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紅い蝶は闇に舞う【短編小説】

 その女を見た時、畠中誠(はたなかまこと)は鼻腔に甘い血の匂いを嗅いだ。
 蒸し暑い新宿の夜の中、女は店の灯りにほっそりしたシルエットを浮かび上がらせている。その様子はどこか彼女を思い出させた。
 誠は凝視した。顔は特に似ていない。でも、長いストレートの髪、身長や体つき。そこにある何かが記憶に引っかかった。

 女は後ろを気にする素振りを見せながら早足で路地を歩いてくると、誠を見て僅かに目を見開き、そのまま近づいてきて誠の腕を掴んだ。小声で話しかけられる。
「あのっ、すみません。ちょっとだけ、このまま歩いて貰えませんか? ……しつこい男が居て。同じ学校なんですけど。さっき見かけて。振り返らないで! マジ怖い。歩いて。このまま」

 誠は戸惑うが、言われるまま彼女と腕を組んで歩いた。女はダークグリーンのヒラヒラしたトップスに細身のデニムパンツを履いていて、黒いトートバックを肩に掛けている。自分の腕に絡んだ細い腕の柔らかい感触と、ほのかに漂う甘い香りを意識せずにはいられない。

 女は誠の腕を離さずに何度か振り返った。五分程歩き続け、角を曲がると店と店の隙間の狭い空間に誠を引っ張り込む。女がそこから表を伺っている間、誠は女を観察した。
 どこが引っかかるんだろう?身長と年齢は同じくらいに見えるが、そんな女の子はこの街に溢れている。まだ早い時間だ。表通りから少し離れたここでも、若い女性は数多く行き交っている。
 女の細い首にネックレスが煌めく。小さな緑の石がチラリと見えた。これかもしれない。彼女も確か、似たようなアクセサリーを身につけていた。

 女はようやく安心したのか、誠を振り返ると笑顔になった。
「あの、強引に引っ張ってきちゃって、ごめんなさい! もう大丈夫みたい。どこかに行くとこだったんじゃないですか?」
 誠は答えた。
「ご飯食べに行こうと思って。どしたの、何かトラブル? 良かったら一緒に食べない? 話、聴く位ならできるけど」
 女は誠を上から下までざっと見た。短い焦茶色の髪の毛、紺のシャツに黒いジーンズ、黒いボディーバッグ。目立たないけどよく見るとイケメン、という評価をされることが多かった。女は無害そう、と判断したのか、にっこり笑うと
「是非。私、未成年なんで飲めないけど、いいですか?」
「全然いいよ。近くに安くて美味しい店があるから、そこに行こう」


 二人はオシャレな雰囲気の居酒屋のテーブル席に座り、自己紹介しあった。女は並河寿美(なみかわすみ)と名乗る。
 寿美の話によれば、昨年末に交際を申し込まれて断ったクラスメイトから、その後もしつこく付き纏われているという。

「こないだバイト先を出たとこで、遠くからアイツが見てるのに気がついて。凄いビックリして……もうホント嫌で。ストレスで禿げそう」
「そっか。可愛い子も大変なんだねぇ。女の子ってほんと、気を張ってないといけない場面多くて、かわいそうになるな」
 女の愚痴を聞くのは慣れている。誠はにこやかに相槌をうった。そして如才なく、持ち物を褒める。
「そのアクセサリー可愛いね。そういうの好きなの?」
 誠は自分の喉元を指差して、ネックレスの事、と手振りで示した。寿美は複雑な顔で微笑んだ。
「うん、これ大事なの。やっぱりさー誰かとおしゃべりしながら食べるご飯は美味しいなぁ」
 誠は頷いた。そういう状況にあるわりに、一人で夜の新宿をフラフラして、初対面の男とサシ飯とは、寿美の危機管理能力にはかなり疑問が有ると言わざるを得ない。

 誠は降って沸いた幸運に感謝した。今日と明日はバイトが休みで、物色がてら夜の街をぶらつくつもりだった。
 良さそうな子が居ても、夜の店で一緒に食事できるようになるまで、普通はそれなりに手間と時間がかかる。それが今回は向こうからやって来て、早くも二軒目に行けそうな雰囲気だ。
 誠は話術を駆使して寿美を笑い転げさせ、二人は多いに盛り上がって二軒目に向かった。

 二軒目は落ち着いた感じの店で、寿美はこんなとこ初めて!と、はしゃいだ。テーブルの上には小さなキャンドルが揺らめいていて、どこか幻想的な雰囲気を醸し出している。
 寿美は高校生活の出来事を話した。誠は懐かしがって話を聞くフリをしていたが、目はさりげなく彼女の様子を観察した。

 揺らめく蝋燭の光は精神を鎮静させる効果がある。寿美の話すペースは遅くなり、目はキャンドルの光を見つめてトロンとしてきた。誠はノンアルコールと偽って、アルコール度数低めのカクテルを飲ませた。寿美は美味しい、とそれを飲み、すっかりリラックスしている様子だ。
「誠さんってホント、聞くの上手ですねー。話してて凄く楽しい。モテるでしょ」
「全然。俺なんて地味すぎて大学じゃ空気だよ。バイト忙しいからサークルもろくに参加できないし。女の子と話すのだって久しぶりなんだから」
 それは嘘だった。誠はサークルにもそこそこ顔を出し、女性と話すスキルを磨いていた。女は恋バナ、特に失恋の話が好きだ。誠は、先月に恋人と別れた話をした。
「付き合って三ヶ月くらいだったけど、振られた。まあ俺はつまんない奴だし、お金を稼ぐことに結びつきそうな取り柄もないしね。……何かと思い出して落ち込んだりして。こんなに自分が女々しいとは思わなかった」
 寿美は真剣な顔でじっと誠を見つめ、彼の親指を軽く握ってきた。
「誠さん、こんなに良い人なのに。その彼女は運命の相手じゃなかったってだけ。切り替えていこ」
「寿美ちゃん優しいー。ヤバい泣きそうになるわ」
 誠はおどけて言うと、寿美と数秒見つめあい、寿美は照れたように指を離してドリンクを煽った。
 誠は目の前で動く彼女の喉を見つめる。その薄い皮膚に唇を触れた時の感触、女の喘ぎと温かくて滑らかな肌触りを想像して唾を飲み込む。
……彼は“行く”決断をした。美しい蝶が笑いさざめいているうちに、蜘蛛は周りに糸を張り巡らせ、少しずつその輪を狭めてゆく。

 誠は、いよいよ呂律の回らなくなってきた寿美の肩を抱いて、店の外に出ると、とある場所を目指した。一昨年、潰れた小さなライブハウスがテナント募集中のまま残っている物件だ。
 オーナーは誠の裕福な叔父で、電気と水道の料金を払うことを条件に、時々使わせて貰っていた。繁華街から裏通りを幾つか抜け、電灯が少なく目立たない一角に、溶け込むようにひっそりと入口がある。

 入り口で寿美は、締まりのない顔つきでヘラヘラ笑いながら
「トイレ〜!トイレ行きたい。この店トイレあるぅ?」
と聞いてきた。寿美には隠れ家風Bar、と説明してあった。誠はにこやかに
「中にあるよ。階段、気をつけてね。下りて直ぐは暗いし、廃墟っぽい感じでビックリすると思うけど、それも演出だから。中は凄く素敵な感じだからね」
と、自分が先に立って階段を降りた。照明をつけ、薄暗くて狭い廊下を歩きながら、誠は昂りを抑えようと密かに深呼吸した。

 落ち着け、まだだ。手順を素早く頭に描く。まずフロアに入るドアを開ける。同時に寿美を中に引っ張りこんで、入ってすぐの場所に準備してある結束バンドで拘束する。中央に敷いてあるマットの上で裸に剥いて、お愉しみを始める。殺すと脅して咥えさせよう。怯え苦しがる相手の喉の奥まで突き入れて。この女はいい声で鳴きそうだ。通販で買ったSMプレイ用の道具を試してみよう。どこまで保つか。肉玩具を充分堪能した後は……。
 昏い喜びに顔がニヤケるのを必死で堪えながら、ドアの取っ手に手をかけ、寿美を振り返ろうとする。
 不意に背中の服を掴まれて引っ張られ、激痛が首の後ろから脳天に突き抜けた。

 痛みで目が眩み、涙が噴き出す。よろめくと再度、首筋の同じ場所に何かが押しつけられ、焼けつく痛みに誠はギャッと叫んだ。後ろから強く突き飛ばされて、そのまま室内に数歩入ると膝をつく。
 痛みで頭がぼんやりした隙にボディーバッグを剥ぎ取られ、両腕を後ろに回されて、両手の親指を拘束された。手に持つスタンガンの火花に照らされて、真っ暗な室内に女の顔が浮かび上がる。
 女は執拗に火花を誠に押し当て、誠は悲鳴をあげて倒れた。女は彼の両足を引っ張って足首をバンドで固定した。誠は床に転がり、激痛に涙を流しながら寿美を仰ぎ見た。

 カチッと音がして、一条の光が闇を切り裂いた。寿美はバッグから取り出したらしい懐中電灯で、誠の顔を照らした後、室内を調べるように光の輪を動かし、三脚の上に載ったハンディカムを発見すると、歩み寄って眺めたが、手に取ることはしなかった。
「どうせ胸糞悪い映像が入ってんでしょ? 何人分あるの? 私をヤれなくて残念だったね、このクソ変態野郎」
 寿美は懐中電灯で再び誠を照らした。誠からは光が眩すぎて、寿美の顔がはっきり見えない。ただ、声の調子は別人のように鋭く、深い侮蔑と憎しみが篭っている。誠はしわがれた声を出した。
「……意味が、わか……なに、言って……」
「惚けても無駄。先月、篠原 紅(しのはら こう)を殺したのはアンタ」
 誠は衝撃を受ける。先月、殺した女。夜の街でナンパし、ひと月ほど恋人の真似事をした。彼女の笑顔を眺めながら、殺す時の想像を膨らませるのは楽しかった。いつも小さな赤い石がついた、華奢なネックレスをつけていた。
「……ネックレス……同じ……」
「そう、これね。紅のはルビー。私のはエメラルド。名前にちなんでるの。高校に合格した時のお祝い……私の名前は篠原 翠(しのはら すい)。紅の双子の姉」
「……っ」
 誠は寿美、いや、翠の顔を見つめた。目が慣れてきて、薄らと女の表情が見える。

「双子だけど二卵性だから、それほど似てないっしょ? ……性格もね、全然違った。だから仲も良くなかったよ。私は割と、何でもちゃんとしたいほう。成績も、まあトップクラス。紅はその反対。甘ったれでだらしなくて、面倒くさい事は大嫌いで。高校に補欠で受かったのがピークだった。学校にもロクに来なくなって進級も危なかった。

 よく喧嘩したよ。あの子は何を言っても聞かない。気まぐれに家出しては、適当な男の処を泊まり歩いて。いつか痛い目に遭う、自業自得だ。その程度に思ってた……殺されると分かってたら……家に閉じ込めてでも止めたのに……もっと話せばよかった。諦めなければよかった。私は……何でこんな出来の悪い子が私の妹? 恥ずかしい。そう思ってた……もう遅い。何もかも」

 翠は額の汗を拭った。フロアの空調をオンにしていないので蒸し暑い。俺をここに放置して、熱中症で殺す気か? 誠の中に恐怖が膨らみ始める。どうにか交渉して、反撃の糸口を見つけなくては。誠は哀れっぽい声を出した。
「ねえ。寿美ちゃん、じゃなくて、翠ちゃん? 勘違いしてる。僕は君の妹なんて知らない。ほんとだよ、嘘じゃない。なあ……」
 翠は誠の言葉を遮るように
「紅の身体はどうしたの? バラして山にでも埋めた? いいよ答えなくて。私、最初は、紅の身体を取り戻すつもりだった。見つけて、掘り起こして、ちゃんと埋葬するつもりだった。……けど本人が、それよりもアンタを見つけて欲しい、そう言ってきたから。探してたの。殺された場所はこの辺りって見当はついてたから。
 三週間前にアンタを見つけた。それからしばらく観察してた。後をつけて自宅も特定した。水曜と木曜はバイト休みって分かって、計画を練った」
「君の言ってる事はめちゃくちゃだ。紅が僕を見つけて欲しいと言ったって?死んでるんじゃなかったの?」

 翠はバッグからスマホを取り出した。画面の明かりが闇の中で輝く。
「私と紅は視覚が繋がってるの。昔から時々、相手が見たものが自分にも見えた。特に興奮したりとか、感情が昂ると、繋がることが多くて。
 小さい頃は面白かった。けど段々と、紅に秘密を覗き見されてるみたいで……嫌になった。紅の秘密も、見たくもないのに見えちゃって。男とエッチしてる時とか、たまたま繋がると、凄く気持ち悪かった。
 ……アンタの事も見えた。紅、アンタのこと本気で好きだったみたい。ね、分かったでしょ。つまり、そういうこと」

 翠の声は激情で震えた。
「あの子がアンタに、ここで酷い、ほんとに酷いことされて、ぐちゃぐちゃに壊されてた時……私は繋がってた……死ぬほど怖くて、紅を助けなきゃ、そう思っても動けなかった。部屋で吐いて、のたうち回って。
 繋がりが切れた時、紅が死んだんだ、って分かった。それからずっと苦しい。夜も眠れない。……けどお陰で、アンタの顔は目に焼きついた。こんなに誰かを憎んだのは初めて。見つけた時は嬉しかった。捕まえて拷問して、今までのこと全部、自白させて、紅の遺体の場所も言わせるつもりだった」
 翠は大きく深呼吸した。汗の滴が顎から滴り落ちる。
「そしたら、先週。紅からLINEが。ほら、見て」
 翠はスマホを誠の目の前にかざした。先週の日曜日からだ。


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8/1(日)

[紅]
あいつはわたしがやる

        [翠]
        紅!うそ、紅なの?本当に?

        [翠]
        紅!本当に紅?

        [翠]
        生きてたの?
        どこにいるの?
        お願い答えて

        [翠]
        ごめん
        助けられなかった
        怖くて動けなかった
        ごめん

8/2(月)

[紅]
あいつをさがして

        [翠]
        生きてるの?
        死んでるの?
        どっちでもいい
        帰ってきてよ

        [翠]
        紅!!

        [翠]
        やっぱり死んじゃったのかな

        [翠]
        会って謝りたい紅

8/3(火)

[紅]
みつけてつかまえるだけでいい

        [翠]
        なにするつもりなの

        [翠]
        私に出来ることそれだけ?

        [翠]
        分かった
        明日やる

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 翠は立ち上がり、スマホをバッグに投げ入れた。
「紅のスマホ、アンタが壊したんだよね?……紅はもう死んでるけど、私に呼びかけてくれた。何となく分かる。紅は、別の世界の人になったんだなって」
 翠は目に涙を溜め、泣きそうな顔で微笑んだ。
「けど今は感じる。アンタに会った時から感じてた。あの子の気配。あの子は今ここに居る。多分、すぐそばに」
 誠は目を見開き、辺りの闇に視線を巡らせた。バカバカしい、あるはずない。暑いはずなのに、冷たい汗が流れ落ちる。

 翠はバッグから軍手を取り出し、手に嵌めて、それで懐中電灯をゴシゴシと擦った。
「これ置いて行ってあげる。紅が見えた方が良いでしょ?」
 そう言って、少し離れた床の上に置いた。光の輪は床の上で長く引き伸ばされ、誠の脚を照らす。翠の姿が闇に沈んだ。誠は必死に踠き、縋り付くように、翠に呼びかけた。
「待って! 待ってくれ、何かの間違い。誤解なんだ。おいこれ犯罪だぞっ今すぐほどけ。黙っておいてやるから。なあ、頼む! 助けて!!」

 誠は喚き続けていたが、翠は聞いていなかった。翠はフロアの濃密な暗闇を見つめた。紅……そこに居るの? あの子の気配を感じる。ねえ一緒に行こう、と言葉をかけそうになるが、それを飲み込んだ。
 翠は思い切るように顔を背けて、ドアからフロアを出た。廊下に積んである、何かの機材が入ったダンボールから、小さめの物を選んでどうにか運び、ドアの前に積み上げる。さらに壁際に放置されていたパイプ椅子を、ダンボールと廊下のすき間の床に寝かすように置き、つっかい棒にした。

 翠は階段の下に歩み寄り、廊下の照明を消した。ダークグリーンのトップスを脱ぎ、長髪のウィッグを外してバッグに仕舞い込む。さらに軍手も脱ぎ、バッグから伊達メガネとマスクを取り出した。
 地上に姿を現した翠は、白いノースリーブのピッタリしたトップスと、ベリーショートの髪に、眼鏡とマスクをつけた姿だ。あの男がこの後、どうなるかは分からないが、念のための監視カメラ対策だった。
 翠は、来た時とは違う道を辿り、ネオンの色が路上に滲む、夜の新宿に向かって歩き出した。


 誠は必死に踠いて、何とかドアの側まで行こうとしていた。廊下に自分のボディーバッグがある筈だ。中にスマホが入っている。
 あの遊びをした日は、帰りが木曜の夜になる。家族から捜索願いが出されるのは、早くても明後日の朝だろう。この気温の中、丸一日半ここに放置されたら、かなりヤバい。

ふいに足音を聞いた気がして、誠は動きを止めた。自分の鼓動と荒い息遣い。背後の濃い暗闇を見つめる。

どこまでも続く闇。

静寂。



誠は細長く伸びた光の筋を凝視する。

唾を飲み込んだ。




 出し抜けに光が“何か”の足先を照らす。
土に塗れ、青黒い痣で変色した裸足の足。赤いペディキュアは所々剥がれている。

 誠は声にならない悲鳴を上げた。
その開いた口ごと、土に塗れた足は男の顔を踏み潰した。
誠の悲鳴は、ゴボゴボという音に変わり、口から折れた歯と血の泡が噴き出す。
 足は誠の両腕、両足首、腿、肩を踏みつけ、その度に何かが潰れる鈍い音が響いた。誠は獣のように吠え声をあげ、ビクビクと痙攣した。血走った目は必死に女の姿を探すが、足の膝から上は塗りつぶされたように、闇に溶け込んでいる。
「……ずけ……だすけ、て……」
赤い爪の足は、男の喉に、じわりと力を込めた。


*    *    *    *    *    *    *    *

 翠は疲労困憊し、自宅に帰る前に、最寄り駅のコーヒーショップでひと休みした。身体は汗に塗れているのに、温かい飲み物が無性に欲しかった。
 スマホの電源を入れる。男にLINEを見せた後、電源をオフにしていたのだった。母から何度か着信があったようだ。紅が行方不明になって以来、母親は翠の居場所を頻繁に確認してくる。翠は母に連絡し、すぐに帰宅することを伝えた。通話を切ると、大きく溜息をつく。

 LINEのアイコンに数字の印が現れ、翠はそれが紅からだ、と気づいた。
 指が、紅の名前をタップする。


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[紅]
ありがとう

翠が返事をタップするより早く、次のメッセージが現れた。

[紅]
だいすき

         [翠]
                           いっちゃうの?
                           行かないで

         [翠]
                           紅!!

         [翠]
                           わたしも大好き
                           

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 翠は、生まれてからずっと……意識できない深い心の底で、ずっと繋がっていた何かが、ふいに消えたのが分かった。

 溢れた涙がカウンターに落ち、紙ナプキンに染み込んだ。翠は店の外、ガラスの向こう側に目を向けた。夜の中、信号の鮮やかな赤色が周囲を染め、そこだけ別の世界のようだ。紅の行った世界、いつか自分も行く世界は、あんな場所かもしれない。

信号は青に変わり、世界と翠の涙を緑色に染めた。



(完)

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こちらの作品はムラサキさんの「眠れぬ夜の奇妙なアンソロジー」参加作品です。
今回は記念すべき40回目ということで……
NEMURENU40thのお題はぁ〜

懐中電灯

です!!

何て意味深なかんじのするお題でしょうか。
夏なので、懐中電灯といえば闇夜、闇夜といえばカラス……じゃなくてホラー!ホラー初挑戦!
ふと思ったんすけど、私の作品って、いつも誰か(何か)死んでるよなぁ。死人が絡まないのはBLだけ(二次を除く)自分で気づいて衝撃でした。theワンパターン。次は誰も死なないものを書かねば……

……ちょっぴりでも涼しくなったなら嬉しゅうございます。


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