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それはどうしようもなく平等を突きつけられる瞬間で

カラエ智春さん

気がつけば川沿いの道がはじけるようなピンクに染まる季節から、紫陽花に雨粒がひかる季節へと移ろい、智春さんは、いつの間にやらカラエ智春さんに改名されていました。ずっと気になるカラエの由来。
いったいどんな僻地との国際郵便やねん、とツッコまれそうなくらい、ずいぶんとお返事が遅くなってしまいました。ごめんなさい。

智春さんからのお手紙を未読の方は、まずはこちらをどうぞ。

そうですね、わたしたちはお互いのことをよく知らない。
智春さんが草野マサムネさんと同じ福岡のご出身だということも、今回教えていただいて初めて知りました。『さわって・変わって』のジャックがあったなんて、ちょっとうらやましいな。スピッツに囲まれる体験、してみたい。余談ですが、『さわって・変わって』の「3連敗のち3連勝して街が光る」のところのベースラインがめちゃくちゃ好きなんです。1番と2番と違うんやけど、どっちも最高です、ベースがうたっとるみたいでね、ぜひ聴いてみて下さい。って、今日はスピッツの話するんちゃうかった。

よく知らないのに、それでもTwitterで智春さんが終末期医療のことを呟いているのを見たときに反応せずにいられなかったのは、少なからずnoteから智春さんの人柄が滲み出ていたからだと思います。

前にね、和綴じ本を作るときやったかな。どの小説を入れて欲しいですか?という質問をされていてこれを挙げたかったのに、のろまなわたしはタイミングを逃してしまったので、ここに挙げさせてください。
わたしはこの小説が、とても好きです。

#磨け感情解像度 に応募されているこれも、さいこうだった。「ウップス」からの「ヘイ!」のくだり以降で腹筋がタジタジ。あーーー好きだよ、佐藤。

うふふ、あのnoteとてもよかった、このnoteが染みた、ってお手紙にしたためようと思っていたら、こんなにも時間が流れていて書ききれなくておかしいな?ってなってます。

『僕らはきっと旅に出る』という、この交換noteのタイトル。智春さんから提案してもらったとき、大げさでなく震えました。スピッツの『僕はきっと旅に出る』という曲からとって下さったんですよね。“死”は誰もがいつかは向かう“旅路”。なんてインスピレーションやろう。そういうセンスひとつひとつに、キュンとくる。

今は『法学部卒の主婦である智春さん』であることはもちろんですが、『カラエ智春という人』との交換noteがとても楽しみでなりません。

終末期医療を語る資格があるのか、と不安をこぼした意味。智春さんはその意味を理解してくださっているな、と前回のお手紙を読んで感じました。
このnoteの中を覗くだけでも腫瘍内科・緩和ケア・在宅医療の医師である西智弘さんや、ご自身が血液がん患者という立場の幡野広志さんをはじめ、素晴らしい書き手がたくさんいらっしゃる。書籍を検索すれば、いくらだって興味深いテーマを扱ったものが出てくる。
さほど数多くもない経験、ましてや今は外来勤務で患者さんの側で看取るという経験ももう何年もしていない、この状況で書けるのか?これまでに感じてきたことを引っ張り出したところで、自分に見える範囲だけの狭い視野と偏った視点から語っていいものか?もしこの手のテーマをあまり読んだことのなかったとしたら、逆に智春さんや読んでくれた人にぎゅっと不要なものを押し付けたりすることにならないだろうか?
そういうことが、ずっと頭の隅にぴちょっと貼りついていました。

noteを読むと、その書き手さんのことが少し見えた気がしませんか。
でもね、わたしから見えている『カラエ智春』は、他の読み手さんが見ている『カラエ智春』とも、智春さんの認識している『カラエ智春』とも、きっとどこか違うはずです。
noteという固定された窓枠を通して見ても、あくまでもそれはその人の一部であり、見る人によって解釈は違うのものであり、おそらく本人ですら全体像を掴めているようで掴めないのが『人』。
『死の全貌』も、そういうものなんじゃないでしょうか。死に直面しても、死んでしまってからも、何にもわからないかもしれない。
対話をしたところで、くちばしも尻尾も、爪の先っぽすらも見えずにただ青空を見上げていただけ、になるのかもしれない。

それでも知りたいと願い目を向けることに、とても意義がある。
智春さんのお手紙を読んで、わたしはそう思うようになりました。
「あのとき、わたし達は青い空を眺めていたのか」といつの日か心の中で笑っちゃうのも悪くない、でしょう?

Q.看護師さんは、患者さんを看取るとき、どんな感情を抱いていますか。

それでは本題。この質問もらったとき、どきっとしました。だって、そんなん、考えたことがなかったから。
つまりはこういう質問を人生のなかでもらうのは、初めてなんです。友達にも家族にも訊かれたことがありません。
書いていない間、ずいぶんと考えました。どうやってこの感じ伝えよかな、少し長くかかるかもな、でもね頑張ってみるよ(ふたりごと/RADWIMPS)という歌が頭の中を流れてました。

智春さん、線香花火は好きですか?手持ち側に和紙がピロリとついていて、細い紙縒りのなかに火薬の入っている、アレ、です。
わたしは子どもの頃によくしました。勢いよく火花が噴き出る置き型の花火や、火花がいろんな色に変化するような派手な手持ち花火をした〆が、侘び寂びの象徴のようなあの線香花火、というのが我が家の恒例でした。

火をつけてじっと待っていると、チリチリと小さな火の玉ができていき、だんだんと可愛らしい小さな火花が散り始めます。
徐々にそのきらめきは強さを増して、この躯体のなかにこんなにエネルギーが詰まっていたのか、と驚くほどに小気味よいのよい火花が咲きます。
火薬が燃え尽きるまでその勢いは続いて、やがて火花がだんだん小さくなる。
最後は火の玉が力を振り絞るように、終わってしまうことを惜しむように、ひとつまたひとつと静かに弾ける。
そして、あ、もう落ちてしまうなっていうのを予感する瞬間がありますよね。ほどなくして、玉はふっと落ちて消えてなくなる。

患者さんの死を看取るときの感覚は、あれをじっと見守っているときに似ています。

病棟で患者さんを看取るとき、それまでに何度か入退院を繰り返されている、もしくはそれなりにまとまった期間入院されているという状況のことが多いんです。つまり、ある程度の時間をその患者さんと共有していて、小康状態であるにしても体調が落ち着いている時期のことも知っていることが多い。
だからわたし達は「ああ、この方は死期が近いかもしれないな」ということを“感じ”ます。とても感覚的なものなのでこれを伝えるのは難しいのですが、表情・発言・臭い・動き・触れたときの様子…いろいろなものを五感を通して受け取ります。不思議だけれど、これは他のスタッフとも共通していることが多い。

いろいろな死の形があるので一概には言えませんが、本当の最期の最期、わたし達に医療者に出来ることってほどんどないんです。命には必ず終わりがある、という覆しようのない平等を突きつけられ、『治療』はもう意味を為さないのだなと悟る時期が誰にもやってきます。
唯一出来るのは、苦痛であろうことを取り除く努力をすることと、安楽である時間を増やすこと。それは例えば麻薬(モルヒネetc)を使うという選択の提示であったり、患者さんの楽な体位を模索することであったり。様子を見ながら保清(身体を拭いたり足湯をしたり、髪を梳かしたり髭を剃ったり)をすることであったり、食べたいと思えるものを口にすることであったり、会いたい人との面会を果たすことであったり。
周りの環境だけを整えながら、じっとそのときを見守っている。

わたしにとって、死はとても静かなものです。

ここを見つめてみて、誰に対しても(しかもそれは患者さんだけではなく自分の家族・親族に対しても)同じだということに気が付いて、少し驚きました。

ただね、働いている場所が違うと感じることが全然違うと思うんです。例えば救急外来で働いていたら、突然倒れた人が心臓マッサージしながら救急車で運ばれてきて、あれこれ医師からの指示と怒号が飛ぶなかで処置をして…という状況下で、患者さんを看取る結果になることだってあるわけです。そのときと感じることが同じだとは、考えにくい。
そういう意味では、『看護師さんは』の部分には答えられてないです。あくまでこれは『わたしの』感情です。同僚にも、そこを突っ込んで訊いたことってないんです。他の人はなんて答えるんやろうな、わたしも興味があります。

自分の感情を見つめたとき、ある問いが生まれたんです。
「0歳の患者さんと98歳の患者さんが亡くなったとき、感じるものは同じだったのか」という問いが。

そうだ、ここで経歴をお話しておきますね。
学校を卒業後、小児病院のICU病棟(主に生まれつきの心臓疾患を持つ子どもの手術前後の管理)で5年、訪問入浴(浴槽を自宅に担いで行って、ヘルパーさんと共に利用者さんの入浴を介助)を1年半、成人病院の循環器内科病棟・外来(主に狭心症・心筋梗塞・弁膜症・心筋症・不整脈とそれに伴う心不全の内科的治療)でそれぞれ2年半・2年、合間に無職期間や産休・育休を挟みながら、看護師の仕事を続けています。
臨床での実務経験は、計11年と少しというところです。

そもそもの前提として、ひとつひとつの命に優劣はない、ないと思って働いています。優劣という言葉がそもそも良くないんだけど、うまい言葉が思いつかないので便宜的にここでは使わせてください。
例えば何人も人を殺した犯罪者と、何の落ち度もない小学生が共に交通事故に巻き込まれて、両者がどちらも重傷ですぐに処置が必要だという場合。たとえ人手や物資が足りていなかったとしても、わたし達医療者がすすむのは基本的には「どちらの命も助ける」道です。
誰にでもニコニコ笑顔を振りまく0歳児でも、「はあ」「うん」「いや」としか返事してくれない14歳の男の子でも、悪態ばっかりついてくる70代のおっちゃんでも、何をしても「せんせい~ありがとう~」と拝んでくれるおばあちゃんでも。
医療を必要とする人に対して個人的な感情で線引きをしない。公平にその人に必要なケアを考えて提供する。それが医療者の根底に流れている倫理観、だとわたしは捉えています。

とは言え、それぞれの患者さんとの相性だとかコミュニケーションの深さにどうしても違いも出るし、医療者にも個々に感情はあるわけで。犯罪者より何の落ち度もない小学生を助けたいわ!と瞬発的に思ったりはするし、「あのおっさん、そんなに文句ばっかり言うならもう来てくれるな!」とバックヤードで怒り散らしたりはしている訳です。

実際、0歳の患者さんが亡くなったときは何ヶ月も引きずって思い出しては泣いて暮らしていたし、98歳の患者さんが亡くなったときはむしろ清々しい気持ちで最期のお見送りをしました。
患者さんの看取りに思いを馳せるとき、わたしの中に色濃く残っているのはこの感情の方。
0歳も98歳も患者さんであれば、わたしにとってはどちらも『他人』であることに変わりはなくて。命が消える“その瞬間”に感じることは同じ。でもその前後にチリチリと焼き付く感情には大きな隔たりがある、ということなんだろうと思います。

じゃあ先入観も含めてその隔たりを生むのは何か、と暗闇の中に静かに潜って目を凝らしてみたんだけど、その輪郭はぼやけてしか見えなくて。
なんとか言葉にするとしたら、『想い残し』の強さの差なのかな、と。
それは看護師としてのわたしの想い残しでもあり、患者さんや患者さんの家族の想い残しを聴いたり感じたりして共鳴することでもある、というのが今のところの仮説。

産まれてから病院の中だけで過ごし、兄弟とも触れ合えず、呼吸器や点滴がついているせいで両親が好きなように抱っこも出来ず、おっぱいを飲むことも叶わず、そのまま最期を迎え、「辛いことばっかりさせてしまった。」「この子は幸せやったんかな。」とご家族がこぼした0歳。
本人が「病院におるのが一番安心やから、病院で死にたい。」と選択し、「あーもうやり残したことはないわ。いつでもお迎え来てくれてええんやけどな。」と笑い、ご家族も「おじいちゃん、よく頑張ってくれたと思います。」「出来ることはやったし、もう充分かなと思います。」と話してくれた98歳。

これらは本人・家族の価値観や考え方に加えて、家族関係の中で培われてきたものも大きく影響するし、疾患の種類によるところやそれまでの治療経過、わたし達医療者のアプローチによっても変わってくることがある。
いろいろな要因が複雑に絡みあっているし、もしかしたら言葉をそのまま受け取り過ぎているところもあるのかもしれない。けれどわたしの感情として残っているのは、一方は口の中に苦さが広がって涙を堪えられなくなるひとこまであり、もう一方は心の中をじんわりと温めてくれるようなエピソードであったりする。

もしかしたら0歳の患者さんでも、家族が目の前の状況をまるっと受け入れていて、自分自身も出来る限りの援助を出来たという手ごたえを感じられて。患者さん自身がとても安らかに死を迎えるのだとしたら、そのときは涙が流れてもあたたかなものとしてそっと宝箱に仕舞えるのかもしれない。
反対に98歳の患者さんでも、「妻との思い出が詰まった温泉地に行けなかった」ことを悔やんで悔やんで亡くなられるのだとしたら。もっと早くから最期の過ごし方を一緒に考えて、適切なタイミングで送り出せなかったことをずっと引きずって、ボロボロになったそれを抱え続けていくのかもしれない。

ここでは極端に歳の離れた方たちを例として挙げたけれど、●歳だからというような話ではなくて。
何歳であろうと、どんな背景を抱えた人であろうと。『想い残し』がないように生きてもらうことが、そのための環境を整えたりどうすればいいかを一緒に考えていくことが、わたしのしたい看護なんだろうなと思うんです。もちろん相手がそれを望んでくれたら、ですが。
なんか最後、上司との面談みたいな締めくくりになってしまったな。

これが、患者さんを看取るときをとりまくわたしの感情です。うまく伝わったんやろうか。

ではわたしから、智春さんへの質問です。

Q.なぜ人を看取るときの感情に、興味があるのでしょう?

さっきも書きましたが、わたしはこれまでにこの質問をされたことがありません。今付き合いのある友人には医療者が多いので、それぞれ自分の了見を持っていて改めて訊くまでもない、というところもありそうだけれど。

でもこれって、結構深く潜った質問やと思うんです。『死』というものに興味を持ち、自分でもそこを見つめてみようとした人にしか出せない問い、と言ったらいいのか。ここに至った経緯が何かあるんじゃないかな、と。それを教えてもらえたら嬉しいです。

あと、もちろんご自身でも「次回に」と書かれていたのですが

Q.なぜ智春さんは、終末期医療に関心をもったのですか?

これもぜひお聴きしたい。法という現場を離れられた今でも関心を抱いておられるのには、深く心に刺さる体験をされているのでは?というのが、わたしの予測。上に質問したこととも絡んでいるのか、というのも気になるところです。

智春さんとの交換noteは、こちらのマガジンに収録していきます。

初っ端からフォローして下さった方々には、いつかビールを配り歩きたい。

麦酒 ゆみ
某地方大学医学部看護学科卒。小児病院ICU病棟で5年、訪問入浴で1年半、成人病院の循環器内科病棟・外来でそれぞれ2年半、2年の臨床経験あり。現在も外来看護師として従事。
2児の母、普段はただのビールが好きな酔っぱらい。

ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。