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善意のチクリがいちばん怖い

このテーマで書きたいとずっと思っていたが、なかなか手をつけられなかった。タイトルから察していただける通り、社会に対して私が感じている、ささやかだが重要な問題(だと私は思っている)について書こうとしているからだ。私にとってはネガティブで重たいテーマなので書くのにとてつもなくエネルギーが奪われるし、気持ちが重たくなるから引き寄せ効果もダダ下がりになる。書く前からもう疲れてしまう。読むのも気が滅入るかもしれませんが、よろしければお付き合いください。

これまで2度、民泊を利用した。民泊を利用したことのある人はお分かりだと思うが、この制度がスムーズに運営されている背景には評価制度がある。宿泊客が宿泊先について、また、宿泊先のオーナーが宿泊客について評価するのだ。

このシステムは、嫌な客や広告と違うサービスを提供する悪質業者を排除するには非常に有効だ。悪い評価をつけられた客はそれ以降民泊システムに登録している他の宿泊先にも受け入れてもらえなくなるだろうし、客から低い評価を下された宿泊先には客が来なくなるだろう。だから、客も宿のオーナーもみんな行儀がよくなる。

私は2度民泊を利用したと言ったが、1度目は「このお客様はベッドもきちんときれいにし、ゴミもちゃんと捨てて行かれました」みたいな評価をされた。2度目は宿のオーナーとメールで何度もやり取りをしたので、「このお客様はメール連絡をするとすぐに返事をくださいました。〜〜で信用がおける方です」のようなお褒めの言葉をいただいた。

が、偏屈な私は、これをとてもとても気持ち悪いと思ってしまった。小学生の通信簿じゃないんですから。大人の行動に対してこういう評価するのってどうよ?

これはまだ序の口だった。私がいちばん怖いと思ったのはチクリ制度。宿泊先に対して当たり障りのないコメントをつけ終わった後しばらくしてから、この民泊システムを運営している会社から、「今回の宿泊についてさらにお気づきの点があればお知らせください。あなたのコメントは先方には通知されませんので、忌憚のないご意見を」(文章はこの通りではなかったと思いますが、このような内容)というメールが来た。「宿泊先のオーナーには直接言えないような不満があったら知らせてほしい、こちらから言って改善させるから」と、こういうことなのだろう。

つまり、チクリの奨励だ。これって「目的が正しければ手段も正当化されるか」という命題を考える上でとてもいい例だ。宿泊先のサービスの改善という誰も異を唱えることができない真っ当な目的のためには、匿名でチクるという卑劣な行為も正当な行為になるのか?

このチクリの奨励に対して<善意で>コメントを返す(チクる)人もいるだろう。日本人の嫌なところは、匿名だとどんな酷いことでもいうが、名前や顔が出る場合はおとなしくしている人が多いところ。SNSの炎上なんかまさにそれ。アメリカのSNSでは名前や顔を出して堂々と意見を言い、それに対してやはり堂々と反論をする人が多い。中には酷い中傷ももちろん多く、名前や顔を出してSNSに投稿して、嫌がらせされたり危害を加えられたりしないかと、こちらが心配になる程だ。

話が逸れたが、宿泊先の人に直接言えなかった不満を匿名ということでチクる人はいるだろう。これでこの宿泊先のサービスがよくなるだろうと思ってそうする<善意>の人と、気に入らないことがあって不満をぶちまける人と。個人的にはこういう人たちとは絶対に友達になりたくないなと思う。

また話が脱線しました。で、私が危険だなと思うのは、気に入らないことがあって個人的な不満をぶつけるためにチクる人よりも、善意のチクラーだ。チクるという行為の不健全さ、いやらしさに無頓着で、自分は次の宿泊客が気持ちよく泊まれるようにいいことをしていると思う人。こっちの方が怖い。

善意の人々による緩やかな監視社会の到来を感じるからだ。上からの強制による監視社会よりも、<善意の人々>が無邪気に始める監視社会の方が気付きにくい分恐ろしい。

戦時中、近所の人をあることないことでお上にチクる人たちがいた。自分の身を守るためだったり、日本が勝つためにはこうすべきだと浅はかに信じてそうしていた<善意の>人もいただろう。

最近では、コロナ禍で同じようなことが起きた。このときは匿名性は低かった。職場でワクチンを接種しない人に圧力をかけたり、辞めさせたり、マスクをしていない人に<善意の>他人が高圧的にマスクをつけろと迫ったり。そんなことがつい最近あったばかり。

こういう人たちに共通しているのは、自分は正しいと思っていること。ゆえにその正しさを他人に押し付けてもいいと思っていること。さらに、何を根拠に自分は正しいと自信を持っているかというと、「お上」がそう言ったからだ。

当初からワクチンに対しては多くの専門家が疑問視していたのに、主流メディアはそれを徹底的に無視し、岸田さんはワクチン接種を一方的に奨励した。「ワクチンが合わない人もいるので、最終的な判断は自分でしましょう」とは全く言わなかった。政府が作ったワクチン広報CMでは、政府御用達の医師が女子高校生に向かってワクチンの必要性を説き、女子高生に「おじいちゃんやおばあちゃんに移さないためにも、私もワクチン接種した方がいいんですね」と言わせていた。

若者にはワクチンなんて必要ないことは早くからわかっていたのに、だ。不要な接種を受けたために後遺症に苦しんでいる若者は多い。一方的なワクチン接種奨励は、日本人の優しさや従順さにつけ込んだ犯罪だと思う。主犯は日本政府、共犯は主流メディアだ。

当時、ワクチン接種は正しいと信じ込み、接種しない人に対しして「接種しないと他の人にうつるから迷惑だ」とばかりに高圧的になる人がかなりいた。最近になってNHKがワクチン後遺症について取り上げたが、つい最近まで主流メディアはこの件についてガン無視だった。ワクチンに対して疑問を呈すると、「反ワク」だの「陰謀論者」だのという声があちこちから飛んできた。

政府も主流メディアも信頼を失墜して久しいが、それでもまだそこからの情報を鵜呑みにする人が多い。そして、それを正しさの基準として、自分では何も考えず、<善意の人>として人に説教し、チクる。自分では何も考えず、体勢側の意見を鵜呑みにする<善意の人>が、私はいちばん怖い。





らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

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