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それぞれの日常

うちのおばあちゃんが、一週間前に出席した大叔母の一周忌のときに撮った記念写真が届いたから、見せてあげると言って見せてくれた。

いろいろな人が写っていて、何人かは見覚えのある人も居たが、大体は、あまり覚えていなかった。

おばあちゃんが「昔〇〇(自分の名前)が小さいときに遊んでくれたお兄ちゃんはこの子やと思う」と指差して見せてくれた。
小さい時のことだったので、顔を見て記憶を思い出そうとするが、なにかが邪魔しているな、という違和感を感じた。

よく見るとその人を含めた周り、集合写真に写っている約半分の人がマスクを付けていた。

最近、あまりにもマスクをつけているということが日常に溶け込んでしまっていたので、そこで初めて違和感の正体に気づいた。

おばあちゃんいわく、写真を撮ってる間だけ、マスク外してもいいですよ、と写真を撮ってくれた方が声を掛けてくれたのだが、思いのほか外す人がいなかったから、こんな写真になったそうだ。

「コロナ」という病気が、家族の歴史に刻まれたことを実感したと同時に、日本中、いや世界中の人々の家族の歴史に、この病気が刻まれ、この状況で、頑張って日常を送ろうとしている人たちにも、こんなふうに、この病気は侵食していくのだと、得も言われぬ驚異を感じた。

でも、その写真に写っている人達は、マスクをつけていること以外はごく普通。
とても元気そうだった。
咳をしている人も居なかったらしい。

今、外でマスクを付けていることが当たり前になりつつあるが、多くの人々の本来の日常は、外でマスクを付けることは当たり前ではなかったはずだ。
僕を含めて、それを忘れそうになっている人がいると思う。

なので、改めて言おうと思う。
私達の日常は、マスクをつけなくても外に出られるものだった。

マスクを付けなくても外に出られる日常を目指して、
マスク姿の家族の写真を見て、「大変な事もあったな」と、真に思える日常を目指して、
僕は、また今の日常を送ります。

皆様も、それぞれの今の日常を、頑張って送っていきましょう。

写真引用元:
読売新聞,都内主要駅に多くの通勤客、マスク姿で職場へ…「以前と比べ座席埋まるように」,https://www.yomiuri.co.jp/national/20200525-OYT1T50070/

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