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コーヒーの湯気の向こう【#2000字ドラマ】

 トーストの上にスクランブルエッグ、そしてベーコンとスライストマトをソテーしたものを載せ、胡椒をふる。加えて濃いブラックコーヒーがたっぷり入ったマグカップ。大地(だいち)の作る朝飯は美味い。
「もっと味わって食え。早食いはデブの元」
 大地はいつものように、俺に小言を言いながらゆっくりと朝食を摂る。昨夜のベッドでの痴態がまるで嘘のようだ。
「いいじゃん別に。太ってないし」
 俺は数十秒で平らげるとコーヒーで流し込む。食器をシンクに置いて狭い洗面所に入り、歯磨き、洗顔、髭剃りをすます。ちゃちゃっと髪を撫でつけ、スマホでスケジュールを確認すると大地に呼びかけた。
「今日は奈美(なみ)が来る予定になってるから、お前来んなよ」
 大地は無表情で「了解」と返事をし、入れ替りで洗面所に入る。俺はシンクのフライパンと食器を手早く洗った。

 大地の運転するバイクのケツに乗り、駅前で俺だけ降りると、駅の出入り口に赤いコートを着た奈美の姿が見えた。こちらに気づくと笑顔になり手を振る。俺も軽く振り返す。バイクに跨ったままの大地はヘルメットを脱いだ。
「良太(りょうた)」
「ん?」
 彼はいきなり俺の襟首をひっ掴んで荒っぽく引き寄せ、強引にキスをした。俺は驚き、大地を押しのけて数歩離れた。大地は唇を歪め、再びヘルメットをかぶると中指を突き出して
「チ○コもげろっ」
 と一言、言い捨てた。そしてバイクをスタートさせてその場を走り去る。
 後には俺と、チラチラ俺を見ながら駅に向かうサラリーマン達と、蒼白になって立ちすくむ奈美。   
 俺は溜息をつく。……いずれ来るとは思ってたけど、そうか、今日がその日か。奈美に向かって歩き出しながら考える。さあ今すぐ選べ。奈美の甘い香りと唇の柔らかさ、しがみつく大地の腕の力が頭をよぎる。あと3m……2m……1m。

「さっきの何。どういうこと。良太、ホモだったの?」
 奈美の硬い声を聞きながら、彼女の、きつく握られた拳を見つめた。
「俺はどっちもイケるよ」
 顔を上げると奈美の目を真っ直ぐに見る。
「たかが穴じゃん。たいして変わんねって」
 奈美は俺の頬を勢いよく平手で張り飛ばし、爪が頬を掠った。傷に触れた手に微かに血が付く。彼女は氷の目つきで俺を睨むと、改札を走り抜けていった。

 奈美と俺は同じ会社で働いている。彼女はCG制作部、俺はプログラマー。俺の仕打ちは、狭い社内をあっという間に伝播していった。女性社員は俺に冷たい視線を浴びせ、男性社員からは面白がられる。
 他人がどう思おうと関係ない。俺は揶揄まじりの言葉を適当にいなす。脳内に何度も、大地の中指と奈美の拳が再生される。
 終業が近づき、俺は大地にLINEを送った。
『今晩の予定がなくなった。コーヒーがもうすぐ切れるんで宜しく』
 既読無視。……俺は仕事を終わらせて、帰り支度をする。

 アパートに着くと、ドア前の暗がりから大地が立ち上がった。白い息が蛍光灯の光に浮かぶ。俺は彼の目の前で立ち止まる。沈黙の後、大地が口を開いた。声が微かに震えている。
「今ならまだ間に合う。彼女に謝れ」
「はあ? 何なのお前、今さら」
「ごめん、今朝はどうかしてた。俺が悪かった。だから……」
「俺が彼女に出来ることは、もう恨まれることだけだよ」
 大地の顔が辛そうに歪む。
「お前さ分かってんのかよ、俺を、男を選ぶってことは……嫁と子供とか、親の祝福とか、フツーの幸せな未来が無くなるってことなんだぞ。お前はストレートなんだ。こっちに来る必要ないんだ」
「俺のフツーの幸せは、俺が決める」
 俺は大地の手を取った。冷えきって震える手を握りしめる。
「それはさ、美味い朝メシとか、お前の淹れるコーヒーなんだわ」
「バカっ!」
 大地は俺の手を振り払った。
「そんなつもりないから俺は! 嫌だよいつ女に戻るかもしれない奴なんて。てゆーか本気の訳ないじゃん。お遊びだから。ゲイじゃない奴といっぺんやってみたいなって、それだけ……」
 俺は大地の話を遮った。「お前がどう思うかは関係ないんだわ」そして言葉を続ける。
「俺がこの後、不幸になっても、彼女に刺されても、俺の選択の結果であって、お前のせいじゃないよ。いいんだお前は、ここで俺を選ばなくても」
 そして笑ってみせる。
「コーヒー買ってきてくれたなら、金は払うからさ」

 大地は俺を見つめ、俯く。目に溜まった涙が溢れて地面に落ちる。
「……ズリーよなぁ……無理に決まってんだ俺には。別れるとか……お前、絶対、後悔する……そんなん俺も辛いのに」
 俺は立て続けに二回、くしゃみした。
「寒いんだけど。早く決めてくんね」
 大地はゆっくり俺に歩み寄り、ギュッと抱きしめた。そして小さな声で言った。
「ブルマンブレンド。……あと、メープルシロップも買ってきた」
「え?」
「フレンチトースト作る。好きじゃん、お前」
「うわ、食いてえ。腹減った」
 その時、二人同時に腹が鳴った。俺達は笑った。



(完)

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