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「アイヒマン調書 イスラエル警察尋問録音記録」

ヨッヘン・フォン・ラング編 小俣和一郎訳 2009年3月 岩波書店刊

https://www.amazon.co.jp/dp/4000220500

 
アドルフ・アイヒマンは終戦前後に死亡もしくは戦後ニュールンベルク裁判で有罪とされ処刑されたナチスのホロコースト関係者を除くと、戦後逃亡していた主要な関係者としては最重要人物であり、ホロコーストの実行が行政施策としてどのように実行・処理されていったのかを知るキーパーソンでもあった。
1960年にモサドにアイヒマンが拘束され、イスラエルでの裁判を通じて彼の果たした役割が明らかになると、その官僚的冷徹さと合理的な事務処理能力の才が、おぞましいジェノサイドの実行犯らしからぬイメージであることが驚愕をもって迎えられ、ハンナ・アーレントをして“悪の凡庸さ”と評されたことで、よりその特異性がクローズアップされて、今日まで伝えられることになったのでした。
アイヒマンの裁判についてのレポートと評論はそのハンナ・アーレントの『イェルサレムのアイヒマン』が断然よく知られていますが、裁判の傍聴記録とアーレントの主観的意見や注釈が混然一体として語られ、一文節が非常に長い文章の特徴もあって、決して読みやすい書物とは言い難いものがあります。
一方で本書は裁判の前にイスラエル警察によって尋問された275時間に及ぶ録音を纏めたもので、オーストリアを出てドイツでSDの隊員となってからホロコーストに関わり、戦後アルゼンチンに出国するまでの経緯が語られています。
 
ほぼアイヒマンの聴取記録のみで構成されているため、『イェルサレムのアイヒマン』のような内容の切り分けをしつつ読み進める必要もなく、親衛隊-SD-ゲシュタポの組織的関係や、その関連人物、歴史的事件等については最低限の解説も付記されているので、この方面にあまり予備知識のない人にも理解しやすい書籍といえるでしょう。
まあ、もちろんホロコーストについてまったく予備知識を持ちあわせていない人が、本書からホロコーストについての初歩的知識を得ようとすることは事実上考えにくいので、そうした心配はなおのこと不要かと思います。
 
本書はあくまで裁判になる前のアイヒマンの主張を記録したものなので、アイヒマンの果たした歴史的位置づけと責任の重さについては、別途知識を補完しなければ、正しい認識を得ることはできないわけですが、本書のもっとも大きな資質といえるのが、尋問で明らかになるアイヒマンの実務についての詳細とそれに対するアイヒマンの弁明(=言い訳)が素の状態でのアイヒマンの個人的見解という形で知ることが出来る点にあります。
イスラエルの警察は戦後15年のうちにナチスの記録を膨大に集積することでアイヒマンの役割を綿密に調査しており、尋問の際に証拠をひとつひとつ付き付けることで、アイヒマンの役割を克明に問いただしています。
これに対してのアイヒマンの答えはほぼ一貫して
・ユダヤ人関連の業務は殆どが上司(カルテンブルンナー、ハイドリヒ、ヒムラー、そしてヒトラー)の命令による
・SS隊員として命令に絶対服従の誓いを立て、それに忠実であろうとした
・殺害や逮捕は業務上の権限の範囲外
といった主張に終始しています。
 
ホロコーストにおけるアイヒマンの主な業務は
・収容所への移送業務とそれに付帯する各機関との調整・管理・監督
・ユダヤ人の没収財産の管理及び分配
で、この範囲内においてはアイヒマンの業務はホロコーストの主導的立場というより、その実務の円滑な運用という、極めて官僚的・総務的な仕事で、その点では収容所での直接的殺害といった実作業とはたしかに違うものでした。
とはいえ、その権限の及ぶ範囲は極めて広範囲で、ドイツ国内及び占領地でのある地方からユダヤ人の一掃が決定されると、逮捕・収容・移送・殺害計画(=絶滅収容所への入所)についての一切のコントロールを任され、その人数・方法・日時の決定の全てがアイヒマンを通して行われるという仕組みになっていました。
本人がいかにその役割が実務的な範疇に限られ、直接的に手を下していない、などと説明しても、その権限の絶大さはまったく言い逃れできない規模であったわけです。
更に、実際には研究機関からの求めに応じ、人体標本用のユダヤ人の手配を行ったり、1944年にハンガリーのホルティが逮捕され、ドイツの占領下に入ると、ハンガリーのユダヤ人ついてほぼ独断的指揮下で(ヒムラーによる一時中止の命令もあったが準備をすすめた)その移送を行うなど、その役割は末期になるにつれ、大きなものとなっていったのです。
 
調書ではSDのユダヤ人課に配属されて間もない頃のことも述べており、命令によりテオドール・ヘルツルの「ユダヤ人国家」を読んでユダヤ人の追放先としてユダヤ人国家の建設の必要性を認め、
・パレスチナへの視察を敢行(英国政府の入国拒否により通行ビザのみの発給を受け、ハイファからカイロへ移動したのみ)
・フランス占領に伴い、仏領だったマダガスカルへのユダヤ人の移住を計画
するなど、意外な活動も行っており、
また、ユダヤ人の移送を円滑に行うため、ユダヤ人コミュニティの代表と円滑な関係を結ぶ必要から、ヘブライ語を習得し、ユダヤ人の知己も多く、彼らからは信頼もされていた、などとも発言しており、業務の一環とはいえ、ナチスの内部にあってユダヤ人とシオニズムについての専門的知識を備えていたことが分かります。
このような発言を具体的・詳細に行うことで、他の戦犯との違いをアピールしようとの意図もあったのでしょう。
 
調書全体からはっきり伝わることは、やはりアイヒマンという人物はヒムラーやハイドリヒほかのナチスの大物と違い、ハンナ・アーレントが指摘しているように、その人物像はやはり思想的な面でのガチな主義者というより、その官僚的実務の的確さと正確さで、特異な役割を持った人物であったといえるでしょう。
親衛隊での階級も中佐止まりで、その役割に比して非常に低いものとなっており、親衛隊内においてもアイヒマンの存在は単なる事務方と捉えられていた可能性が高いと思われます。
 
それにも関わらず特にアイヒマンが注目される理由には、戦争直後に逮捕された他の戦犯より10年以上も遅れて裁判にかけられたことで、単独の被告として耳目が集まったことや、やはりテレビ中継でその姿が報道されたこと、その特異なホロコーストとの関わりが興味の対象となりえた、ということにあるでしょう。
更に、ハンナ・アーレントの著作やその批評が非常にシンプルな言葉として“悪の凡庸さ”という一言に集約されたことで、アイヒマンなる人物のイメージは永久に固定された、まさにその点こそが実はアイヒマンの名前が突出して有名となった最大の要因でもあるといえるのではないか、と思うのです。


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