『キングダム』のここがスゴイ!と誰も言わないから私が言う

今では知らない漫画好きはいないであろう原泰久先生の大人気作品『キングダム』(こういうときやたらと「大」とつけてしまうのは悪い癖ですね)。確かにすごい作品だ。スケールはデカイし熱量は落ちないし、登場人物の1人1人がちゃんと人間として活躍している。

ボクシング漫画は『あしたのジョー』、バスケ漫画は『SLAM DUNK』、中国史漫画は『キングダム』といって差し支えないんじゃないかというくらいに、質・人気を兼ね備えた大作です。

私もブームに遅れつつも、冒頭からグイグイ引き込まれて楽しませてもらいました。…でもね、確かにみんなキャラが立っていて戦いは熱くて、主人公も回を追うごとに成長していって次々一癖も二癖もある強敵が現れて、と面白いといえば面白いんだけど、それが続くと「だから?」みたいな気がしてくるんですよ。物語自体が秦による中華統一を描いているのはわかるんだけど、「それを通して一体何を伝えたいの?」と。

戦いに次ぐ戦いに意味が見出せず、あの最高に盛り上がると評判の合従軍編すら読んでは休み読んでは休みだったわけですが、そんな私を、ある一言がガツンと叩き起こしてくれました。それは第39巻ラストを飾る政のこの台詞。

「人の持つ本質は――光だ」
(『キングダム』第39巻大213ページ)

政が曰く、人は皆光を放ち、その光を次のものが受け継いで、さらに強く光り輝かせるのだ――と。

そう、『キングダム』ってそういう話だ!

この台詞を読んで、ハッとするとともに首がもげるほど納得したし、これまでのエピソードの数々が頭の中を駆け巡って、1つの壮大な絵図が完成した気がしました。

戦争なんて結局は殺し合いで、強かったから勝ったというそこに正義があるわけではない。武力で他国を潰そうとすることも然り。しかし信がいつも前を向いて力を振り絞って、政は信を信じて上を見つめ天下統一を目指す。その姿が美しいのは、多くの人間を照らす光を放っているからだよ!

紫夏も王騎ももちろん同じく強い光を放つ人物でしたが、私がこの台詞から最初に思い出したのは、政の兄・成蟜のことでした。彼は登場するたびに、秦の通った立派な王族として成長しています。それは、政がいたからです。そしておそらく、傍らで瑠衣が支えたからです。だからこそお互い輝きを放ち照らし合って、最期はそれを人に託したのです。

だからこのシーンで、瑠衣がいたのはものすごく嬉しかったのですが、どこかに同志はいませんか…。(話がそれるけど、『キングダム』に一貫してある女性へのリスペクトが話題にならないのはなぜ?)

『キングダム』の最大の名台詞はこの「人は光だ」だと思うのですが、まーこれがほとんどファンの間で語られない。このテーマがあるからこそ、桓騎ラスボス説がひときわ興味深いものになると思うんだけど? テーマとか気にしないんでしょうか最近の子(おっさん含む)は。

旦那にこの論を語ったところ、初めてこの台詞の意味が分かったみたいな顔をしていました。よってそれ以降、何かにつけて「『〇〇(←旦那の名前)にはわからないだろうが人は光だ』って政も言ってたしな」と言ってdisるのが1つの定型句になりました。こうね、いろんな名言にね「〇〇にはわからないだろうが」をつけるというね。

最近では、「『〇〇(←旦那の名前)にはわからないだろうがイツモイッショニイタイカラ』ってピカチュウも言ってたよ」ですかね。

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