で埋めようと藻掻いてた人間です。
というかそっちの時間のほうが長かったです。
10年のうち、7年ぐらいはそうでした。

それが、絵への想いや誇りが芽生えて、本気で純粋に絵を描くような創作者へと純化していきました。
そして現在に至ります。


ただ、純粋さをまっすぐつき進む上で、私の「周囲の顔色を読んでしまう」性格がべらぼうにストレスになりました。
のびのびやりたくて個人サイトにメインの活動場所を変えたんです。

広い場所で、自分の性癖をダダ漏れさせるのも、無性に恥ずかしいというか、ストレスなのもあったし、
周囲に絵かきさんがいっぱい居ると、影響されすぎてしまって、自分の描きたいものがわからなくなってしまうこともあった。

と色々挙げましたが、一番は
「絵への依存が大きくて、上位互換の存在に耐えられなかった」
とか、
「Twitterで人と上手くやれない」
っていうのが、もっとも大きかったです。



で、最近、個人サイトという自分の城を構えて、自分の大好きなデザインにして、楽しく創作していました。
それはそれでとても満足しているし、最近嫌がらせ対策に付けた解析で、意外と人が来ていることもわかった。
(お絵描きJPというサーチに登録しているので、そこから一定の流入がある)

ただ、ふと思ったんです。

「私の創作って、ちゃんと人の心に、痛みに、届いているんだろうか?」

って。



絵には(少なくとも自分には)2種類あって、

  • 描く行為自体を楽しむ、「自慰」的な行為(自分だけで完結して満足する)

  • 想いを絵にして託す、「手段」としての行為(伝えたい相手に伝わると、報われる)

個人サイトは上の
「自慰的な行為」
としてなら、充分に効力を発揮してくれました。


おかげさまで、好きなものをのびのび描けているし、0ブクマを叩き出せるような所謂「駄作」も、pixivにポンと投稿できるようになりました。
以前はいかに人の目に留まれるように描けるか、武装しまくっていたものです。

で、2つめの方は、
「受け取ってくれた」他人の存在が不可欠なので、
個人サイトでは受け取られているという感触がなくて、虚しさが出てきてしまったんだろうなって。


いまは心身の不調とか、時期的なもので一時的に創作への熱量が下がっています。

ので、普段はここまで意識に上らずに楽しく絵が描けちゃってるんだけど、
今日はこうやって立ち止まってしまったんだろうなと思う。


孤独感。
創作者は孤独感がついて回ると言うけれど、これがそうか。
辛いな。


でも、自分はきっとマシな方ですね。
一応流行りっぽい絵柄だし、創作BLは需要も多い。エロもあるので尚更需要は足される。

だから、見えてないところで、たぶん人は私の絵を幾らか見てくれているという感触はあります。幸いなことに。


ただ、そうだな…。
そういう「スナック菓子」のような美味しい絵を人前に押し出さなくなって、心の苦しみを表現して昇華するスタイルを、人の目の多いpixivで見せるようになりました。

そして、そう方向転換をしだしてから、一気にpixivでは反応が途絶えたんです。
悲しかった。



まあ、当たり前のことだと思うので、怒りとかはあんまり持たずに済んでます。
みんな可愛いキャラや面白い話を消費したいはずで。

画力とか表現力が足りてないとか、まだ始めてそんなに経ってないとか、それもあるし、
痛みを乗せた創作って、そもそも万人受けじゃない。



苦しみを汲み取る労力とか、そもそも興味がない、波長が合わないと思う。
とくに病んだものは、健康的な精神の人は「無意識が危険信号を発する」ので離れていくんじゃないかなって。

「病気の人、弱ってる人、普通っぽくない人と関わると危ない」という本能があると思うのです。
(これはただの憶測だけど、そんな気がしています。)


私の「痛みの創作」に関心がある人は、
(現時点で反応が少なすぎているかわからないけど、)
同じ心の傷を抱えていて救済を求めている人とか、共鳴してくれた人だと思う。

こういう作風は、受取り手の数はぐっと少なくなる。
ただそのぶん見る側のファンの層が濃い。これは代え難い幸せだ。



このnoteも、赤裸々に自分の暗がりや痛み、創作への強い想いを発信しているから、だんだん近い人達が集まってきてくれました。

継続していけば、繋がりが繋がりを呼んでくれたりして、さらに集まってきてくれるかなあと、期待をしています。


ただこれは、ネックもあって。

発信者が膨大なこの世の中では、私のしてる「痛みの創作」って、かなり見つけてもらうのに時間がかかる類のもの。

見つけてもらうまでに、心が折れてしまわないだろうか?今日みたいに心が弱った日は、そう思ってしまいます。

万人受けするジャンルを描いていた頃といまでは、数字が圧倒的に違う。
でもね、濃度も圧倒的に違うのです。だから、数字の比較は無意味で、それぞれ別のもの。
私はこれからも「同志に向けた創作」を作り続けるだけなんです。

続けるんだよ、私。見つけてもらえるまで、ずっとずっと続けるの。
10年後に現れた人が「見つけたのに、もう居ないんだ、遅かったんだ」って悲しまないように。続けるんだよ。


ただ、今日は虚しさを、ちょっとばかし零させて欲しかったのです。
読んでくれてありがとう。




(絵描きかどうか関係なく、みんな苦しいことを抱えて生きている。

みんなから、一瞬でも心の痛みが消えたらいいのにな。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?