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”親、友人、社会の目”を捨てて初めて、自分の人生のスタートラインに立てる話

「一歩進みたいけど進めない人」に届けばと思って書く。

このnoteが多くの人に「山下もこんな時期があったんだ」って思われるようにあえて書く。7分位、かかるから読みたい人だけ読んで貰えると。

完璧を追い求め過ぎて、結局完成した頃には感情が変わってしまって書きたかったnoteを書けないことも多々。なので雑だけど完了思考で書く。

最近、感情なんか1週間も経過すると全く違うことを考えるレベルで目まぐるしく動いている。だから今、書かないと書けなくなる。
どれだけ下書きのnoteが山積みになったか。笑

最近の趣味は、現状の自分が考える、自分より凄い人で、背中の片隅だけでも見える人の過去のnoteなどを漁り続けること。

「同じ人間だと思えないあの人も、意外と最初は人間だったんだ」ってことを感じながら読んでる。そこから盗んでいる。もっと盗む。

友達に「智也は成功者の思考をまずは盗んだら良い。結局、思考からしか結果は生まれないから」と。間違いないな。もっと勉強しよ。自分は自分で調べて学ぶ姿勢が弱過ぎる。もっと貪欲に。

成功者の定義を自己実現した人と考えた時、自分も将来必ず成功者になる。
後出しジャンケンで成功してから、綺麗に演出した部分だけを見せるのは、自分の目指す姿とは違うので、何者でもない自分が書く。
その為に、成功者じゃない今の自分の等身大のnoteを書く。


「お前の人生楽しそうだね」と言われることもある。
全然、楽しくない。マジで。
いや、楽しいねんけど、定期的に後悔しかないし、嫌気している。

今の思考のまま、人生リセットしたい。
最低、大学入学からやり直したい。
天井の高い人に出会う度に飛び込む世界の未知さに直面して嫌気が差す。

様々な焦りとプレッシャーを感じ、覚悟を背負えない自分に嫌気がさして、胸が痛い。そういえば休学するかどうかの時もこんなのを毎日感じてた。きっと、これを乗り越えたら僕はもっと人として成長出来る。

そんなことを思っても仕方ないから、「今日もやるか!」と思いやってる。

そんな大したことはしていない。やけどレスを早くすることと、早起きをすることは意識している。あと感謝する。急に凄いことや凄いアイデアや人生が急激に進むと嬉しいけど、残念ながらそんなことはない。

だからまずは、”小さなことに拘る”が最低毎日実行すること。

地味なことの積み重ねが習慣になり、習慣が結局、人生を変えると信じながら生きている日々。

最近、遊んでも面白くない。生産性のない遊びが本当に面白くない。
遊ぶくらいなら自己実現が進んだ瞬間に面白さを感じる。
自分と関わった人が1歩を踏み出し始めた瞬間に幸せを感じる。

「ユニバでMTGしようよ」って誘いにはめっちゃワクワクする。
くっっそ、はよ年パス購入してユニバを庭のように使う。
(暫くは休学費用の支払い等ありまして、見送りです)

そんなことはどうでも良いや。
今日のnoteは「一歩進みたいけど進めない人」に届けばと思って書く。
何か始めたいけど始められない人と言葉も変えられる。
イメージは大学3年生位の自分。

大学3年生位の自分を等身大で振り返る。
当時の自分は世間で言う「意識高い系だけど別に何もしていない大学生」。目指していることは良い会社に入ること。

意識は高いから体育会に所属したり、就活を少し初めて見たり。インターンと言われるものを齧ってみたり。
でも何もしていないから所属してるだけだし、言ってるだけ。

このnoteを僕が所属した部活の知り合いが読むことはないだろうから、あえて等身大で書く。

僕はテニスをやってたけど、ずっと辞めたかった。
理由はイップスになってテニスが楽しくなくなったことや、組織の人と馬が合わなかったりとか。無限にある。
纏めると「ずっと辞めたかった」

でも僕は辞めなかった。
辞めなかった理由も無限にあるけど、纏めると大きく2つ。

①肩書きが欲しかった
②辞める勇気が無かった

この2つ。順に書く。

①肩書きが欲しかった
世間で言う体育会部活動所属は高学歴みたいな根拠のない肩書になる。
少し位は自分を良く見せてくれる。
僕は肩書きを集めて自分を良く見せたかった。
肩書きがある方が会社の印象も良いし、就活で言えば選考が有利になることもある。僕はそんな肩書きが欲しかった。

部活動に所属してるけど、練習を休む理由を考え続ける日常だったけど、辞めなかった理由はそれでしかない。「肩書きがある自分は魅力的だ」という訳の分からない確信を持って生きてた。

②辞める勇気が無かった
結局、辞める勇気が無かった。
色んな意味で勇気が無かった。
勇気がない自分だけの自分を隠す為に、「続けたい理由や続けた方が良い理由」を探し続けて、それを周りに伝えて、「周りが変われば自分は輝ける」けど、環境のせいで輝くことが出来ない悲劇のヒーローを演じ続けた。

考えれば無限に理由も出てくるし詳細に書けるけど、今日のテーマは完了思考だから次に進む。

肩書きが欲しい、辞める勇気がないという理由で惰性で今の活動を続けている人はいるのではないだろうか。それが会社かもだし、就活、課外活動、インターン、バイト、恋愛などなど。


人財教育の会社の有名な方に、自分が少しだけ変わった瞬間にかけて貰った言葉がある。

「やっと君は自分の人生のスタートラインに立ったね。君みたいな人は多くいるから、これからは君が過去の自分のような人を導けるような立派なリーダーになるんだよ」

これからこの人と関わることはあまりないかもだが、この言葉を忘れることは生涯ない。
そして周りにも言葉をかけて貰えた。
自分でも確信を得た瞬間だった。

本当に僕みたいな人はこの世の中に溢れている。

少しだけ自分のレベルが上がったようで、そういう人が分かるようになった。世の中の8割、もしくはそれ以上は自分みたいな生き方をしている。

何か心の底でやりたいことがあるのに肩書きが欲しかったり、辞める勇気が無かったり。始める勇気が無かったり。そもそも探すことを諦めて自分のしていることをやりたいことに昇華させてたり。
ざっくり纏めるとそんな感じ。

そういう人の中で、自分の人生と縁のある人を導ける人になりたい。
1歩を踏み出したいけど、踏み出せない人が歩み始めて、輝けるように導く。それは別に優秀とかはどうでも良い。論理や能力は後付け出来る。
また別の時に詳細を書くが、これが僕の掲げる”自分の人生の主人公になれる人を増やす”という人生理念に通ずる。

だから、自分の人生を諦めた人と関わることはもう諦めることにした。
諦めた人の定義は無限にあるけど、纏めると足掻くことを辞めて、自分の心に嘘をついていることを正当化した人。微妙。今度言語化しよう。

そして僕が一緒に人生を歩みたい人はこれを読んでくれる人で、僕が導きたい人は自分の活動に興味を持ってくれたり、感銘を受けてくれる人。

僕も、まだまだだからここからは超リアルな感情を書く。



ーーー周囲の目を捨てるーーー

”1歩を踏み出したい人が衝突する壁は世間の常識や、親の目や友人の目”。ここに尽きる。たまに思考のブレーキが外れてる奴がいるけど、彼らは凄い。天才。でも僕は凡人。凡人が1歩を踏み出せないのは”周囲の目”で間違いない。踏み出し始めたら別の問題が無限に生まれるが今回は割愛。

踏み出してから生まれる課題はビジネスで言う「1→10」や「10→100」であり、踏み出せない人が踏み出すのは「0→1」と同じ。

踏み出せば、こんなにも課題はあるのか、やりたいことはあるのか、世間は広いのかと「1→10」や「10→100」の壁にぶつかる。ただ、世間の目を諦めるという「0→1」を出来ない人にとっては”今の自分が見える世界が全ての世界”に見えてしまう。結局、人はやりたいことは無限にあってもこの、『0→1』が出来ないで人生を終える人がほとんど。

何を分かった気になってと思われるかもだが、24年も生きて、同級生は社会人2年目を迎えて、たまに近況報告をすると現実的なことしか言えなくなり、綺麗事ばかりを掲げてる。だからと言ってその人が嫌いになるとかではないけど、会話を合わせるようにしてる。

馬鹿なことを掲げるのは20代前半の友人が多い。だからこそ、20代後半になっても馬鹿みたいに社会で遊んでいる大人が好き。社会で自分を表現している人が好き。
100歳になるまで歳を取らなくても24年も生きれば、どんな人が自分の人生を諦めたか分かる。

「0→1」は周囲の目を諦めること。
ここを早く諦めないと歳を重ねるごとに綺麗事しか言えなくなる。

変わる時に必要なのは周囲の目を無視出来るかでしかない。
覚悟を決めるとかでもあるけど、まあそれも世間の目を諦められるかでしかない。無視できれば結果的に覚悟は決まる。


周囲の目は親か、社会か、友人。

少しだけ意識高い言動をしてみると良い。
大体、友人は揶揄するし鼻で笑う。
鼻で笑われるから次の日には鼻で笑う相手に自分が合わせる。
そして彼らと一緒にちょっと意識の高い人を心の中で嘲笑する。
これを繰り返すと、一生自分の「0→1」は出来ない。
僕は大学4年生になるまではずっとこれを気にしていた。
だから本当はあまり好きじゃない人に合わせて生きていた。

次に、今の自分が考える少し意識の高い言動を1週間繰り返してみると良い。やっぱり鼻で笑われるし、1日で辞めなかったからか、より居心地が悪くなる。ここで辞めたら、また一緒に関われる。
でもやっぱり「0→1」は完了しない。
でも結局、自分が折れて、1週間で辞める。

同じ言動を1ヶ月繰り返してみると良い。
今、いる環境からは確実に浮く。多分、自分もストレスを抱えるし、コンフォートゾーンの外側を彷徨っている。自分が悪いのか、相手が正しいのかを彷徨う。目の前で鼻で笑ってた人が、今度は自分のいない場所で自分を笑うようになる。人に目の前で弄られなくなると、冗談じゃなくなってるからきつい。目の前の人間関係が崩壊を始める。時には衝突をするかもだし、自分から距離を置く人が増える。ここで辞めたら、ギリギリ今の人間関係は継続できる。
でもやっぱり「0→1」は完了しない。

同じ言動を3ヶ月繰り返してみると良い。
多分、孤独になる。今までの人間関係は崩壊する。一定数の人は自分の元を離れる。自分の場合はSNSで自分を表現し始めたことだけど、フォローしているかどうかを人間関係の判断基準の1つにするなら、かなり外された。
組織も辞めたタイミングもあったけど、一緒に夢を語り合った人も、意気投合したと思った人も外された。
陰口も回ってきたし、分かりやすく人が自分の元を去る。
ただ、やっと「0→1」のスタートラインに立ったことになる。
まだ完了していないけど、ここまで来てスタートライン。

もちろん、自分の場合は様々な要因が重なりあったから一概には言えないが、「目の前の人が、自分が変わった結果、離れても良い」という覚悟を背負えるかが大事。

また詳細を書きたいが今日の目標は完了することなので進める。

目の前の人が離れて始めてスタートラインに立てる。

なぜなら、人間関係の容量が空くから。

基本的に関われる人には限界がある。

世界の人口は数十億人だけど全員と友達な人はいない。

リュックには容量がある。持てるものにも限界がある。

人間関係も同じ。ただ、結構、人は限界まで背負う。

だから新しい人が入る隙間はない。

だから自分が変わらないといけない。

変わると人が離れる。

これは残酷に見えるけど、ポジティブに捉えるべき。

隙間が出来るから”変わった自分を好きでいてくれる人”が入る空間が出来る。変わった自分を見て離れる人は無限にいる。ただ、変わった自分を好きでいてくれる人も無限にいる。どっちを大切にする方が幸せになれるだろうか。自分の人生を生きられるだろうか。

選択は個人の自由だから、好きな方を選ぶのが良い。
あくまで個人の主観だけど、後者だと思う。

心配しなくても変化した自分をそれでも好きでいてくれる人はいる。
そういう人が本当の友達だと思うし仲間、そして大切にする人。

ちょうど1年前、色々あり、僕は9割くらいの人間関係は崩壊した。

今、関わっている人は1年前知らなかった人しかいない。

ただ、それは崩壊したから出会えたのだと思う。

そして、今思うと、崩壊して良かったと思う。

そして冒頭に全然人生楽しくないけど、楽しい。と言ったのはそういうこと。変わった自分と関わってくれる人と関わり続けているからだと思う。



友人の次は親の壁だろう。

これは本当に厄介なものだと思う。

大体、人は最後は「親の為に」とか「親が・・・」という言葉を使って自己正当化したり、やらない理由を作り出す。まあ今の自分もそう。過去の自分もそうかな。僕は今、親から逃げている。これは後ほど書く。

ここからは結構、自分にも言い聞かせる意味で書く。

「親の為」に意思決定をするのは良いけど、親の為に生きて良いのか。「親が」という理由で意思決定をするのは良いけど、本当に後悔しないのか、自分。

親を理由にすると「親の人生を真似る」ことしか出来ない。
親の顔色を伺い、親の為に就職を選択して世間でいう安定を選ぶ。

それは本当に「自分の人生か?」「自分は生きた」と心の底から自信を持って言えるだろうか。自分の人生に責任を持てるだろうか。

就職を否定するとかではない。なんならした方が良い。
「親に言われたから」という意思決定や「親のために」という意思決定が良くない。

ここからは僕の話を書く。もしかしたらいつの日か、親が自分のnoteを読む日が来るかもしれないことを踏まえて書く。

僕はちょうど半年前、内定を3社辞退して大学4年生の秋学期から休学した。

話すと長過ぎるからだいぶ省略するけど、めちゃくちゃ怒られた。

内定辞退して休学という意思決定が凄いとか凄くないの話ではない。

マジでブチギレられた。現状、人生で一番怒られた。
「お前には無理だ、やめろ、馬鹿なことを言うのは良い加減にしろ、何があっても許さない、黙って就職しろ、理想を掲げるな、現実見ろ」
こんなことを来る日も来る日も言われ続けた。

最終的にはメンタルがおかしくなって、家から逃げるかのように旅に出た。
あれは旅をしたかったのではなく、家出に近い。

結局、休学もしたし、内定も辞退した。
そこからは随分と濃密な日々を過ごしている。
この前、自分の休学してからの半年を友達に話すと「やば、何年分の経験を取ってるん笑」って笑われた。良い意味で。

「親に言われたから」で意思決定を曲げないで良かったと思う。
曲げていたら今の自分は確実にない。
親が嫌いとかではない。凄く感謝をしている。

感謝は絶対にする。だけど、親の期待通りに生きる必要はない。
結構、残酷だけど、これが一番大事な気がする。
正直、友達は変えられる。極論。目の前の人と縁を切っても世界のどこかに友達は作れる。ただ、親は変えられない。難しい話。

親の期待を満たすと親は確かに幸せかもしれない。
だが、それは自分の幸せだろうか。
きっと答えは明確だと思う。
そんなことを繰り返すと、自分の子供が出来た時に、子供に自分の期待を満たす為の意思決定を強要する人になる。

自分が幸せになれば親も幸せに出来るはず。理想を追いかける。

もちろん、今でも毎日親に怒られる。
「あれをしろ、これをしろ、あれはするな、これは良くない、就職しろ、ベンチャーはやめろ、大手に行け、リクルートはどうするんだ、変なことをするな、今はどこにいるんだ、何をしている」そんな毎日。
良くもまあ、これだけ言葉を浴びて、まだ親に反抗しているな。笑
どうにかして親とは終戦協定を結びたい所である。

ただ、もう1回位は親と大乱闘をしないとと思っている。
「就職をしない」という意思決定。
分かりやすい言葉を使うと「起業」をすることになる。
経営者の道を本格的に目指すことになる。

きっと大否定もされるし、メンタルズタボロになるし、今度は沖縄の孤島とかに1人で1週間位、籠りそう。笑

これを伝えたら、多分、怒られるとかのレベルではすまない。
ただ、ここを超えないと自分はスタートラインに立てない。

「0→1」は周囲の目を諦めること。

ここを達成するには、友達と親の壁を乗り越えないと。

社会の目は友達と親の壁を乗り越えられると超えられる。
血縁関係のある人と、縁のある人の壁を乗り越えられて、名前も顔も知らない人の壁が乗り越えられないわけがない。

事業は「0→1」の段階が一番大変。
自分の人生の主人公になるにも「0→1」の段階が大変過ぎる。
それでも、超えるしかない。

超えて彷徨い続けながらも前に進み続けるか、そんな彷徨っている人を横目で見ながら自分の考えを正当化し続ける人生にするか。

ここまで読んで貰えた人に、何か届いてたら嬉しい。

僕は前者の道に行く。
前者の道に行った時にこのnoteを書いても仕方ないと思ったので等身大で今を書きました。

僕は凡人です。凡人だからこそ頑張りたいし、足掻いている人と強くなりたいし、1歩を踏み出せない人の力になれるように精進します。

こんなことを書いてる自分ですが、それでも自分を好きでいてくれる方々と関わり続けたいです。完了思考なので雑ですが、読んで頂いた方々、ありがとうございました。

もしなんかあればDMでもコメントでも下さい〜!
悪口や批判は辞めてね、悲しむんで。笑

困っているとか悩んでいるとかあれば連絡ください〜!

「生き方支援」を最近、目指し始めたので自分に出来ることは全力でしたいと思います!お力になれるか分かりませんが、頑張ります!

具体的に始めたことは、繋がり会、運命を変える旅、関西学院大学起業部創設、縁結びの会などなどです!
色々コンセプトはあるので、興味ある人は僕のInstagramのアカウントを覗いて下さい!アーカイブをハイライトに残しています。
(アカウント名:tooom_0406)

イベントとかは興味があればいつでもご連絡下さい〜!
月に2回繋がり会を開催していて、運命を変える旅と炎結びの夜には2ヶ月に1回ずつ実施しています〜!

ここまで読んで貰えた人には、とりあえずオンラインでやっている”繋がり会”に来て欲しいな!って思います。笑

"運命を変える旅"


”縁結びの夜に”
”繋がり会”





雑魚は雑魚なりに日々、少しずつ精進致します。

それでは、皆様、良い明日を!おやすみなさい。



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