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[24-02] : Preface

中学・高校・大学と一緒だったTと、昨年、再会して以来、しばしば連絡を取り合っている。

やりとりは、大抵は断続的で、かつ交わされる内容も概ね断片的で取り留めがない。だけれど、当時は全く考えていなかったような話題で、不思議と、お互い、頷くことが多く、(時に奇抜な)彼の着想や行動は、面白く、興味深い。

そんなTとの間での、所謂「ラリー」にて、最近、話題に挙がっていたのが「日記」のこと。

他人に開示するかどうかは別として、日記は自己について言語化する営みだけど、日常行為として、誰でも気軽に行うことができる。

私も、しばしば日記を綴る。とは言え、これまた非常に断続的で、平気で数ヶ月、場合によって1年以上、筆を執らないことがある。

中身だって、断片的で取り留めがない。(でも、日記なんて大抵、取り留めが無いものだろう)

ブログが流行っていたころは、インターネットに載せたりもしていた。SNSで日記代わりに記録をつけていたこともあるが、最近はアナログに戻っている。

ともあれ、日記というのは、今という時間を筆先に乗せて、記録すること。で、後でそれを眺めると、たまに面白かったりする。

日記のことを考えていて、過去に海外旅行をしたときに残していたノートを、この間、掘り出したのを思い出す。

大学院で胡乱なモラトリアムを過ごしていた頃。「修士論文のための現地調査」と称して、タイ・ラオス・カンボジアの3カ国を1ヶ月程、ふらついていた。

論文のテーマは「メコン河の水利用に関する国際関係について」みたいな感じだった。

メコンは中国、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムという5カ国を流れる国際河川。

上流(有利)ー下流(不利)という、水利の不平等さをどう協調し調整して行くかーみたいな話だった。

メコンの水は、農業用水としても大量に利用されており、農業にとって水利は死活問題。

ー何にしても、凡そ、わたしのちっちゃなポケットには大きすぎるテーマだった。

最初の日付を見ると、2002/6/28(金)。

22年前の夏。(曜日もたまたま今年と同じ)

当時の自分は、将来、自分がどのように過ごしているかについて、考えていたのか、考えていなかったのか。おそらく、先のコトなんか、全く考えてなかったのだと思う。そして、それは、ある意味、善いことだったのかも知れないと、「今、ここ」の私は思う。

ふと、気まぐれに、考える。当時の自分が全く想像していなかった、22年後の生活と、当時の記録を併置してみたらどうだろう。

多分、「どう」も「こう」も無い。何も起こらない。画期的なケミストリーも、実務的なコラボレーションも、何ら発生しない。それで良い。

22年の歳月、4千数百キロメートルの距離、日常と非日常。その彼岸と此岸を、「日付と曜日の符合」という、一本の細い線を頼りに、7/25(木)まで約1ヶ月、只々、淡々と繋いでみようと思う。

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