見出し画像

外から見た日本語8 「〜ませ」が嫌い

20年くらい前だっただろうか。メールなどで「〜ませ」が流通し出した。例えば、「風邪が流行っておりますのでご自愛くださいませ」、「よろしくお伝えくださいませ」などのように。そして、今では定着したのかしょっちゅう目にするようになった。私の友人知人でも時々使っている人が多いが、実は私は「〜ませ」が大っ嫌い。小ばかにされているような気がする。

どうしてそう感じるんだろうと考えてみた。あくまで私個人の感覚だが、理由はふたつありそうだ。

慇懃すぎて不愉快。

上から目線を感じる。

常日頃から言葉遣いが丁寧な人の場合はあまり不自然に感じないが、そうじゃない場合はザワッとする。言葉は丁寧であればいいってもんじゃない。敬語や丁寧語を使いすぎるとかえって慇懃無礼になることが多い。ビジネスメールならともかく、親しい人からのメールでこれがあると、親しみではなくよそよそしさを感じる。なんで、わざわざ相手を遠ざけるような言葉を使うんだろうと思ってしまう。

「ませ」は助動詞「ます」の命令形。「〜ください」に「ませ」がつくことでより丁寧で柔らかい表現になることもあるが、元々が命令形なので、誰がどういう状況で使うかによっては、上から目線に感じてしまう。

「〜ませ」という表現がとても似合っていて素敵だと思った人がひとりだけいる。かつて私にお茶を教えてくださっていた表千家の先生。いつもピシッと着物を着こなしピンと背筋を伸ばして、お点前のお稽古の時には「このようになさいませ」などと注意してくれる。そして、お稽古が終わると、「ご自服で召し上がれ」と自分でお茶を点てて飲むように勧めてくれるのだった。

なんだか昔の武家の子弟の教育係か躾担当のよう。先生の「〜ませ」と「召し上がれ」にはいつも厳しさと優しさの両方を感じた。先生は立場的にも年齢的にも私よりずっと上だったから「〜ませ」がとても自然で素敵だった。

また、ホテルのフロント係が「こちらでお待ちくださいませ」などというのもたいそうつきづきしい印象がある。サービス業のプロが仕事に徹しているという感じでかっこいいと思う。

言葉はファッションと同じだ。その人の個性と感性を如実に投影するからある意味で怖い。TPOに応じた使い分けもできなきゃいけない。頭の先から爪先までブランド物で固めてもダサい人はいるし、どこにでも売っていそうなTシャツとジーンズでもめちゃかっこいい人もいる。

丁寧語を完璧に使いこなしていても硬い印象を与えるだけでちっとも素敵じゃない人もいれば、少々乱暴な言葉を使っても、周囲に温かくて優しい印象を与える人もいる。私のお茶の先生のように着物を着た立ち居振る舞いが美しい人じゃなくても、Tシャツにジーンズでも、「〜ませ」を素敵に言える人がいるかもしれない。ただ、言葉の選び方や使い方のセンスが相当高度じゃないと「イタイ人」になってしまいそうだ。

あなたは言葉でどんな自分を表現したいですか。果たして「〜ませ」はあなたに似合っているでしょうか。私は20年くらい前に1度だけメールで「〜ませ」を使ったことがある。でも1度でやめた。私にはぜ〜んぜん似合わないと思ったからだ。



らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

昼間でも聴ける深夜放送"KombuRadio"
「ことば」、「農業」、「これからの生き方」をテーマとしたカジュアルに考えを交換し合うためのプラットフォームです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?