「第三次中東戦争全史」
マイケル・B. オレン著 滝川義人訳 原書房 2012年2月
1967年6月5日から10日にかけて勃発した第三次中東戦争(六日戦争)について現時点ではもっとも詳しいと思われる書籍。
著者はイスラエルの元駐米大使で原著は2002年の刊行。本文で600ページ弱ほどの大著ですが、戦後約40年弱の期間を経て、各国の情報公開とインタビューなどから、戦争の全体像を多面的に描くことが可能になったとのことです。
全体の約半分ほどをかけて開戦に至るプロセスを詳述することで、些細な衝突から全面戦争が不可避となっていくプロセスを時系列的に詳細に解き明かしていくところは圧巻。
(とはいえ、ここまでが読むにはちょっと辛いところ)
一般にはシリア国境での小競り合いにエジプトのナセルが呼応してチラン海峡の封鎖、ナセルの要求により国連平和維持軍の撤退とシナイ半島へのエジプト軍の進出が戦争の引き金となったとされていますが、そのプロセスにはさまざまな誤解やちょっとした齟齬などが重なり、相互不信が募っていく様は、六日戦争に限らす、あらゆる紛争について回る不幸の連鎖ともいうべき要因がいかに大きいかを浮き彫りにしていると思います。
ナセルにイスラエルが開戦の意思ありとしてガセ情報を吹き込んだのは、当時副大統領だったサダトが1967年4月にソ連を訪問した際に会見したソ連指導部であり、これを聞いたナセルが情報を鵜呑みにし、シリアと呼応する形でエジプトが一気に緊張状態に持ち込んだとのこと。
開戦の直前にエジプトには先制攻撃の計画「暁(アルファジル)作戦」があったが、直前でキャンセルされ、反対にイスラエルの先制攻撃で壊滅的打撃を被ります。
当初先制攻撃の意図を持たなかったイスラエルがどのようなプロセスで先制攻撃に傾いたのか?
そもそも、「暁作戦」はイスラエルに先んじて戦略目標の空爆、エイラートの占領からネゲブ全域の占領を目指すもので、イスラエルの戦争意図を封じることが目的でしたが、
・開戦後のソ連の協力に不審が拭えなかったこと
・開戦後にアメリカが介入する可能性
・イスラエルに計画が漏れたとナセルが考えたこと
により中止。
ソ連の態度の微妙な変化はチラン海峡の封鎖によってソ連側が戦争の拡大を恐れて消極的になったことにありますが、“イスラエルに計画が漏れている証拠”はコスイギンがジョンソン大統領からイスラエルが計画を感知している旨の親書を受け取ったことを駐エジプトソ連大使からエジプト側にもたらされた情報によるもの。
ソ連が如何にエジプト側の専制攻撃に懸念を持っていたのかが窺われます。
一方でイスラエル側はエジプトの開戦準備に大きな懸念を抱いていたことに加え、開戦が不可避ならば先制攻撃で敵に致命的な打撃を与えてしまいたい、との思惑が働いたようです。
それを後押ししたのがダヤンの国防相就任でした。
第1次中東戦争以来の英雄ダヤンはイスラエルでは軍神のごとく崇められており、当時国防相を兼任していたエシュコル首相で開戦を迎えるよりは経験豊富で国民から絶大な支持のあるダヤンに戦争を任せたい、との空気があったとのこと。
開戦に前向きなダヤンの押しの強さもあり、イスラエルは一気に先制攻撃に傾く。
アメリカは当初イスラエルの先制攻撃には強い難色を示していましたが、次第に容認の空気に変わってきたとのこと。
ヨルダン川西岸(含む東エルサレム)とパレスチナ難民を抱えるヨルダンのフセイン国王が開戦に消極的ながらもナセルに引きずられて開戦を決意するに至るプロセス、エジプト・イスラエルの双方の相互不信、双方の開戦意図の読みの変転、先制攻撃に対する躊躇と各国の対応が刻一刻と変化し開戦に至るプロセスの全体像が描かれていく様子は、時間が経った今だからこそ明らかになった情報の積み重ねにより、下手なドラマよりも興味深く、また大変面白い読み物となっています。
イスラエル側はもちろんのこと、エジプト・ヨルダンの情報が豊富に含まれているのに対し、シリアの情報が明らかに薄いのは、当時も今も対イスラエル・対西欧諸国という点で一貫して“あちら側”に居る抑圧国家たるシリアは、相変わらず情報が殆どオープンにならない、という事情によるものと思います。
開戦後の描写は6日間それぞれの動きを詳細に描写。
軍事的な面での戦争の推移は本書以外にもよく知られているところですが、本書で興味深いのは各国の関係者のやりとり。
たったの、とはいえ6日間で戦闘が停止するまでの間にどのような駆け引きがあったのか、詳細を知ることができますが、こうした水面下での国際間のやりとりはその後の戦争でもおそらく同様に行われていることと思います。
戦争後半での興味深い事実としては開戦4日目の6月8日に起きたアメリカの情報収集艦リバティ号のイスラエルによる攻撃事件があります。
基本的には誤射であるとの一般的認識かと思いますが、その後今世紀に至るまで、イスラエルの攻撃が意図的なものであったのではないか、との陰謀説が繰り返し論じられてきました。
本書の記述はやはり基本的には誤射との見解を踏襲していますが、当事者の証言などこの事件の詳細を知るうえで、初めて知る事実もあり、興味深いものがありました。
数次にわたる空軍機の攻撃に加えて魚雷艇での攻撃もあり、沈没寸前までに執拗に攻撃を受けた当事者的には、これを誤爆として納得するのは難しいという心理もあるかと思います。
意図的とする考えの中には根拠も曖昧な陰謀論に近い話も多いなかで、誤射に至る状況が整理されて記述されている本書の内容を見る限りでは、やはり意図的とするには無理があるという印象です。
1960年代という時代以降のイスラエルとアメリカの関係を考えれば、陰謀論以前にアメリカの艦艇をイスラエルが攻撃する合理的理由を探すこと自体、非常に難しいと思います。
ここで留意すべきなのは、戦場で交戦国以外の艦艇が国家の意図に関わらず(偶発的に)攻撃されることで起きるリスクにある、といえるでしょう。
旗が早期の攻撃で失われた、煙で識別番号が目視できなかった、という不幸な出来事やヒューマンエラーがあったことが1967年当時という状況を考慮に入れるとしても、21世紀においてもまったく起きないとは言い切れなのではないか、という気がするのです。
戦争の結果は今日誰もが知るようにイスラエルの先制攻撃による圧倒的な優勢下での戦闘であり、特に緒戦でのイスラエル空軍によるエジプト航空戦力の壊滅はまさにパールハーバー的圧倒的戦果で、爆撃機の全てと戦闘機の85%を喪失。
これはシリア空軍に対しても同様で、戦力の2/3を失ったとのこと。
地上戦においてもシナイ半島全域のイスラエルの占領という地滑り的勝利に終わり、僅か6日間でイスラエルは占領地を3.5倍に拡大し、世界の多方面でイスラエルという国に対する姿勢を改めさせる結果となりました。
とりわけ、大きな変化が生じたのはアラブ世界とソ連で、アラブにとってイスラエルは殲滅すべき小国であったものが、容易には殲滅不可能な強敵となり、ソ連にとってイスラエルという国は大敗を喫したエジプトとシリアに対する仮想敵としてのアメリカの傀儡国家の姿と映るようになった。
結局その状況が6年後の第4次中東戦争へと繋がっていくわけですが、今日まで続く第三次中東戦争の直接の影響としては、そのまま続くイスラエルの占領地政策とその長期化・固定化の弊害でしょう。
直後に採択された国連安保理決議242号は今にも続く国連としての公式な対イスラエル政策の基本的姿勢をなしていますし、この半世紀の間、僅かでも進展のあった部分といえば、占領地にまがりなりにもパレスチナが国家らしきものを手にした、という事実のみです。
その後の中東問題のトレンドはアラブ‐イスラエル間の紛争よりもイラク戦争以後に雨後のタケノコのごとく発生したISをはじめとするイスラム過激派への対処に焦点が移ってしまった感じがありますが、この膠着状態の数十年が、対イスラエルという“アラブの大義”を薄れさせ、最近でのUAEとバーレーンのイスラエル国交正常化へと舵を切ってきた根源的な原因となっていること(もちろんこの地域の問題のもうひとつのプレーヤーとしてのイランの存在は決して小さくないのですが)を考えると、国際社会が漫然と、なし崩し的にイスラエルの占領地政策を放置し、問題を先送りし続けてきたことのツケがこのような結果を生んでいる、と言わなければならないでしょう。
最近のウクライナ問題や北朝鮮のミサイル問題などで安保理の機能不全が改めて問われているわけですが、それは何もソ連やロシア、中国といった非民主・抑圧国家だけの問題ではないことを改めて思い起こさせるのです。
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