表現規制は何のためにあるのか考

皆さんは、表現規制が何のためにあるのか考えたことはありますか。規制が善か悪は、どこが基準かを考える前に、まず何のための規制なのかがわからないと、議論自体に意味がありませんよね。

「慎み」のための表現規制という考え方

表現の自由が保障されているのに、なぜ大っぴらにしてはいけない表現があるのか。あるいはなぜ年齢で可不可を決めるのか。私が思うにそれは、世の中に「慎み」を保つためではないでしょうか。

「慎み」とは「何でも見せればいいわけではない」という、社会生活における常識的な秩序のことです。人間が社会生活を営むにあたり、何でもかんでもさらけ出すのは良くない。何でもありにしてしまうと、人間の心のタガが外れてしまい、きっと何事にも締まりなく、だらしない社会になってしまうことでしょう。

隠すものと見せていいもの。この2つについてある程度の線引きを設定しておかないと、例えば酷暑日に誰かが素っ裸で歩き出せば、いつの間にかそれが当たり前になってしまうかもしれません。満員電車や職場、学校など、たくさんの人が集まる場で局部すら隠さない人が増えると、どんなことが起きるのか想像するのも嫌です。

人前に出るときはまともな服を着ようとか、自分が聞かれて平気でも公の場で性的な話をするのは良くないとかそういった感覚を養うために、性的表現の規制はあるのではないか、というのが私の考え方です。

この感覚は説明されたからといって身につくものではありません。できれば幼いうちから、隠すべきものを隠させる教育を行うべきでしょう。自分の体のプライベートゾーンについてはもちろんですが、その他、一般的に性的な興奮や興味をそそられるものについては、せめて隠れて嗜むようにすることを教えなくてはいけません。極論、見ていると親に怒られるから隠れて見るという形でもいいと思います。下ネタは仲間内だけで楽しむとかね。

ハレとケ、公と私を分けるのとも近いかもしれませんね。明文化は難しいが、世の中の秩序を守るために大事な線引き。そのうちのひとつが表現規制なのではないでしょうか。その感覚を養うため、こと18歳以下には厳しく設定されていると考えると、合点がいく気がします。個人的にはR18は「18歳以下が絶対見てはいけないもの」ではなく、「子供たちが大っぴらに見てないか大人たちが目を光らせておくべきもの」なんですよね。その線引きなら確かに、表現者や発行者が自主的な規制として行うのが望ましいと思いませんか?

少なくとも、「見て傷ついたー! 性搾取!! 撲滅せよー!!!」なんてのはあまりに的外れ。個人的にはね。

私が表現規制に賛同する理由

というわけで、私は表現規制には賛成派です。あくまで「慎み」のためのという意味でですが。※性的表現は全部取り締まれ派では決してありません※

世の中の秩序のために有用というのもありますが、正直個人の好みとして、何でもありの表現てつまらないというのが最大の理由です。

ちょっとこの2枚の画像を見てください。

出典『銭ゲバ』(作:ジョージ秋山 幻冬舎文庫)下巻20ページ
出典『銭ゲバ』(作:ジョージ秋山 幻冬舎文庫)下巻151ページ

良画像の3コマ目が何を表現しているかわかりますか。これ実は、ジョージ秋山氏独特の、2人に肉体関係があったことの比喩表現なのです。主に古い作品でよく使用されています。(ちなみにこの文法に則るとものすごい乱交状態を表すことになるカットが『ダイの大冒険』にあるので興味のある方は探してみて)

2人の男女がベタをバックに裸で交差する=過去の肉体関係!

この婉曲表現、趣深くないですか。目線や交差する角度などで微妙に異なる個々の関係を描写していて、しかも読者も直感的に理解できます。こういう婉曲的かつ直感的な表現が生まれてほしいなと思うわけですよ。主に漫画文化に。何でもかんでもそのまま描くんじゃなくて、伏せてあるのに何のことかわかる、伝わる、そういう表現てそのレベルの高さにゾクゾクします。

過去には瞳の映り込みとして女性器を描いたり、透かしを使ってより踏み込んだ画像が見られる方法を編み出した作家さんもいましたよね。そういった創意工夫はやはり、直接描いてはいけないという規制があるから生まれたのではないでしょうか。あからさまなもろ出しでもなく芸のない白塗りでもなく、作家が考えに考え抜いた末の独創性。それはきっと果てしなく尊い。

コマ漫画でさえ生まれてから100年以上経つのに、まだまだ表現の余地が残されているかもしれない。それをもっと見たい、見せてほしい。そのために「慎み」のための規制というのはあってほしいなと私は思います。

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