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勝利する瞬間【掌編・スピンオフ】

「貴方が美しいということ」スピンオフ

 金城樹貴(きんじょうたつき)の葬儀からニ年後。
 病院の待合室で、一人の男の子がソファに座り、彼のマスターを待っていた。ここは一般の患者ではなく、特別な検査が必要な患者専用の待合室だ。男の子はロボットだったが、見た目で人間の子供と判別するのは難しい。

 しばらくすると、彼は立ち上がり、ドアを開けて出てきた女性のところへと歩み寄った。黒い服を纏った女性は、彼の頭に手を置いて優しく撫でると、おかしそうに笑い出した。子供はきょとんとしている。彼女はなおも笑いながら
「ふっふふ……いや、うん。癌という診断だよ。奇しくも樹貴と同じ箇所で。偶然だろうけど、出来過ぎだね」
 心路(こころ)は機嫌良く、病院の廊下を歩き出した。横に並んで歩くロボットの子供は不思議そうに尋ねた。
「癌。深刻な病気じゃないんですか? なんだか嬉しそうですね」
 心路は口元に微笑みを浮かべながら子供──トビオ──の顔を見て言った。
「一度だけ、樹貴の見舞いに行った時にね。こう言ってやった。『最後に、ヒトの恋心の解析に寄与してみる気は無いか? アンタの頭を機械に繋いで、ミキの動画を見せ続ける。脳のどこが反応するか調べれば、きっと興味深いデータが取れるだろうから』ってね。奴は既に長くなかった。身体も顔も痩せこけてミイラみたいだったけど、凄い目つきで睨んできたよ。で、私にこう言った。『お前も俺と同罪だ。近いうちに地獄に落ちる。これはあの女の呪いかもな』」
 心路はあはは、と笑った。
「性根は腐っちゃいるが、奴も一応、科学者だろうに。言うに事欠いて“呪い”とはね……ふっ」
 トビオは気遣わしげに、横を歩く、黒づくめの服装でショートカットの女を伺った。
「ココロさん。あなたが病気になったなら、僕はどう対処できますか? 僕には外科的な応急処置と、インフルエンザのような比較的、軽い疾患の看病の方法しかインストールされていません。ソフトを更新する必要があると思います」
 心路は口元に楽しげな笑みを浮かべたまま、トビオに片手を伸ばした。彼はそれを握り、二人は手を繋いで病院の玄関を出た。
 冬のはじまりの季節で、秋の名残の落ち葉はまだ道の端に積もっている。陽ざしは暖かい。病院の敷地内は電動車椅子に乗った患者や、徒歩で散歩する患者とそれに付き添うリハビリロボット、ベンチで話し込む医療関係者、病院に出入りする人間やロボットで賑やかだ。

 心路とトビオは敷地をゆっくりと歩き、出口に向かった。
「もし私の病気に何らかの超自然的な力が働いているとすれば……それは呪いじゃなくて罰だろう。私たちの罪に対するね」
「罰、ですか?」
「そう、罰。私たちはね、知りたかったんだ。ロボットに心はあるか? 無いなら心を、愛を、創ることが出来るのか? ……そして我々は心を作る事に成功し、その過程で、若い恋人同士の愛を引き裂き踏みにじった。彼の心を地獄に叩き落として、彼女の純粋な愛を取り出して……それで、金儲けをしようとしているから」
 心路はトビオを見やった。
「進化というのはね、一旦始まると、留めようがないものなんだ。ロボットの次の進化は始まった。ミキの有機電脳のノウハウは既にロボット開発に影響を及ぼし始めている。そして、いずれは現在稼働中のロボットにも。対応可能なものはソフトのアップデートが行われるだろう」
 トビオは目を見張った。
「僕のソフトは対応可能ですか?」
「そうだね。お前の脳は最新型だから……どうしたの?」
 トビオの歩みが鈍ったので、心路は足を止めた。二人は、芝生に囲まれた道の片隅で立ち止まった。トビオは数秒、言葉を探すような素振りをし、口を開いた。
「……僕の脳が進化することは、きっと良いことだと思います。でも今の話を聞くと『心』が出来ることが良いことなのかどうか……現在のデータでは判断できない。と思いました。そうすると何か、うまく身体が動かなくて……もしかして、先月の定期点検の時に、少しバージョンアップしたんですが、その影響かもしれないと。これがそうなんでしょうか。それともシステムのバグでしょうか」
 心路はじっと彼の顔を見た。トビオはその視線に決まり悪げに、足をもじもじと動かした。心路は考え込むように
「そうか……興味深い挙動だな……それは『怖い』という気持ち。未知への恐怖、なのかも」
「恐怖」トビオは俯いて、その言葉を繰り返した。「きょうふ」
 心路はその様子を観察した。そして「そこにベンチがある。煙草を吸ってもいいかな」と、トビオにベンチを指し示した。敷地の出口広場の一角に空いているベンチがあった。側には花壇の小さな黄色い花が沢山咲いている。二人はベンチに腰を下ろした。
 心路はポケットから電子煙草を取り出し、電源を入れた。吸口を旨そうに吸い、長い時間をかけて見えない煙を吐いた。その様子をトビオは見守った。

「ねえ、トビオ」
 心路は片手に煙草を持ち、時々それを口に運びながら、トビオの顔を悪戯っぽく見た。
「子供が産まれにくくなってることは知ってるね。でも今、世間で起こってる騒ぎはまだ可愛いもんだ。……これから人類は選択する事になるだろうよ。滅びか、全てを捨てて未来へ賭けるか」
「それは神様の罰なんですか?」
「トビオは、神は居ると思う?」
 彼は考え込む仕草をした。そして彼の主人を見上げた。
「教会に、神の姿を模した像があります。信じて、祈っている人も沢山います。みんなが信じているのに、本当は居なかったら、何だか……信じている人が騙されているみたいですよね」
「神の存在証明は哲学者が長らく議論してきた。でも、居ることも居ないことも証明できない。居ない事を証明できないんだから、神への信仰が間違っているとは言えない。ゆえに、彼らは騙されていない」
 心路は小さく笑った。
「この世界の仕組みは精緻で美しい。その美しさこそ、神が作ったことの証明だ、とか何とか……科学的な説明とはいえない。この世は美しさと同じくらい、矛盾や不合理にも満ちているしね。科学者の中には、研究の過程で、神の存在を信じざるを得ない偶然や符号を幾度も目にする、なんて言う奴もいるけど。それよりも人類が衰退期に入ったって方がまだピンと来る。それが神の計らいだって言うなら、罰なんかじゃなく、最初からそういうプログラムだった。ただそれだけの事なんだと」
 心路はニヤリと笑った。
「神が居るなら、それはこの世界を動かすプログラムそのものである。ということは、スケジュールは既に決まっていて、人類がどう足掻こうと関係なく、粛々と進行してゆくのみ。と、いうのが私の私見だ」
「もし、そうなら。人類はどうなるんでしょうか」
 トビオは心配そうに心路に訊いた。心路は宙へ視線を彷徨わせた。
「一定数よりも減ると、そこからは滅びへの加速度が急速に増してゆく。不安や恐怖は混乱や暴動を加速させ、限られたリソースを人々は奪い合い、憎み合い、殺し合う。血と絶望が世界を覆う」
 心路は昏い目で煙草を吸い込み、長く吐き出す。
「そう。滅びが見えているなら、やる事は決まっている……逃げ出す。たとえどんな犠牲を払おうとも。殺し合いが始まる前に。最後にふたりだけ生き残った人類の片方が、もうひとりの頭に石を振り下ろす前に」
 心路は目を閉じ、顔を心持ち上に向けた。
「人類がここを去り、長い年月が過ぎたころ……お前たちロボットがどんな進化を遂げているか。わたしは……賭けたんだ。樹貴とは違う意味で。最後に残ったふたりが進化したロボットだったなら、互いに手を取り合い、愛し合うことができるのか。新しい種族はこの惑星で、より良い世界を作っていけるのか」

 心路は目を開けた。そして側のトビオを優しい眼差しで見つめ、煙草を持っていない方の手で、彼の頭を撫でた。
「私の身体が消える前に、お前を眠らせる……次にお前が目覚めることがあるなら、きっと、世界が次の段階に入った後だ。お前は沢山の心を学んでゆく。そしてヒトに近づく。助け合い、認め合い、誰かのために祈る……それこそが神に向かって勝利を宣言する瞬間、人類が辿り着いた答えだ……その、こたえを……いつか私に」

 トビオはつぶらな瞳で、彼女の漆黒の目を覗き込んだ。
 その顔が悲しげに歪んだ。
「ココロさん。死なないで。僕、あなたが大好きです」
 心路は哀しみとも、嬉しさともつかぬ、複雑な表情で、彼を抱きしめた。
「私もだよ、トビオ」





(完)


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