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貴方が美しいということ【SF恋愛小説⑤(最終話)】

この小説は、kesun4さんの詩
貴方が美しいということ
をイメージして書いています


 室内は暗い。彼は照明のスイッチを入れる。僕の喉がヒュッと鳴る。

 ライトアップされ、暗闇に浮かび上がる圧倒的な青のグラデーション。大きな壁。三メートル四方はあるだろうか。

 透明なアクリルの壁の中に封じ込められ、青い宝石のように輝いているのは一面の海百合。そして……

 海百合に囲まれ、中央に浮いているのは、一糸纏わぬ、彼女。

 髪の毛は拡がり、海百合に絡んで、そのまま凍りついたかのよう。一輪の海百合を手に持ち、眠るように目を閉じている。

「おお……」
 僕は彼女の前まで歩くと、その姿を見つめた。

『私はここの花たちと同じ』
 周りを見渡して、僕を見つめる彼女の姿。
『ここの歌詞が綺麗。この歌、素敵』
 目を伏せて微笑む彼女の頬に落ちる、睫毛の影。

 僕は跪く。彼女の声が、面影が、次々と目の前に溢れて息ができなくなる。

 俯き加減で音楽を聞いている彼女の顔。驚きから弾ける笑顔。海百合の仕事をしている真剣な表情。窓越しに憧れを込めて外を眺める姿。……薄暗い部屋で光る涙。

 “貴方は美しい 月や星空や海の様 儚く消える夢の様”

 『海里』……呼びかける彼女……頭の中をあの歌がぐるぐる廻って……彼女の横顔……泣き顔……眠る彼女……二度と目を覚まさない……
 ……『海里』……僕を呼ぶ声……かいり……

かいり……

…………


 肩を揺さぶられて我に帰った。いつの間にか僕はその場にうずくまり、甲が僕の傍で心配そうに覗き込んでいる。
「君、大丈夫!?どうした、気分でも悪くなった?」
「……すみませ……」
 僕は立ち上がろうとしてよろけ、甲は僕の身体を支えた。僕は彼を見上げ
「あの、甲さん、お願いします。彼女を僕に譲ってくれませんか?」
甲は僕をじっと見つめた。
「何か訳あり? 聞かせて貰える? それ次第で、考えてみてもいい」

 僕は彼に全てを話した。
 僕が彼女を「アート作品として」一億円で買い取ることで、話がまとまった。


 どうやってホテルまで帰ったのか憶えていない。
 限界だった。部屋まで辿り着くとベッドに倒れ込んで、僕は死んだように眠った。
 目が覚めたのは朝の四時だった。今は冬の季節、まだ外は暗い。頭痛がして酷く喉が乾く。よろよろと起き上がると備品のコップで何杯か水を飲んだ。

 不思議だ、と思った。
 ミキがもういない世界で普通に息をしているなんて。
 なんだ。以外と落ち着いてるな。あんなに毎日、彼女の事ばかり考えていたのに。身体の真ん中がどうにも虚ろになった感じだけど、普通に喉も乾くし、身体も動く。

 薬を飲んでシャワーを浴びると、かなり頭痛はマシになった。敢えて意識を向けないようにしていたけど、ずっと気にはなっている。──── 鞄の中のDVD。
 監視カメラの映像だと言っていた。僕がミキと過ごした後、いや、おそらくリアルタイムで、叔父と開発チームはあのフロアを監視し、記録していたのだ。
 DVDの中身。ことによると、ミキと叔父が映っているものかもしれない。叔父が密かに一枚だけ保管していたDVDなのだから。だとしたら、僕はそれを観ても耐えられるだろうか。

 ……でも、おそらく僕が手にできる、ミキの最後の映像。
 あのミキの身体の他にはもう、彼女の実在を証明するものはこれしかない。
 僕は冷静だ。きっと大丈夫。観たくなければスイッチをオフにすればいい。
 僕はモニターの電源を入れ、DVDをホテルの備品のプレイヤーに挿入して、ベッドに腰を下ろした。

 いきなり、ミキのバストアップが画面一杯に映し出され、僕の心臓はドキンと強く跳ねた。
 ミキは白いシャツと黒いパンツを身につけて、寝室のベッドの上に座っている。目線はカメラより少し下にあり、手前に、黒い服を着た人物の、後ろ姿の一部が映っている。ミキが「主任」と呼んでいた人かもしれない。ミキは真面目な顔して、彼女の正面の人物を見つめている。

『次の質問』
 手前の人物から声がする。女性のようだ。
『夜の仕事について、やりたくない、メンタルに負担だ、と感じることはある?』
 ミキは黙り込み、瞳を僅かに揺らす。
『……私はセックスに最適化されているので……技術的に難しいとは感じません。お客様の要求には応えられていると思います。……でも最近は、終わった後に解放感を感じます』
『それは、仕事が辛い、または疲労する、という感覚?』
『……抵抗がある。そんな感覚です。この仕事の内容を、海里が知ったらどう感じるのか、と考えると』
 僕は両手をきつく握りしめる。人物は質問を続ける。
『海里に知られたくない?』
 ミキは顔を曇らせた。
『はい』
『何故?』
『不特定多数の男性と性交することは、道徳的に望ましくないとされているからです』
『道徳?悪い事をしている、そういう感覚なのかな?』
『海里から、私が悪い人間だと思われる事が辛い』
『海里に悪く思われたくないのはどうして?』
 ミキはますます難しい顔になる。
『……それは、私が、海里に、嫌われたくないからです』
『海里が貴方を嫌うと、貴方はどう感じる?』
『悲しい、です』
 人物の声の調子が、慎重さを帯びる。
『海里が貴方を嫌うと、貴方は悲しくなる。それはどうして?』
『……私は……わかりません……』
 また数秒の沈黙。今度はミキから人物に話しかける。
『私は海里に嫌われたくない。……そう感じるのは彼だけなんです。主任や樹貴さんから嫌われたら、私は困惑しますが悲しくはならない。……彼と話していると私は……』
 ミキの表情が僅かにほころんだ。
『とても心地よくなって、このままずっと彼と過ごしていたい、彼の話を聞いていたいと思います。でも彼がじっと私を見ると、なぜか落ち着かない気分になって、でも、もっと見て欲しい、そうも思うんです。何故だか分からないけど、自分の感情がコントロールできなくなります』

「……っふっ……」

 ミキは俯き、言葉を続けた。
『彼に触れられると、私も触れたい気持ちと、怖い気持ちが、同時に起こるんです。目が合うのを恐れているのに、気がつくと彼の姿を目で追ってしまう。
 ……彼と居ると私はいつもの自分で居られない。でも、離れると、顔が見たい、声が聞きたい、そればかり考えます……」
ミキは項垂れて、大きな溜息をついた。

「……う……ぐっ、ふ……」
 画面に映る彼女の姿がぼやける。

 人物の声が優しくなる。
『貴方は海里を失いたくない。そうなんだね?』
『もし彼がここに来なくなったら。そう考えるだけで堪らなく怖くて、何も……手に付かなくなります』

「……ひぐっ……ぐ、く……」
 いつのまにか、しわがれた声が僕の喉から出ている。
 涙がぱたぱたっと組んだ両手の上に落ちる。

 しばらく沈黙した後、人物が問いを再開する。
『貴方は彼と、どうしたい?』
『私は……私がここを出て、彼と一緒にどこにでも行ける身体なら良かった、そう考える事があります……私は彼と一緒に行きたい、どこか遠くへ。どこまでも一緒に』

「……うっぐっ……ふ、ぐ、うううっはっ、ぐ……」
 食いしばる歯の間から嗚咽が漏れ、涙は後から後から流れて頬を伝い、僕の両手を濡らし続ける。

 利用される為に作られて。
 いつも海百合の檻の中から外を見ている。
 塔の中、囚われの姫君。

 ミキは微笑んだ。その姿は眩く輝く。
『やっぱり、私、彼を愛しているんですね。……私は、一生ここで、身体を繋げる仕事をしながら心は誰とも繋がらない、それが私の役割なんだから、そう思っていました。でも、私にも人を愛することができた……嬉しい』

 映像は停止し、画面は黒くなった。


———- 最後まで外に出られなかった、ミキ。

 僕は両手で顔を覆い泣き崩れた。このまま泣き続けて溶けて消えてしまいたい、この世界から。

逢いたい。

恋しい。

恋しい。


“貴方は美しい……

 ……他の言葉を見つける事は叶わず……

  美しいまま何処かへ消えてしまった……”



-------エピローグ-------

 二百十年後

 ネオトーキョーのはずれ、広い公園の脇をはしる道路に、作動音が細く響き渡る。

 一台のエアバイクが疾走している。埃を巻き上げて進むエアバイクには、ヘルメットを被った少年が乗っている。荷台には大きな荷物が括り付けられ、荷物の大きなポケットから、黒い猫が顔だけを出している。猫はピンと張ったグレイの髭をなびかせ、美しいエメラルドグリーンの眼で、興味深そうに景色を眺めている。

 やがてエアバイクは建物の玄関の前で停まった。少年は乗り物から降り、ヘルメットを取ると、バイクに引っ掛けた。荷台に乗っていた猫はしなやかな身のこなしで、そこから飛び降りた。猫は建物の玄関を見上げ、少年に話しかける。
「ここが歴史博物館?」
「そうだよ」
 少年は荷台の縄を解き、大きな荷物を肩に担いだ。中で硬い何かがぶつかり合う音がする。少年は前屈みの姿勢で、重そうに荷物を担いで歩き出し、建物の玄関に入った。猫はその後をついてゆく。

 建物内はひんやりしていて、照明がついておらず薄暗い。ガランとした玄関ホールに、少年の足音が反響する。無人の受付を通過し、ホールを半ば通り過ぎたところで、猫が少年を呼び止めた。
「トビオ!ねえ、エネルギーパックの交換は後でもできるでしょ?私、ここ初めてなんだから、案内してよぉ」
 トビオは猫を振り返り、しばらく躊躇ってから、荷物を足元に下ろした。
「……分かったよ。何か見たいものでもあるの?」
「初めてなんだってば。私に分かるわけないじゃん。ガイドとか無いの?」
 トビオは周りを見回した。とある一画に立っている、カラフルで大きな案内プレートの前に歩み寄る。
「ここって昔のロボットが展示されてるんでしょ?どのくらい前からのがあるの?」
「さあ。僕はエネルギーパックの予備を見つけてからは、その部屋しか行き来してないし、ここを拠点にはしてるけど……展示をちゃんと見たことない」
「あなたって、必要不可欠なことしかしないタイプねえ。機械みたい」
「機械だよ。君だってそうだろ」
 猫はトビオの返事を無視し、案内板を前足で指した。
「ねえここ!『海百合姫』って書いてある!え、もしかしてあの『海百合の塔の姫君』の元になったっていう、アレ?!」
「うみゆりのとうのひめぎみ?それはなに」
「知らないのお?そっか、あなたの時代にはまだ無かったか。私の時代に、めちゃ流行ってた絵本。すっごく綺麗でね。珍しい紙の絵本で。マスターが大好きでよく読んでたなぁ。ここに行ってみましょ!」
 トビオは猫を連れていくつかのフロアを横切った。猫はその間もキョロキョロと、物珍しげに辺りを見回している。

 やがてトビオは扉の前で足を止めた。展示としては珍しく、扉が閉まっている。
「……建物の電源を落としてるから、開かない。電源を入れてくるよ」
「待って、ほら、そっちに手動の開閉装置があるじゃん」
 黒猫……ミドリは、尻尾を長く伸ばして、手動装置に触れた。そのまま器用にロックを解除する。
「すごい」
 トビオは素直に感心した。ミドリは得意げに
「処世術。さ、開けて」
 言われるままにトビオは扉を引っ張り、ガラガラと音を立てて開けた。中は真っ暗で、うっすらと何か大きな物があるのが分かる。トビオは室内に入ると、腰に下げていたペンライトでそれを照らした。

「ひゃっ!」
 黒猫が小さく声を上げた。ガラスのような透明な壁の中、一面に透き通った青い花が宝石のように煌めき、中心にひとりの成人女性のロボットが、花を持って浮かんでいる。
 展示というより巨大な絵か、レリーフのようだ。トビオもミドリも息を呑んで、女を見つめた。
「きれーい……ほんと、お姫様みたい。この青いお花が海百合の本物。本物だよね、コレ」
「うん。僕、海百合は見たことある。ココロさんの家に一輪あった」
「私の時代には、方舟関連の仕事ばっかになってたから、海百合の栽培は停止しちゃってて、絶滅したって言われてたなぁ」
 トビオは女の顔を照らした。女は目を閉じ、安らかに微睡んでいるように見える。
「なんでこの人だけ、他と違う展示方法なんだろ……」
 トビオは呟いた。ミドリは
「だって海百合の姫君だもん!やっぱりこうでなくっちゃ」
と言った。トビオはミドリを見た。猫の目が光を照り返す。

「どんなお話なの?」
「ある男の子とお姫様の物語でね。お姫様は悪い魔法使いに捕まってて、高い塔に閉じ込められてて。男の子は彼女を助けようと沢山の冒険をして、塔の上までたどり着いて、魔法使いと最後の対決をするの。
 お姫様は、男の子が彼女を助けようと、ボロボロになりながら戦ってるのを見て、自分も知恵を働かせて、協力して魔法使いを倒して、二人は恋人同士になるんだけど……実は死んで無かった魔法使いが、最後の力で姫を氷に閉じ込めてしまうの。永遠に溶けない氷に。男の子は泣いて泣いて……涙から、海百合が生えてきて、氷を囲むの」
「なんで涙から花が生えてくるの?」
ミドリは苛立って
「その方が綺麗だからでしょ!……でね、男の子は、大人になっても、お爺さんになって死ぬまで、ずうっと姫君の氷を守る番人になるの」
「なぜ?」
「だって、お姫様は男の子だけの姫君だから」
「でもお姫様は氷の中なのに。側に居ても話せないし、触れないのに。泥棒が心配なら、指紋認証付き防犯倉庫にでもしまっておけばいい」
「んもう、バカねっ!お姫様は男の子以外の人とかモノが守っちゃいけないのっ!ラブストーリーってそういうもんなの!!」
 ミドリは腹を立てて部屋から出て行ってしまった。

 怒らせてしまった。こんな時はどうしたらいいんだろう。トビオはココロさんのアドバイスを検索した。
『女が怒って理不尽な事を言ったりやったりする時は、下手に言葉をかけずに、黙って花かお菓子を渡すのがいい』
 花かお菓子……ここには触れない花しかないし、相手は女の子だけど猫だから、魚の形のエネルギーパックとか?
 トビオは溜息をついた。その拍子に、ライトが隅のプレートを映し出す。そこに何か文字が刻まれているのに気がつき、灯りを近づけてみる。

『貴方が美しいということ』

貴方は美しい
美しいという言葉以外に
貴方を表す言葉を持っていなかった

貴方は美しい
月や星空や海の様
儚く消える夢の様
美しいものは遠い所にしかなかった

貴方は美しい
けれどもそれを言葉には出来ない
美しいと言ってしまえば
貴方が遠い存在となってしまう

貴方は美しい
美しい故に遠く
同じ世界には立てず
本当の貴方を探す事も
その手を握る事さえもできず
見守るしかなかった

貴方は美しい
他の言葉を見つける事は叶わず
美しいまま何処かへ消えてしまった


 歌詞……文面に覚えがある。記憶ライブラリを参照する。あの頃、ココロさんの家で何度か聴いた。
 そうだ!お菓子の代わりに歌を歌ってあげるのはどうかな?
 トビオはそう考えながら、部屋を出て扉を閉じた。

 海百合の塔の姫君は、再び闇に溶け込み、覚めることのない微睡みのなかへと沈んでいった。



(最終話/完)



↑『貴方が美しいということ』kesun4さんの詩はこちらです。

【あとがき的な②】
という訳で、プロジェクト大人ラブストーリーは完結しました!はあ、ホッとした〜
何とか無事ゴールインできましたkesun4さん……!

『夢みる猫は、しっぽで笑う』(拝啓あんこぼーろさん、イシノアサミさんとのコラボ。名付けてプロジェクト起承転結)から引き続き、kesun4さんの詩からイメージして小説を書くコラボ企画!思いの外長くなってしまい……でも、私的には満足しました。男女のラブストーリーは初めてです(笑)SFだから何とか書けたけど、やっぱラブストーリーは、難しい!!

一週間くらいしたら、一話から最終話まで、全部まとめたやつもアップ予定(読んでくれるヒト居るのかなァ……ちょっと挿絵的な絵を入れたり、工夫してみよーかな、と考えています)

最終話までお付き合い下さった皆様。温かく示唆に富んだコメントを寄せて下さった皆様。記事を何度も紹介して下さり、大事な詩を託して下さったkesun4さん。本当にありがとうございました!!


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