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「検証 ナチスは「良いこと」もしたのか?」

小野寺拓也、田野大輔著 2023年7月 岩波ブックレット1080

ネット界隈を徘徊していると、たまに出くわすのが本書のテーマでもある“ナチスも良いこともした”論です。このような主張にはナチスの根本的な行動原理を矮小化あるは無視して、事の表層のみで一見普通の行政組織で行われているような「良いこと」もした、といった論法で展開される。常々こうしたコトの本質を見ない物言いには苦々しく感じていたところですが、本書はまさにこうした議論の根本的な部分で論破するための考え方が、理路整然と、非常にシンプルにかつ説得力をもって語られています。

本書ではまず、歴史的事実を巡る理解の仕方について大別して3つの階層に分けることの重要性を説く。

その3つとは〈事実〉〈解釈〉〈意見〉

本書で述べられていることを要約しつつ、私なりの言葉として整理するなら

〈事実〉とは日時や具体的な検証可能な記録に基づく出来事、それから逸脱することのない類推可能な範囲での推測
〈解釈〉とは〈事実〉の積み重ねにより導き出される知見であり、表層的に確認できる事実がどのような原因(理由)により引き起こされたのかを導き出す考え方であり
〈意見〉とはそれにより導き出された結果に個人がどのように思うのかを意思を明確にすること

といったところかと思います。

本書で著者はこの〈解釈〉のプロセスは非常に重要であり、〈解釈〉を飛び越して〈意見〉への飛躍が行われた場合に起きる危うさは何度でも指摘しておくべき、としています。
こうした飛躍はナチスに限った話ではなく、凡そ世の中に溢れるトンデモ論の多くはこうしたプロセスで生成されているであろうことは間違いないでしょう。

本書はそうした議論の土台を踏まえたうえで、ナチスの体制が本質的にどのようなものであったのかを章立てして整理していきます。
まずナチズムとは何か、次いでヒトラーはいかにして権力を握ったのか、ドイツ人は熱狂的にナチスを支持していたのか、という点。

ナチズムの根本には「民族共同体」という考え方があり、その根本は純潔の“アーリア人”による共同体という大原則がある、その共同体の内側に入り「民族同胞」となるためには「人種的に問題がなく健康で反社会的ではない人々」である必要があった。

“非アーリア人”たるユダヤ人やロマはもちろん、外国人、共産主義や社会主義者、アナーキスト、同性愛者、精神病患者、身体障害者といたところはナチスのいうところの「民族同胞」=国民から除外された。

こうした限定された「民族同胞」のみにナチスは福祉や社会インフラの提供を行ったのであり、ナチスの行った「良いこと」の多くがこうした「民族同胞」のみに作用し、また除外された人々から権利や財産、生命をも収奪したという点は上記の〈解釈〉に相当する非常に重要な部分といえるでしょう。

ナチスが議会を掌握してヒトラーが総統となるプロセスも、事実を良く知っていれば、それが民主的プロセスを経て行われたわけではないことは明白であり、また国民の熱狂的支持があった、という点についても、まずその支持が「民族同胞」から行われたものであり、また「民族同胞」の生活改善に資する政策を大々的にアピールし、その一方で民主的システムをことごとく廃止しつつ反対論者を封じ込める政策やプロパガンダのおかげで“熱狂的支持”のイメージを過大に喧伝したことは明らかといえます。

従来から明らかにされてきたこうした〈事実〉や〈解釈〉が本書で簡潔に纏められ、整理されて記述されることで、一般の人々にもナチスという体制の土台がどのようなものであったのかが理解しやすいようになっています。

こうした土台を踏まえてナチスのした「良いこと」の実相を主に

・それがナチスのオリジナルな政策だったのか
・ナチスの体制にとってどのような目的をもっていたのか
・その政策が肯定的な結果を生んだのか

という観点で検討していきます。

歴史の〈解釈〉において上記の3点に絞って議論することは〈事実〉の包括的な解釈といえるかといえば、全てを包括しているとまではいえない部分はありますが、本書の目的が「良いこと」もしたのか?という点にあり、100ページちょっとという紙数で論旨を要約して書く必要を考慮すれば、論点をこの3つに絞ることは大いに理に適っているといえるでしょう。

上記3点で指摘を行えば、ナチスが良いこともした、というトンデモ論の殆どは完膚なきまでに論破可能だと思われます。

本書では具体的に

・経済回復はナチスのおかげ?
・ナチスは労働者の味方だったのか?
・手厚い家族支援?
・先進的な環境保護政策?
・健康帝国ナチス?

と章立てしつつ具体的政策の内容を見ていきます。

具体的には本文を読んでいただければ明らかなように、上記3点の観点で見れば、それがいずれも「良いこと」とはいえないものであったことが明らかにされていきます。

基本的にそれらの政策はナチスのイデオロギーに添った活動であったこと、それらの政策はあくまでナチスの「民族同胞」に対する福祉とインフラの整備で、それは第三帝国の成立(=他民族と他国からの収奪を前提とした経済圏の拡大と民族の浄化)という政治的目標達成のための手段として決定されてきたものであることが明らかになります。

経済回復はナチス以前の政権の政策をナチスがそのまま採用し、アウトバーンの建設などでそれが国民生活に資するとして誇大に喧伝した結果であり、「民族同胞」の除外者を労働市場から一掃したことで失業者が減り、戦争準備のための軍備拡張による生産増が経済回復を後押しした(それが戦争による他国の人略による収奪を前提としなければ将来的な破綻が明白であるという大前提に行われた)、一見ナチスのこうした大目的と環境保護がなんの関わりがあるのか?という点についても、それは“ドイツ的”な伝統や文化を称揚し、民族主義を煽ることで民族浄化のための政策であることが明らかにされていきます。

これらの点を踏まえて、なおかつナチスが「良いこと」もした、などと言うとなると、それは正しく行われるべき〈検証〉を飛び越して単なる〈意見〉のみに固執する非論理的思考による帰結というよりほかないでしょう。

実のところ、これまでさまざまなところで一般に指摘されてきたことの多くを知識として身に着けていれば、本書での指摘は特に目新しいことではなくて、一般的なナチスの〈解釈〉としては、これまで通り至極当然といえることが殆どといえます。

むしろ、本書の言わんとしていることの本質的な重要さは、単にナチスのしたことの評価ばかりでなく、それ以外の、歴史上の出来事に対しても同様の思考法でトンデモ論の論破が可能である、という点にあります。

例えば、大日本帝国は他国を侵略したのではなくアジアの解放のために戦争を起こした、だの、教育勅語にも「良いこと」はある、だの、ロシアがウクライナに侵攻するのは西欧にそそのかされたウクライナのネオナチを掃討するためだ、といった巷間よく耳にするトンデモ論の類は、〈事実〉の〈解釈〉に齟齬があるばかりでなく、自身の主張に都合の良いようにしか物事を解釈できない、単なる〈意見〉の表明に過ぎない、という問題の本質に目を向けることが出来るようになる点にあります。

急速なSNSの発達過程で、個人が何らかの意見を表明する機会が劇的に増えた結果、狭量な民族主義と論理を超越したポピュリズムが横溢する現代にあって、こうした歴史上の出来事や現在進行中の政治的課題について、正しい知見と解釈を持つことの重要性はますます増してきていることは明らかであり、本書のもつ重要性は過去にないほどに極めて高くなっている、といえるでしょう。

ナチスが「良いこと」もした論に少しでも反駁の論拠となる知見が弱いと感じる人や、歴史認識について、あるべき知見を持つことの重要性を認識する人など、1人でも多くの人に読んでもらい、少しでもポピュリズムの浸透に歯止めがかかることを期待したいと思います。

PS
以下、蛇足ながら些細なことで気になるところがいくつか

軍需大臣のアルベルト・シュペーアの前任者としてフリッツ・トット(Fritz Todt)の名前が登場しますが、これは一般にはトットではなくトートの方が良いのではないかと思います。
ウィキペディアの日本語版にはトットとも、と表記がありますが、トートの創立した政府主導の公共工事の事業体はやはり一般の日本語では「トート機関」と呼ぶのが普通でしょう。
本文でアウトバーンの工事を主導した人物としてトットの名前は出てきますが、本来であればトートの死後もシュペーアの主導でこれを引き継いだ組織としてトート機関の名前が出て来るのがより順当かと思います。

また労働者のためのレクレーション機関として「歓喜力行団」の名前が頻繁に出てきて、「歓喜力行団」の名前を冠した労働者のための車として「フォルクスワーゲン」のことが紹介されていますが、これは間違いとはいえないものの、社名としての「フォルクスワーゲン」と混同される恐れもあり、「歓喜力行団」の独名“Kraft durch Freude”を冠した車としてフォルクスワーゲンの「ビートル」は”KdF”の名前が冠された、といった解説がある方がより分かりやすいのではないか、という気がします。

あくまで、一般向けの啓蒙書というスタンスであり、なるべく専門的と思われる用語の使用は避けたのかもしれませんが、少々舌足らずな印象は拭えず。

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