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【ちょっと上まで…】〈第一部〉「リリクとショーゴ」

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〈第一部〉「リリクとショーゴ」

【ペラ子】

 父が死んだ。
『ちょっと上まで行ってくる』そう言って出かけたまま、親父は帰ってこなかった。
 知らない国の言葉で〝高いところ〟と言う意味らしい〈バイトアルト〉。定期的にこのあたりの上空を通過する亜軌道船だ。昔は成層圏プラットフォームと呼ばれていたのだとか。
 その〈バイトアルト〉へ荷物を運ぶロケット屋が父の職業(しごと)。
『危ねぇ? そんなのは他の奴らが飛んだ場合だな。俺ぁ大丈夫だって』なんて豪語していたくせに。こんな可愛い娘(アタシの事)とばっちゃんを残して逝っちゃうなんて……。
 今、アタシは夕闇のせまる中、おんぼろのレシプロ飛行機、ペラ子で次の注文を聞きに上がっているところだ。
 ババッババッ。バタバタ。バボボボボ……。翼が風を切る音とエンジン音。いつもの音、いつもの焼けた鉄とオイルの匂い。
 そういえば小さい頃、親父の膝に乗っけてもらって同じように注文取りに飛んだっけ。操縦桿をいじろうとするアタシに、『リリクがもう少し大きくなったらな』なんて言ってたのを思い出してちょっと泣きそうになる。
 このまま飛行機であそこまで、〈バイトアルト〉まで行ければ良いのに。あの船はうちのペラ子ではもちろん、軍に残ってるジェット機でも届かない高空を飛んでいるのだそうだ。
 船からの注文は、普段なら地上から発光シグナルを見て知るのだけれど、今日は曇っていて下界からは見えない。雲の上までこちらから出向かないといけないのだ。
「はーあ、これからどうしたら良いんだろ……」
「ややややっぱり、親父さんの仕事、継ぐのかい?」
 つぶやいたアタシの言葉に、歯の根のあってない返事を返してきたのは幼なじみの密航者、ひょろメガネのショーゴだ。
「ちょっと、なんであんたまで乗ってくるのよ。重いったらありゃしない。こいつで雲の上まで上がんのけっこうしんどいのよ?」
「だだだだって、リリクの様子、おかしかったし、心配だった、から」
「あーそっ、大丈夫だよ、アタシは……」
 ついつい口では強がるアタシ。ほんと言うとちょっとさみしかったかも。
「そそそ、そんな風な事言って親父さん、死んじゃったじゃない」
「そうなんだよね……。まだぜんぜん実感ないんだけど……。うん。ありがと。心配してくれたのよね」
「どどどどういたしまして」
 ショーゴは男子のくせに臆病で勉強好き。頭が良いせいか、いつだってこんな風に気が回る。それが嬉しくもあったり邪魔に思っちゃう事もあったり。まあ今日は半々かな。
 彼が小さい頃、戦争に巻き込まれてご両親は飛行機が墜ちて死んじゃったんだそう。それで飛ぶ事が嫌いなんだって。でも、アタシの操縦なら心配いらないってひょこひょこ乗ってくる。ナマイキだけどそんなところだけはちょっと可愛い。弟分って奴?
「でさ、いい加減普通にしゃべんなさいよ。うっとおしい」
「っささささ寒いんだよッ!! べくしっ!」
「もー、とりあえず雲の上いくよ! お日様に当たったらちょっとはあったかくなるかもね!」
 スロットルを開け、すぐ頭上にあった黒雲に飛び込む。急に湿気のある抵抗を受けてくぐもるエンジン音、雨粒が機体をたたく。風もみだれてるわ。左右に揉まれて翼もガタガタばたばた。やっぱ重雲みたいね。ペラ子にヒーターなんて豪華なものついてないもん、普通の格好してこの高度まで上がってきたらそりゃ寒いわ。
 アタシは風音に負けずに大声を出す。
「こら密航者! せめて飛行服ぐらい着てきなさい」
「だ、だって!」
 だってじゃないでしょ、もー。
 そうこうするうちに暗闇を抜けた。まだ雲の上は明るいわ。
 機を水平に、スロットルをハーフパワー位置に戻してエンジンを休める。
 雲の上はいつだって快晴。でも、お日様はもう西にだいぶ傾いていて、日差しは雲に反射して眩しいばかりであんまり暖かくない。
「仕方ないわね、ちょっと前きて」
 密航者は後方の貨物室にいる。と言っても間にあるのは帆布のカーテン一枚、奴は真ん中の裂け目からこちらに顔を出して震えていたのだ。あれが毛布だったら良かったのにね。
「ちょっとこの椅子、しっかり掴んでて」
 アタシが「しっかり」と言ったら本気でしっかり掴まないといけない。さすが幼なじみ、ちゃんとわかってるじゃない。
 パイロット・シートにショーゴがしがみついてるのを背で感じると、リリクはシートベルトを外し、自分の身体を自由にする。目の前のコクピットゲージを掴み、シートのロックを解除、スロットルを開けて軽く機首をあおり……。
 機が上を向くと、フリーになった椅子がずるっと後方にずれて、
「んがっ!」とショーゴの声。
 シートが調整限界でがたんと止まり、アゴでも打ったらしい。リリクは知るもんかと知らん顔。大人一人乗りのコクピットに、窮屈ながらも子供ならなんとか二人入れる隙間ができる。
「さ、シートロックして、早く椅子の前きて。男のくせにアタシより細いなんてゆるせんわ、こうしたらさ、あんたなら間に挟まれるでしょ」
「せまいよっ!」
「仕方ないでしょ!」
「ここ、掴んで良い?」
「こら! へんなとこ触んない!」
「そ、そんな事言ったって!」
 ショーゴがリリクの背に覆いかぶさる形で、なんとかパイロット・シートに二人で収まりこんだ。
 彼の手の位置で一悶着あったものの、お互いの足に挟まる形でなんとかかんとか。腿の外側に奴の手が当たって最初ひんやりしていたけれど、じきに体温であたたまってきた。背中も固い金属の椅子よりはまあ良いかな。
「どう?」
「あったかい……。良かった、死ぬかと思った」
 ショーゴが親父より小さいのか、アタシがあの頃より大きくなったのか。
 小さい頃に乗せられた親父の膝とは少し違う肌触り、と言うかお尻触り。
 その感触に急にドギマギしてちょっと赤面しちゃう。そっか、そういえばこいつも男なんだよね。
「へんな気、起こさないでよねっ!」
「んー……」微妙な間ののち、
「お、おお、起こしちゃったら?」なんて、冗談めかして聞いてくる。そのくせきょどってるけど。良い気になられても困るんで、ちょっと突き放しとく。
「そーしたら、アタシが暴れて、二人とも落ちて死ぬね」
「やややだよそんなの」
 そう言いながら怖くなったのか、ショーゴはお腹のあたりをぎゅっと抱き締めてくる。まったく、こう言うところが可愛いんだけどまー情けないんだわ。もうちょっとしっかりして欲しいなあ。
「ムネ触ったら殺すからね。言っとくけど、アタシ、親父が死んだばっかなんよ? ほんと、やめてよね」
「いや、そんなつもりじゃないよ! そっか、そだよね、ごめん」
 うん、うん、そんなつもりじゃないのはわかってる。親父が死んで落ち込んでる子に言い寄ってくるなんて高度な作戦できっこないのは知ってるよ。ま、そこがつまんないとこなんだけどサ。
「まあ、あの親父が死んだなんて、この目で見たわけじゃないし、アタシ信じてないからね。地球の裏側にでも降りちゃって、こっち戻ってこれないだけよ、きっと」

〈バイトアルト〉は人工衛星ではない。地球を覆う大気層の上面を滑るように飛んでいる大型の滑空船=エクラノプランである。人工衛星は空気のない衛星軌道上を重力と遠心力を拮抗させながら周回するが、そうではなく、大気と真空とのちょうど境界を飛ぶ珍しい航空機であり、船だった。
 ちょうど静かな水面に平石を勢い良く投げつける遊び、跳ね石が水の表面に触れてはまた空中に跳ね上がるように、〈バイトアルト〉は大気にほんの少し触れ、また離れを繰り返し、淡いオーロラの雲を引きながら地球を回りつづけているのだ。
 人工衛星ほど遠くも速くもないけれど、やっぱり飛行機の上昇可能高度よりずっと高く、飛行機よりもずっと速い。リリクの父も届け物のあとのんびりしていると帰れなくなって、次の周まで乗って待っていなくてはいけないなんて事もあったそうだ。
 ただ、配達の前後二周程度はこの縦に長細い国の上層を渡るため、通常の航路ならばそのタイミングで降りれば問題なく帰ってこれる。

 そのはず、ではあるが、前回、父は降りてこなかった。
 もちろんなんの連絡もない。
 だから、大人達はさっさと親父が死んだ事にして、次の注文を取りにアタシを飛ばしたってわけ。はー。ほんとに親父死んじゃったのかなあ。
「ぜんぜん信じらんない」
 それとも、信じたくないだけなのだろうか。
 やっぱ結局、柄にもなく落ち込んでるんだわ、アタシ。
「はーあ、これからどうしたら良いんだろ」
 ついつい繰り返した言葉に、ショーゴはなにも答えない。
 微妙な雰囲気に、ショーゴの過去を思い出すリリク。
 あ、そうか、忘れてた。ショーゴも父さん母さん居ないんだ。アタシなんかよりずっと前から。
「これで二人とも、親無し子ってわけね。アタシ達、おんなじになっちゃったわね。ショーゴ」
 リリクは体重を後ろにあずける。
 ショーゴはまたなにも答えず。ただぎゅっと抱き締めてくれた。

 アタシたち二人が生まれる前、世界は戦争に突入していた。
 最初は情報戦で、コンピュータ同士の戦いが発端だったらしい。その時に使われたスマート・ボムと言うやつで、世界中のスマートな、かしこいコンピュータが一斉に死んでしまったんだそうだ。当時、世界は情報のネットワークでつながりあっていて、ほんとにコンピュータは「生きて」いたんだとか。しゃべる機械があったとかロボットが村をウロウロしていたとか言うけれど、アタシはもちろん見た事はない。物心つく前にそんなコンピュータ達は絶滅してしまったんだもの。
 そして、コンピュータ達がいなくなって、自動的に飛んでいた飛行機は落ち、クルマは事故を起こし、今度は人間が殺し合いをはじめて戦争になったんだって。

 アタシの母も、ショーゴのご両親も、その頃死んじゃったらしい。
 詳しい事は知らない。親父には聞いちゃいけないような雰囲気だったし、ばっちゃんも無口でなんにも教えてくれないし。
 アタシに残されたのは、なにに使うかわからないバネのようならせん状の機械の部品だけ。母さんの形見だって。ペンダントにして今も胸につけてる。
「あーあ、こんな事になるなら、親父が死ぬ前にちゃんとお母さんの事、聞いておくんだったわ」
 ショーゴを引き取った親代わりのセンセイの話では、その戦争で世界中の三分の二の人が死んでしまったんだそうだ。
 三人家族でアタシ一人だけ残って、ショーゴの両親も死んじゃって、ちょうど三分の一、計算どおりね。イヤな計算。数字なんて大嫌い。

「あ、来たよ、あれ〈バイトアルト〉じゃないの?」
 彼方の雲の海の上に巨大なエイのような姿が二重に浮かび上がって見えている。雲と大気の層とで屈折して、蜃気楼のようになっているんだ。
「ほんとね、ショーゴ目良いじゃない」
「バカにしないでよ、メガネでもあのぐらい見えるよ!」
 だんだん近づいてきて、雲の上に長く影が伸びる。船体の両翼に青と赤のライト。下からだと真っ黒に見える胴体の中央に黄色いライトが不規則に点滅して、メッセージをこちらに知らせている。
「で、なんて言ってるの?」
 アタシは信号を読むのは得意じゃない。せっかく乗ってきているんだから密航者に任せる事にする。
「えーっと……。『B.A.ハツ キンキュウ レーションAコン カケ十二、カムイ カケ一 モトム』」

「カムイ? ってロケットの事かしら?」
 うちの家で飛ばしてる、親父の自慢のロケット、〈キウンカムイ〉。それを持ってきて欲しいって事?
「もっかい見て! 繰り返してるでしょ! それと、親父の事なんか言ってない?」
「ちょっと、翼が邪魔で見えないよ!」

 リリクはラダーを蹴っ飛ばして操縦桿をひねり、無造作に機をスライドさせつつ方向を変え、〈バイトアルト〉を見える位置にする。乱暴でもこんな動作を無意識でできてしまうところがすごいなんて常々ショーゴから言われているが、そんなんいつも飛ばしてたら当たり前の事。自転車で走るのと一緒じゃんと思うのだ。
 それより変換表がなくても発光信号を読めちゃうショーゴの方がすごいわ。もっと自信を持てば良いのにね。

「やっぱり、同じ事繰り返してるね。カムイと食糧(レーション)求むだってよ」
「親父の事は?」
「言ってないね」
「ロケットなんて、なんに使うのかしら?」
「わかんないけど。だいたい、誰が持ってくんだろ。親父さん居ないでしょ、やっぱり次はリリクが行く事になるんじゃないの?」
「えええっ!? アタシじゃまだムリ! あんなの飛ばせないよ。そりゃ興味はあるけど、ちゃんと習ってないし……」
「でもさ、ばっちゃんじゃもっと無理でしょ?」
「そりゃそうね」
「イシヅカセンセイかな……」
「片腕だよ?」
「でもあの人なら」
「行けるかな?」
「どうかしら?」
 今、村で飛べる大人の男達は皆出稼ぎに行ってしまって誰も居ない。残っているのは両親を亡くした幼いショーゴを引き取り、村の子供達に飛行技術全般を教えている隻腕のイシヅカセンセイぐらい。そしてロケットについて学んでいるのはリリクとショーゴだけである。
 センセイのことをショーゴも昔は「お父さん」と呼んでいたのだが、いつの頃からか他人行儀に「イシヅカセンセイ」と言うようになっていた。気になってリリクが理由を聞いても「学校に入ったから」とあいまいな答えが返ってきただけだ。納得はできなくても理由を聞いたことで「まあそんなもんか」と思ってしまう単純なリリクであった。
 ロケットについて教わっているとは言っても、理論派のショーゴは教本のページをめくるだけで航空機の操縦桿を握ったことすらない。
 そんなショーゴがロケットを飛ばす可能性なんて、二人はそもそも想像すらしていなかった。
「どうすんだろ……」
「さあ……」
「あ、見て! またなんか言ってる、なんて言ってるの?」
 〈バイトアルト〉が繰り返していた信号の末尾に、なにか違うパターンの点滅が入っている。
「えーっと、『もう遅いから帰りなさい』だってさ」
「なにそれ、お母さんみたいね」
 信号を捉えている二人が親無し子同士だなんて上の人が知るわけないのに、なんだかおかしくって、二人して笑う。
 あんな高空からこちらの事見えてたんだ。無差別に信号発信してるわけじゃないのね。ちょっと嬉しくなった。こっちを見てるなら、と、翼を振ってお礼をしてからUターン。
 言われたとおり帰路につく事にする。
 二人を乗せたペラ子はふたたび雲下に降り、闇が支配しはじめる海岸沿いを村の光に向かって飛ぶ。

【村役場】

 この時期は地上でも、日が暮れると寒い。
 村役場の講堂には、薪ストーブが炊かれている。
 役場とは言っても、木造で、小さめの学校のような場所である。実際にリリクとショーゴも幼学の頃はここで読み書きを学んだ馴染みの空間だが、今日は珍しく暗くなってから入った。
 村に戻った二人の言葉で、臨時の会合が開かれたのだ。裸電球と揺れるストーブの光に一同が照らされる。
 集まったのは顔役のおじいさんと役場のおじさんおばさん達、隻腕のイシヅカセンセイ、それにばっちゃんとリリクにショーゴ。
 会合では、まず誰が飛ぶかよりも、運ばれる荷物の方が問題となった。
「本当にカムイって言ってたんじゃな?」と顔役さん。
「そうだよ、カムイって、リリクも見てたよ」
 実を言うと信号の読み取りが面倒でろくに見ていなかったリリクなので、ショーゴの言葉にはうなづくしかない。
「うーむ、カムイか。またきな臭い事になりそうだのう」
「ロケットが即戦争の道具になるわけじゃありませんよ」そうセンセイがなだめる。
 センセイは否定するが、実際ロケットは戦争と共に進化してきたものだ。前の戦争でコンピュータが使えなくなるまで、ミサイルなんて言う空飛ぶ爆弾はたいていコンピュータが操作するロケットだったのだそうだ。
 この村で飛ばしているロケット〈キウンカムイ〉はもともと民間の大学で発明されたもので、当初から兵器としてではなく、商用ロケットとして造られた珍しい素性のロケットである。商用も軍用も運ぶものが違うだけなんじゃないの。とリリクは思うのだが、この村の人々はその、ミサイルではないロケットを誇りにしていた。

「あんたはそう言うがね、まだ戦争が終わったわけじゃない。実際、今、南でなにをやってるかだって……」
「ちょっと。子供達もいるんですよ」
「あ、ああ、失敬」
 大人達の会話の内容を察し、また気を回したショーゴがリリクの袖を引っ張る。
「外、行ってよっか?」
「ん、そうだね」
 二人が席を外そうとすると、隻腕のセンセイが引き戸の前に立ち彼らをおしとどめた。
「まあ、まて、二人とも。お前らがいなけりゃ話にならん」
 そう言って場に連れ戻し、
「とりあえず飛ぶのは良いとして、誰を上げるかも問題でしょう」
 と議題を変える。避けていた問題が浮上して急に緊張する二人である。
「今、ここで飛べるのはこの二人だけです」と言ってリリクの肩に残された右腕を乗せるセンセイ。
「せ、センセイが飛ぶんじゃないんですか?」
「この腕でか? 片腕に無理させんなよ」
「そ、そんな事言ったって……アタシだって飛行機しか飛ばせないよ」
「となると、順当に行けばショーゴ君かのう」と顔役さん。
「え、ぼ、僕ですか……?」もう無理、絶対無理! とがくがくしながら目が泳いでいる。「ぼぼぼ僕じゃあんなの動かせないし……」
「そん子じゃあダメじゃ」いままで無言だったばっちゃんも口を挟んでくる。
「あんロケットばカミヤマのもんだ」
「〈キウンカムイ〉ばカミヤマ家んのモノ、他所様に飛ばさせるわけにはいがね」
 カミヤマ家、リリクの家のものである。とばっちゃんは主張しているのだ。家のモノは家の者で飛ばすべきである。と。
「ショーゴばぁまだ他所(よそ)の子だ」
 ばっちゃん、ここでそれを言い出さなくても……。小さい頃親無し子としてほうぼうをたらい回しされていた彼の姿が頭をよぎり、顔をしかめるリリク。
「それとも、なんだ。急いで祝言上げるか?」
「……。へっ?」
「えっ!? あの、それって、ど、どう言う意味……?」
「そうか、カミヤマ家の人間になればロケットを任せられるってわけですね。お婆さん、グレイト!」とセンセイ。
「だいたいなんでうちのペラ子におめ乗ってんね。リリクさ飛ばさしたんによ」
「そりゃあなあ」ってみんなしてニヤニヤしだす。
 なに、なんなのよこの空気!
 さっきまでシリアスなムードだったのに! 急展開すぎない!?
「さ、どうすんね。うちの孫っ娘もらうんかどうすんか、はよ決め」
「ちょっと! おばあちゃん! なによそれ、普通『どこの馬の骨かわからん奴に孫はやれね』とか言うとこじゃないのそこ!?」
「リリクさらっとヒドイ事言ってるよ!」
 と、全員の目がショーゴに集まる、ショーゴは怯えた目でリリクを見る。
「どどどどーしよう……!?」
「な、なんなのその顔! アタシに決めろって言うの!?」
 ショーゴのバカ! だからずっと弟分扱いなのよ!
「もうっ! どーしようじゃないわよっ! わわわわかったわよ、アタシだってあんたなんか願い下げ! アタシが行く! もー! 飛びゃ良いんでしょ飛びゃ!」
「あーあぁ」と一同溜息。あからさまに「えー」なんて言ってる人まで。
 顔役さんが、ぽん、とショーゴの肩をたたく。ほっとしたような顔の彼に小声で「ドンマイ」なんて声かけてる。
「なんなの! なんなのよもー!」
 一人だけセンセイは嬉しそうだ。
「オッケー、グレイト! これから特訓だな!」だって。
 なんなのこいつら。てゆーかばっちゃんまでなに考えてんのよ。ほんとやんなっちゃう。

【訓練開始】

 翌日、早朝から広場に呼び出されたリリク。〈キウンカムイ〉の操縦練習である。
 リリクはこの訓練が大嫌いだった。
「訓練機ったってただ丸いジャングルジムがぶら下げられてるだけだし。子供の遊びみたいで恥ずかしいったらありゃしない……」
 広場についてみると、もうセンセイとショーゴがなにやら電線を引いて準備してる。
 昨日の今日でショーゴには言いたい事が山ほどあったが、とりあえずセンセイには条件反射的に朝の挨拶。
「おはようございまぁす」つづけてショーゴには小声の怒り口調で「なにやってん?」と聞くリリク。
「おはよう! グレイト! 良い朝だな!」朝から元気の良いセンセイである。リリクは低血圧ぎみで朝はあまり得意ではない。これからの事を思うとちょっとと言うかかなりブルー。
「これ、センセイに言われてつけてるんだ。中でスイッチを操作すると、電球が光って外の僕らにわかる仕組みなんだよ」
 幼学校では『発明倶楽部』に所属していたショーゴ。手先も器用だからよくこんなのに駆り出されている。この間も大昔の8ビットパソコンが蔵から出てきたとか言って、大喜びで白黒のテレビにつなげてた。左右に波打ったり、上下にくるくる回ったりする画面を『まだ動くんだよ!』なんて自慢されたっけ。なにが楽しいんだか。
 嬉々として答えるいつもどおりのショーゴに、「あんた、昨夜あんな事言われてなんにも思うところないわけ?」等と問いただしたいところだったが、センセイもいるのでぐっと堪え、ここは訓練に集中する事にする。

 訓練用の隙間だらけのフレーム。中にはパイプ椅子と木製のロケットのコンソール、そこから電線が骨組みの上につながっていて、何色かの電球に接続されている。

「ようするに、そこに乗り込めば良いわけね」
「そう言う事だ。グレイト! とっととはじめるぞ!」

 リリクは手渡された手順書を見ながら、ジャングルジムに潜り込んでシートベルトをはめる。

「行くぞ!」センセイが叫ぶ。
「突然だが現在機は高度四万五千フィート、機速二千ノットを超えた時点で(速度計の)針止まるも加速つづく。上下に激しく振動発生! 一、二番(エンジン)に燃焼異常ランプ点滅三! そのほかの計器の読み数値はこっちで答える。即原因をさぐれ!」
「え、いきなり!? エンジン異常で振動? えーと、どのページ見たら……」
「遅いぞ! リリク、今お前は音の三倍で飛んでんだ、そんなもん読んでる暇あるか。全部頭にたたきこめ!」
「ちょ! そんなんムリ! こんな分厚いのに!」
「親父さんはどのページもソラで言えたぞ!」
「ウソ! あのバカ親父がそんな記憶力あるわけない!」
「口答えすんな! あるんだよ! あのグレイトな奴はロケットの事ならなんでもわかってたぞ」
「むー! 信じらんない。でも、それでも、結局死んじゃったじゃないさ!」
「……」
 グレイトセンセイもちょっと言葉につまる。そして、声のトーンを下げて言った。
「ああ、そうだ。空は危険だ。すべてわかっていても、それでも死んじまう事だってある。
 だが、知識を持つ事はそれだけ死を遠ざける事ができる。もしなにも知らなければ、即、死だ。
 お前が生き残るために、お前のすべてを出せ。技術も、知恵も、幸運もだ。どれかが足りなければ、間違いなく、死ぬぞ」
「……」
 アタシが……死ぬ?
 穏やかでない言葉に帰ってこなかった親父の姿を思い出すリリク。
 四角い顔がそのまま分厚い肩につながっていて、丸太のような腕、やたら喧嘩っぱやく、無骨で乱暴者。
 それでも、弱い者いじめだけはしないで、飛ぶ事だけは誰よりもうまかった。
 あのクソ親父も、なにかが足りなかったの……?
 ……足りなかったのは知恵かな、やっぱ。
「わかったか。よし、グレイト、次は回転しながらやるぞ、ショーゴ、キリキリ回したれ!」
 リリクが神妙にしているのを良い事に、センセイはさらに難易度を上げるようだ。
「え、ええええー!? ちょっとショーゴ! ダメ、ダメよっ!」
 リリクは自分であやつるのが大好きだ。同年齢の誰よりも早く自転車に乗れるようになり、そのままモーターバイクや自動車、そして飛行機と、たいていの乗り物はすぐにコツを掴み、なんでも手足のように扱えるのが自慢である。
 しかし、その反面で、自分で操縦していない乗り物は大嫌いだった。意図しない動きに敏感で、へたくそな運転に乗り合わせるとすぐに気持ち悪くなってしまうのだ。
 親父に言わせるとロケットは意図しないG変動の塊のようなものだそうだ。『その癖が治らんとロケットは乗れんなあ』なんて言われていたっけ。
 癖じゃない! 繊細なだけ! むかつく!

 丸いジャングルジムは上から丈夫なゴムワイヤーで吊り下げられている。それをぐるぐる回してから手を離すと、まるでゼンマイを巻いたかのようにすごいスピードで回り出すのだ。原始的な仕掛けだけれど、中に乗っていると確実に目を回す。この中で教本を読みながら操作するなんて絶対ムリ!

「回せ回せ! ショーゴはグレイトな知識だけじゃなく体力もつけろ! ここは心を鬼にするところだぞ、今のお前の努力が、愛する者を危機から救うんだ!」
「は、はい!」
 なんて言いつつ、肩で息をしながら骨組みを手にぐるぐる回すショーゴ。
「救ってない! 危機つくってる! センセイがいじめ助長しちゃダメ! てか愛する者って誰よバカあ!」

 限界まで捻ったのち、勢いをつけて反対方向にリリース、そのまま急回転。
 遠心力で髪留めがふっとび、ペンダントが首にまきつく。しっかり持ってないと教本も飛ばされそう。
「うぎーーやぁーー!!」
 ショーゴ! あんたがほんとはここ乗るはずだったんだからねっ!!

「どーだ、読んでる余裕なんてないだろ! 次っ! 気密低下! プレッシャーアラートっ! こいつぁグレートだ!」

「どひいぃー!」

 回転する視界のすみに、教本をめくっているショーゴが映る。地面の上でならすぐわかんでしょ! 見てるページ教えてっ!
 わけわかんないよっ!
 誰かたすけてーっ!!
 てか胃もむかつく! 吐きそう!

 ……こうして、訓練の日々は続くのであった。

◇◇◇

【当日】

 訓練開始から二週間。
 身も心もボロボロ。
 わかっていた事だけれど、とうとう打ち上げ日がきてしまった。初めてのローンチ。嬉し恥ずかし初体験。
 正直言って怖い。
 やだなー。今からでもショーゴに替わってもらえないかな。もらえないだろうな。
 なんて思いながら乗り込んだ〈キウンカムイ〉のてっぺん。コクピット。
 親父が乗る前に空気が漏れないようシールしたり、荷物を積み込んだりして、何度もこのパイロットシートに座ってみた事はある。宇宙服を着た大人用のシートなので正直身体には合わない。まるで寝椅子のようになっているけど、ロケットに点火したら最大で四Gまで加速する。それって、四十kgの体重が百六十kgに感じられるって事。女の子的にはかなりキビシイ数字。もちろん、筋力が耐えられるかって事だけどね。だから、こんな寝てるような格好で乗り込むわけ。

 ローンチ予定まであと十二分、今のところ異常な……し? あれっ!?
 斜め後ろにあるコパイシートになにか……?
「ってだれっ!?」
 慌てて振り向く、乗り込んだ時は暗くてわからなかったけど、誰か座ってる!?
「やあ。また密航しちゃったよ」
 ってショーゴ!! あんた! なんで!?
「今度は宇宙服着てるから寒くないよ」
「そういう問題じゃない!」
「ペイロードチェックも大丈夫、計算してみたら僕の体重と装備品足してもぜんぜんいける、マージンが十%減るけど、リリクなら大丈夫だよね」
「ぜ、ぜ、ぜんぜん大丈夫じゃないっ! ほんとどうしたの急に!」

 ビビーってブザーが鳴り、センセイの声がスピーカーから響く
「オラオラガキども! 準備は良いか? グレイト!」
「センセイ! 密航者がいます! 打ち上げ中止です!!」
「センセイも知ってるよ。今度こそグレイトに男を見せろって言われたんだもん」
「えええー! なによそれ、じゃあ最初からショーゴだけで良いじゃん! アタシが乗る事なかったじゃん。聞いてますかセンセイ!」
「ここまできて冷静にそもそも論に戻れるんだからな、リリクは。てか、叫んでてもあっちには聞こえないよ。これ挿さなきゃ」
 そう言ってショーゴはシートの脇のジャックを指差す。
 あそっか、忘れてた。
 宇宙服の脇から出ている音声コードをパッチベイに挿そうとする、と、ショーゴがそれを止める。「なによ?」
 動きにくいヘルメットを回して彼の方を向くと、目があった。いつものオドオドした目じゃない。真剣な瞳。
「リリク。僕は行く。キミだけ危険な目に会わせたくないし、死んじゃうとしたって二人一緒の方がいい」
 なによ、急に真面目になって……。
「あの……、その危険なモノ操縦すんのアタシなんですけど?」
「だからきっと大丈夫。僕の操縦じゃすぐ落ちちゃうからね」なんて言って笑う。
「あんたねぇ」
 腕を信用してくれてるのは嬉しいけれど、なんだか違う気がする。
「飛行機じゃないんだから、アタシだって自信ないし。爆発したって知らないわよ?」
「大丈夫大丈夫」
 なんでそこまで信用できちゃうのかね……。
「なんだか一人で飛ぶより緊張しちゃうわ」
 そう言って音声コードを挿し込み、外へ連絡する。
「……こちら〈キウンカムイ〉、内部異常なしです」

【Tマイナス30S】

 西の地平線の彼方に船、〈バイトアルト〉が登ってくる。
 いよいよだわ。
 浜の先にある燃料工場の煙もまっすぐ伸びてる。ほぼ無風。快晴。上空に雲はなし。上も穏やかだと良いけど。
 操縦席から見て、〈バイトアルト〉がキャノピーの中央の線まで来たら打ち上げ三十秒前。
 ショーゴの密航事件でびっくりして緊張がおさまっていたのだけれど、やっぱりまたドキドキしてきた。
 十五秒前。
 今の段階ではアタシはやる事はない。打ち上げの衝撃に耐えられるようお腹に力を入れて、歯をくいしばる。口開けてたら舌噛んじゃうらしい。
 十、九、八……。
「行っでごい」
 カウントダウンはまだ八秒前だったのに、突然ばっちゃんの声がスピーカーから響き、ものすごい轟音と衝撃が襲いかかる。
 突然後ろから巨人に蹴っ飛ばされた感じ。機体全体が跳ね上げられ、身体はシートにぎゅうと押し付けられる。重苦しい。誰かにのしかかられているみたい。
「なにっ?」
 打ち上げの瞬間は、シートの肘掛け部分の操縦桿のバーを持ってなくちゃいけなかったのに手を放してしまっている。お腹の上に重くなった腕が張り付いてくる。いけない、ちゃんとスティック保持しないと。
 アタシの腕じゃないみたい。ダンベルでも括り付けられているみたい。
 なんて事は、あとから頭が追いついてきた。ほとんどとっさに重くなった腕をスティックに添わせ、窓から水平線を探す。こんな時にジンバルは役に立たない。大丈夫、垂直に上がってる……ん?
 なんかブレてない?
「コントロールタワー通過!」ショーゴが叫ぶ。
「あ、僕乗せてるから、ちょっと早めに上げるってばっちゃん言ってたよ!」
「それ今言う!? 秒読み意味ないし! てかなんか流れてるよっ!?」
 打ち上げの加速Gは想像以上だった。ペラ子の急降下後の引き起こしなんてメじゃないって事ぐらいはわかっていたけど、ほんとそれどころじゃない。
 しかも、なんだかまっすぐ上がってない気がする。胸の真ん中に下げているペンダントとおヘソのところがへんな感じ。
「三番燃えてない!!」ショーゴの叫びにハッとする。
 無意識に操縦桿を倒す。先端翼は固定、後翼の二枚を六十度下限に。飛行機みたいにラダーペダルがあれば良いのに!
 やっぱ流れてた。でもまだ修正できる?
 〈キウンカムイ〉に使われてるロケットは目一杯燃やすか不完全燃焼させるかしかできない。だからまともなスロットルなんてないんだ。燃やしはじめたらあとは舵を当てる事ができるかどうか。
 大丈夫、舵は効いてる。
「ノーリターンポイントも通過しちゃったよ! どーする! アボート(緊急停止)!?」
 一瞬だけ、リリクは目を閉じて操縦桿からの反応を身体で受けとった。
 今、アタシの身体は全長五十七m、下半分は三本まとめた第一段ロケット、上半身の第二段はスリムに一本。下半身の三本のうち一本がなぜか燃えてない。全力で燃えてるはずなのに、三本足の一本だけお荷物になって後ろに引っ張られてる感じ。イメージと現実が重なる。
「よし、掴んだ! 飛べる!」
 リリクはかっと目を開き、〈キウンカムイ〉の舵を取る。
「どうすんの? 出力足りない! これじゃ上まで届かないよ!」
 今、アタシは飛んでる。コントロールできてる。あの親父の娘がうまく飛べないはずはない。なぜだかロケットのパワーがリリクに乗り移り絶対の自信がみなぎる。興奮する。そして楽観的にもなっていた。
「こんなトコで止めらんない! 今アボートしたら陸に落ちる! 三番なんとかして! 男でしょ!」
 ショーゴだってなんとかできないはずがない。
 この気持ち乗り移れ!
「そんなむちゃくちゃな!」
「無茶でもやるの! あんたもマジで心中したくて乗ったわけじゃないでしょ!」
 燃焼機関系はショーゴの席の前だ。アタシは姿勢制御で手一杯。どっちにしろあいつがやるしかない。
「なんとか、なんとか、なんとか……って。もしかして? そうか、これだっ!」
 ショーゴがなにか見つけたらしい、彼の手元の操作盤のダイヤルを回している。
「見つけたっ?」
「説明あと! 衝撃くるよっ!」
「上等っ!」
 もう舌を噛むなんて言ってられない。リリクが唇を舐めると、また突き上げるような衝撃が爆発音と共にやってきた。
「くっ!!」
「こ、これが〈キウンカムイ〉のフルパワーっ!」
 一番、二番、三番のすべての第一段ロケットに点火され、さらに加速。リリクは間髪いれずすべての舵を戻し、機の角度を修正、分解を防ぐ。
 機は地球の自転に逆らうように東に傾きつつ、加速をつづける。
「勘でこれをやってるなんて信じられないよ」とショーゴがつぶやき、それでも勘に従う以外の方法を知らないリリクが正確に〈バイトアルト〉への最短コースへ〈キウンカムイ〉を乗せた直後、ロケットは音速を越えた。

【地上】

 アイヌ民族が崇める山の神、巨大な雄熊を表す〈キウンカムイ〉、その力強い咆哮が大地を揺るがし、天空に突き刺さるように駆け上がっていく。
 当初二つのまばゆい光点だった後方炎が三つに増えたが、明るすぎる光は肉眼では判別できず、地上からはもう長い尾を引く火球にしか見えない。
 東方の空へ緩ロールしてちょうど真上に差し掛かる〈バイトアルト〉を引っ張るかのように軌跡が重なっていく。
 耐え難いほどだった爆音が遠くに去り、地上が静寂に支配された頃、ダダヴァンと大きな衝撃音が響いてくる。
「無事音速を超えたか……。グレイト。さすが、血は争えないってやつですね」
「良いんがね。あの子らで」
「あの子達だから、ですよ。大丈夫。うまくやりますって」
「どうだがな」
 隻腕の教師と、その親友の母である老婆は、いつまでも空を見上げていた。

〈つづく〉

※本作は2016年2月の別冊群雛掲載作品を加筆修正したものです。

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