日常:戦闘描写にエモさをのせる事を考慮する
戦闘とはエゴの衝突であったり、あるいは不慮の事故めいた結果だったりする。物語としては如何なる感情の元に生じたいさかいなのかについて重点したい。
よう、兄弟。俺だ。
前にも書いた通り、パルプにおいてエモーショナルな表現は欠かせないものだ。今日はその中でも、戦闘と情動を如何に重ねて表現するかについて考えたい。
ある程度小説や文筆作品を読む方なら、事実の描写と心理の描写は全く乖離している訳ではなく、デジタルイラストのレイヤーめいて時に分離、時に重なり合わさって表現される事について何となく感じているのではないだろうか。
この時、登場人物の心理を感じ取れる様な描写が減れば減るほど、あっさりとした事実を列挙する様な表現になると俺は考えている。
だが、事実だけをつらつら並べ立てる表現だと個人的にはややエモーショナルな要素に乏しくなるとも推測している。もちろん、そういう乾いた心理を表現するためにあえて事実だけを押し並べる手もありだ。
ただ、名バトル、名戦闘シーンと語られる内容は俺が把握している範囲では人間の意地と意地が衝突していることがはっきりと明示されていることが多い。一体どうすれば自分で書く時にそれらの名シーンめいたインパクトのある内容に出来るか昼の間に考えていた。
そこで、パッと思いついたのが、戦ってる者同士で戦闘描写に合わせて『口論』を重ねる事だ。ただ戦闘描写を書き連ねると上記でも書いた通り、ともすれば無味乾燥な印象にとどまる。
一方で、攻撃が衝突し合うたびにお互いの激情を口論によって重ねることでより戦っている者同士に戦わなくてはならない事情がはっきりと明示されるのではないか、と考える。
実際、映画でも漫画でもアニメでも、印象に残るバトルはキャラクターのエゴがむき出しになって衝突していることが口論の他、様々な形で表現されているように感じる。
これらの推測については時間のある時に再度確認してみたい。自分の作品にもどんどん反映させたいものだな。
戦場へ
バトルにもエモーショナルなインパクトは大事、という事だな。もちろんあえて無味乾燥な印象を与えて荒廃した空しい戦闘をイメージさせるという手もまたあり、やりようによってはさらに表現の幅が広がるだろう。
今回はここまでだ、またな。
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