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【ちょっと上まで…】〈第七部〉『High Altitude Mission』

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〈第七部〉

 ─ High Altitude Mission ─


 それは十五年前。まだコンピュータたちが生きていた、最後の夜のこと。
 国の中央圏から北東方向に数百キロ離れた地域にその施設はあった。
 人里から遠く離れた険しい山中。むき出しの岩肌の間に、周囲の自然からかけ離れた金属とコンクリートの複合建築物。差し渡し二十メートルほどの立方体の低階層ビルディングが等間隔に四棟、それぞれに岩山の上から伸びた極太の高圧ケーブルが数本ずつ突き刺さっている。
 建物の壁面とは巨大な碍子(がいし)によって絶縁された電力線は、地下約百メートル、水平方向に長さ三十キロメートルにわたって掘られたトンネルにまで導かれていた。
 世界最大のリニアコライダーである。
 地上のビルディングブロックは、超大型線形粒子加速器のコントロール室であった。
 実験中とランプが灯る室内では、コンピュータ・ディスプレイを覗き込み、その緑光に頬を照らされた女性研究者が、実験の続行に異議を唱えている。
「やはり計算が合いません。次の投射の前に理論の再検証が必要です」
 その背後に立つミッションオフィサーらしい男性は、「いや、かまわん、続行したまえ」と言い切り、続けて、まるで自分自身に向けて言い聞かすように言葉を重ねる。
「理論レベルの検討をしている余裕はもはやない。成果を出さねばならんのだ。設備に問題はないとキミも認めたんだろう。このまま最高出力でデータをとる。いいから、とにかく、やれ!」
「所長、しかし……」
「データさえ取れれば良いのだ! 研究は後で好きなだけ時間をかけてやれば良いだろう!」
 決意を強調しているのか、その強い口調は怒りをともなっている。
 対する女性は、仕方ない。といったふうにため息をつき、
「わかりました。実験を再開します。ゲート電圧を最高レベルに。出力パラメータ変更。実行します」と答え、画面から目を離さず作業を再開した。
 コンソール上に赤く光るいくつもの警告表示をキャンセルし、実行コマンドを発行する。
 超々高速・高対圧データロガーが次々と起動し、低周波のハム音を発しつつ幾多のパネルとインジケータに火が灯る。
 鍵の周りがグリーンに点灯したキーロックスイッチがひねられ、開始釦が押下される。直後、地下トンネルの両端から発生した電子と陽電子とが一直線に並べた超伝導電磁石で一気に加速され、千分の一秒後には中央の一点で衝突した。
 施設の各地点で観測されるデータはすべてが鋭敏なセンサー群にとらえられ、これも地下に設置された大型スーパーコンピューターで自動的に高速並列処理され可視化される……。
 はず、だった。
 彼女がスイッチを入れ、回路が接続され、電子と陽電子が端子からけり出されて加速し、正面衝突した直後。
 人間が識別できる時間よりもはるかに短い刹那の後、地上のコンピュータたちは、そのすべてが原因不明の硬直状態に陥いる。
 後にスマートボム・インシデントと呼ばれる事象の発生である。
 人類が営々と築き上げてきた科学文明が、確実に一段階後退した瞬間であった。
 所長が後でやれば良いと言った研究のための時間は、ついに、訪れることはなかった。

◇ ◇ ◇

 ── それから十五年 ──


◇ ◇ ◇

〈中部空軍基地〉

 地上、中部空軍基地。
 全天に散りばめられていた星々がいつの間にか姿を隠し、東方よりゆっくりと明るみが増していく……。
 夜明けである。漆黒から蒼灰色、ホリゾンタルグレイ。淡く、濃いグラデーション。世界が静かに輝度を上げ、徐々に色づきはじめた後、闇を追い払う根源的な爆発が地平線に現れる。太陽だ。
 一億五千万キロ彼方から降り注ぐエネルギーがまぶしい。日光がその強さを増すにつれて滑走路に垂れこめていた朝霧が晴れていく。
 エプロンに駐機中の機体は、その垂直尾翼の頂点から順に朝日を受け止めて、本来の白銀色が茜色に染めあげられていった。
 高空を舞う猛禽とも、女性の肉体ともたとえられた優美なシルエット。双発大出力のターボジェットエンジン。大きく口を開けたエアインテーク、巨大なセミデルタ形状の後退翼などの特徴をもった傑作機であり、幾多の大戦をも生きぬき、数々の伝説を持つ名機であった。
 燃料補給車(レフューリングカー)から、貴重なジェット燃料(JPTS)が大型のタンクに注ぎ込まれている。
 機体下部に吊り下げられた増槽ともども、この時代では非常に珍しい光景であった。
「まさに博物館級だな」
 機を見上げてたたずむ二人の男女。どちらもオレンジの耐圧スーツ。シルエットは着膨れていて身体のラインはわからないが、男性のほうが筋肉質で頭ひとつ分は身長が高い。だが、その左腕は失われており、スーツの腕先は平たく絞られていた。
 男の名はゴウ・イシヅカ。隻腕ながら民間でパイロット指導を行っている教育者でもある。
「文字通り、そうね」横に並んだ女が同意し、自嘲気味に続けた。
「記念館に動態保存されていた機体を、我らが高々度戦隊のためにご提供頂いたってわけよ。オートパイロットはもちろん、フライ・バイ・ワイヤすらついてなかった時代の骨とう品」
 女はケイ・カネダ大尉といった。スマート・ボム・インシデント以前は高エネルギー研究所の職員で、あの〈バイトアルト〉の設計にも携わったという天才肌の学者だったのだが、大戦初期に何を思ったか白衣から軍服へと装いをあらためた変わり種の士官である。
 ゴウが引退した後のため多くは聞いていないが、情報将校として相当の活躍をしたらしく、いまではKKと頭文字で呼ばれ空軍内でも知らないものはいないのだそうだ。
「高々度なんだって? 他に飛べる機なんてあんのかよ?」
「軍事上の機密。部外者に教えるわけにはいきません」
「けっ、燃料(ガス)ですら国中からかき集めたくせに……」
 すでにこの国には燃料を精製するプラントはおろか原料となる原油も底をついていることはゴウも理解していた。この奇妙なフライトはそれだけに重要な任務であろうことも。
「辞めた男は部外者ってわけか。その部外者に飛べって言うのはどこのどいつだね?」
「貴方のたぐいまれな経験を買われたといって欲しいわね」
「はん。落ちた経験ね。そんなもの自慢にもならんよ」
「不時着は落ちたにカウントしません。それに、生き残ったのは貴方だけ。他の仲間達は皆、死んでしまったわ」
 訝しげなゴウの視線を無視した女史は踵を返し、ガタガタと音を立て近づいてきた施設作業用車へと向かう。
「さ、油も入ったみたいね。時間も押してるわ。とっとと行きましょう」
 小柄なトラックのような車には、乗機用タラップが牽引されている。
「貴方がはしごも登れないとかワガママを言うものだから借りてきたのよ」
 女は軽く腰をかがめると、丁寧なお辞儀をして言った。
「さ、経験豊富な水先案内人(パイロット)さん、〈バイトアルト〉まで連れて行ってくださいな」

 ◇ ◇ ◇

〈北の村〉

 二日前。タイキ村。
 リリクとショーゴが成層圏へ飛び立ってから幾日か経った後のことである。
 国の中央から遠く離れ、農場と寂れた宇宙港以外なにもない、正真正銘のど田舎である北の大地。
 地方ゆえに商業活動などは都会に比べて無きに等しく、おかげでスマートボム・インシデントの厄災からも免れた。あの酷い戦争もまるでなかったかのような平和な昼下がり。
 いつもの通り学舎で幼年組を適当にあしらっていた片腕の先生、ゴウの耳に、かすかに遠く、風に乗って大型の回転翼がリズミカルに大気を圧縮(たた)く音が聞こえてきた。この地方では珍しい多重ローター機のようだ。窓からは見えなかったが、平時運用規定どおり宇宙港へ降りたらしい。
 しばらく鳴りを潜めていた軍が、いまごろ村に何の用か。面倒事に巻き込まれるのも御免こうむりたいところである。
「ここはひとつ、どこかへ身を隠すべきかなァ……」と、ゴウは危機感なくぼんやりと雲を眺め、思案していた。だが、それは少々遅すぎたらしい。
 役場当番のヨドじいさんがふらふらと自転車を漕いでこちらへ向かってくるのが見えた。
 判断が遅くなった。こののんびりした田舎暮らしでヤキが回ったか。ゴウは生徒たちに自習を告げ、一人だけ残っていた高年組にチビどもの相手を頼んで学校を出た。
 そのままヨドさんを迎えに坂道を降りる。もともと神社のある小山の裏手に作られた学舎だ。上り坂を自転車で登るのも御老体には大変だろう。
 要件次第ではそのまま自転車を借りて片手運転で直接宇宙港へむかうとするか。それにしても腰の曲がった老人を走らせてくるとは、いったい何の用事なのだろうか。まあ、軍の連中に勝手にウロウロされても困るが、ね。
 左腕を失ったあの大事故の前まで……、もともとは筋金入りの軍人であった自分を棚に上げ、軍への悪態を付きながら足を早めるゴウであった。

 ◇

 ゴウが管制室とは名ばかりの掘っ立て小屋についてみれば、久しぶりに会う人物が宙港管理責任者である老婆に食って掛かっていた。
 秘書が捧げ持つ公式書類らしい紙をペンの尻でたたきながら説明している。
「結論から言わしてもらいますと、この契約書は無効であるわけです」
 釣り目を強調したような眼鏡。まるで数時代前のやり手のビジネス・ウーマンのようだが、羽織っているのは濃紺のフライトジャケットである。
 本土から来たばかりで寒さがきついのだろう、屋内でもジャケットの前をあわせ首元までしっかり締めている。肩章がわりのワッペンは大隊長彰。
「よう、KKか。ひさしぶりだな。〈バイトアルト〉計画以来じゃねえか」と語りかけるゴウ。「すっかり軍服も板についたもんだ。人生の大先輩をいじめちゃダメだぜ」
「ようやく来たな」と、彼を待っていた風情の女。ケイ・カネダ大尉である。彼女はメガネの位置をあげながら言った。「こっちも命令なんでね。悪く思わないで欲しい」
 ケイのすぐ脇には、もうひとりの小柄な女性が制服をきっちり着て付き従っていた。ゴウを鋭く見据えたまま黙礼をする。
「秘書官つきかよ。偉くなったもんだ。
 で、なんだい婆さん。あんたがこんな行き遅れ女をあしらえないともおもえんが?」
「聞こえてますよ」とKK。
「聞かせてるんだよ。で、なんなんだ一体?」
 ゴウに婆さんと呼ばれた人物は誰あろうリリクの祖母であり、宇宙港の、そしてタイキ村の執行役員であるヨネ・カミヤマである。
 ヨネは無言のまま、すこし震えの出ている曲がった指で、秘書の持つ紙を指差す。
「簡単な話」とケイがヨネの言葉を代弁する。「お預けしてある船、この村風情にはお荷物すぎるでしょうってことで、軍で返してもらいましょうと。ま、そういう話なわけ」
「船だと? まさか?」
「そう、そのまさか。よ」

 ◇

 KKの話によると、スマートボム・インシデント後のごたごたでタイキ村の物にされてしまっていた〈バイトアルト〉の正当な船主である軍が村に返還を要求するのだという。その先ぶれとして自分がやってきたのだとか。
「無人船ですし、ほうっておいたらいつ落ちてくるかわからないものですからね。変なところに落ちてしまったら、ただでさえ一触即発の国際的な緊張が臨界点を越えてしまうのは必定。どうせ落ちるのならば、狙ったところに落として役立ってもらいたいもんだわ。というのがわが軍の見解なわけ。
 あれだけの質量と速度、相当な威力になるでしょう。単純な防衛手段を受け付けない決定的な打撃を与えられるはず……」
「ふざけるなよ」
 事務机を殴りつけ、立ち上がったゴウはケイに詰め寄る。
「黙って聞いてりゃ話が逆じゃないか! あの船はこの村がなかったら飛べてねえ!」机を叩いた腕で彼女の襟口につかみかかった。「セイコさんは命がけでっ!」
 ゴウの動きに秘書官は即座に書類を放り出す。短銃を引き抜きざまゴウに向かって構え、「大尉から離れなさい!」と警告をした。
 予期していたことだろうか、ケイは掴みかかられたまま肩をすくめ、秘書官に手のひらをむけ「いいから」と制する。
「変わらないわね。片腕で私を掴んで、どうやって殴る気?」
「そ、そりゃあ……、こうやって蹴っ……」
「オンナを足蹴にするなんてこと、貴方はできっこないわよねえ……」
 ケイはむしるようにして勢いを失ったゴウの手を襟口から外すと「分かってるわよ、そんなこと」と、かつての親友の声で諭し、彼の耳にだけ向けて「だから、私が来たんでしょうが……」とつぶやいた。
 彼女はあらためてヨネのほうを向き、言った。
「このまま、要求を無視した場合、軍はこの村に対しても強硬手段をとることでしょう。聞けば、船主として登録申請したと自称するタケオ・カミムラ氏は先日来行方不明だとか。お子さん? いえ、娘さんですか。も、いらっしゃらないそうですし。お婆さん、船主証明の書類は用意されていますか?」
「なにが書類だっ! わからん奴だなっ!!」
 またゴウが、今度は壁をたたく、薄い壁の振動が部屋全体をビリビリと震わせた。
 対するケイは微塵も動じず、「わかってねえのは!」と低くドスを効かせた男口調で言う。「お前のほうだ。軍の事情も変化したんだよ」
 すっと前に出てきたヨネ婆さんが、ゆっくりと口を開いた。
「ほかっといてもらうわけにゃあ、いかんのですかいの」
「ダメなんですよねぇ、これが」老婆相手には調子を戻すケイである。
「こっちがぁ何もせんかったらどうなりますかの」
「さあて、本来なら強制的に拿捕ってことになるのでしょうけれど、場所とサイズ的にそれも難しいので……。ご協力いただけませんと、最悪の場合、弾道弾で撃沈ってことになりますかねえ」
「ミサイルでか? できるわけねえだろそんなこと!」と片腕を振り回すゴウ。
「技術的に不可能とでも? あれから十五年ですよ? 軍をみくびってもらっちゃこまるわ」

 滑空船(エクラノプラン)〈バイトアルト〉の飛ぶ準軌道は、通常の衛星軌道よりもいくぶん低い位置にある。弾道ミサイルは大気圏再突入後に敵国地表を狙うため、その通過点にあたり、攻撃できないことはない領域に属する。
 ただし、一般的な弾道ミサイルが無防備となるミッドレンジ域であることや、弾道ミサイルはそもそも飛翔物を目標として想定していないため、狙うのが大変困難である。などの理由から、撃ったとしても迎撃に弱くまず当たらないだろう。とかつては言われていた。そして、コンピュータによる自動制御が期待できないことや、特に敵対しているわけではないこと。さらに(もっとも重要なこととして)おもに経済的な理由から、今までは手出ししないことになっていた。はずだ。
「あれから一五年、か」
 これからは事情が違うということか。と、ようやく話が飲み込めてきたゴウは、逆に聞いてみた。
「で、俺にどうして欲しいってんだ?」

 ◇ ◇ ◇

〈中部空軍基地〉

「それで、これかよ!!」
 与圧服で着ぶくれしたゴウは複座式になっている高々度機のパイロットシートにどうにか収まると、後席のケイへ向けて叫ぶ。
 周囲は次第に回転数をあげていくターボジェット・エンジン独特のハイボリュームな高音につつまれていた。
「あー? なんですって? よく聞こえない。マイクチェック!」
 後席は離陸前のチェックシートをめくりながら無数にあるボタンやスイッチを操作し、いそがしげに機体の状況を確認している。
 村の意見を軍に伝える者として、代理でも構わないから一緒に来て欲しいと言われ、乗り込んだヘリで連れてこられたのは古巣の空軍基地。そこには年代物のジェット機と、ゴウ用の気密服 ──ご丁寧に足りない左腕側が密閉してある── があった。
「このクソ野郎、聞こえてるんだろ!? 下手な芝居うちやがって!」
「少なくとも野郎じゃないわ。それは男性相手の侮蔑でしょう。下品なのは相変わらずね。名前と一緒に心を入れ替えたんじゃなかったの?」
「熱いハートは昔のままだぜ。軍と苗字を捨てただけだ!」
「まったく古臭いクソ野郎のままってことね」ゴウの下品なセリフをそのまま返すKKである。
「うるせえ!」
「口だけじゃなくパイロットの腕前も昔のままだといいんですけどね。そろそろ行きますよ。他に優先される機なんてありません。タキシング・ウェイから出たら一時停止せずそのまま上がります。軸線合わせだけ注意してください」
「お、おう」
 ファック! 腕前とか言ってるがそもそも片腕なんだぞ俺は。という言葉を飲み込み、ゴウはその身に残された右腕で操縦桿を握りしめ、武者震いをする。
 かつては一流のパイロットと言われた男である。いざ飛ぶことになれば流石に真剣になるのだ。
 本来、こうした機のスロットルは左手で操作するように設計されている。操縦桿を持つ右手、スロットル操作をおこなう左手、ラダーペダルを操作する両足、これら四肢を十全に動かせ、五体満足でなければ手動で戦闘機の操縦などはできるわけがない。
 では、片腕の場合はどうするのか。
「タキシングウェイ・オーバー。このまま行きます。ランウェイ軸合わせ。V1まで加速」と後席のケイ。
「ランウェイ・オールクリア。アゲインスト微風。V1スラストゴー」と前席のゴウ。
 なんと、彼らは後席側でエンジンのスロットルを操作し、前席側操縦桿で操舵をしようというのだった。
 大型機ではこうしたエンジン操作手とパイロットが別人の事は多いのだが、偵察機や戦闘機タイプの機体の操作方式としては異例中の異例である。
 軍現役時代にはたしかに遊びでそんな曲芸をしたこともあったゴウであったが、もちろんそれはコンピュータによるアシストを最初から当てにして飛んだもので、このような完全手動の博物館級の機ではない。難易度は比べるべくもなかった。
 さらに異例といえば、すでに軍を退役している男に操縦桿を任すなど。これもまた異例もいいところである。
「よくもまあこんなミッションプランが通ったもんだ」
 そんなことを考えつつも、体重全てがパイロットシートに押し付けられる、あの懐かしい加速を全身で感じるゴウであった。
「V1……、Vr……、V2、離陸よし!」後席からの声に即座に反応する。
「テイク・オフ・セーフティ、離陸する!」
 安全離陸速度を確認復唱したゴウは小刻みに振動する操縦桿を軽く引き寄せる。
 轟音とともに基地の空へ鮮やかに舞い上がる銀翼。
 そのまま高度をとりつつ海上に向かう。
 目指すは準軌道、〈バイトアルト〉である。

〈バイトアルト・ブリッジ〉

 準軌道、宇宙と地球の狭間を滑るように飛ぶ〈バイトアルト〉。そのブリッジに設置されている女神像の背後に、そろそろ青年と呼べそうな年頃の少年、ショーゴがそのひょろ長い身体を折り曲げるようにして作業をしていた。
「ここを、こうしてっと……」
 立像の背面へ向かい、なにやらパイプのようなものをごそごそと像にあてがっていた。
 そのショーゴ側からは死角にあたる正面扉から幼馴染の少女、リリクが跳ねるような動きで飛んできて、いきなり彼に食って掛かる。
「ちょっとアンタ、お母さんになにしてんのよ!!」
「いいから、少し、黙ってて」噛みつかれた方は意に介さず、作業中の手元から目を離しもしない。「もうちょっとなんだ」
「ムー!」とふくれる少女リリク。
「あらまあ、ぷーっとしたリリクったらリルちゃんにそっくり!」と女神像からの声。リリクの母、セイコ・カミヤマである。女神像は〈バイトアルト〉の中枢として〈殻人〉(シェルパーソン)となった彼女の化身なのだ。
「えー、お母さん、それってどういう意味!?」
「かわいいってことですよ」と女神像からの母の声。
「あはは、ならいいんだけどー♪」
「まったくこの母娘は……」と、聞いていないようで聞いているショーゴ。
「なにか言った?」また噛みついてくるリリク。
「言ってない言ってない。さ、これでいいかな? お母さんさん、どうですか? 動かせますか?」
「もう、さんさんって、ショーゴちゃんもうちの子ですよ。二重で敬語は、いりません」
「えっ!? い、いいんでありますか? でも、オヤジさんはなんだか嫌な顔しそうですけど……」言葉遣いがおかしくなっているショーゴが言うところのオヤジさんとは、リリクの実の父、つまりセイコの夫タケオ・カミヤマのことである。今は〈バイトアルト〉船内のガントリーで作業中だ。
「あら、タケオだけ『さん』ひとつなんですか? なんだかずるいわ」
「そ、そういうわけじゃ……」
「二つ『さん』があったほうが偉いんじゃないのー?」とリリク。
「あらまあ、そうなの?」
「ええっと……」と、どう答えようかショーゴが悩んでいると、
「んっ……、こう、かしら?」とセイコが力(?)を込めたような口調になる。すると、ショーゴがセットしていたパイプが立像の上腕部に重なるように、まるで二本の腕のように広がった。
「わ! お母さんの腕!?」
「オートワンド、人の腕とはちょっと違うけれどね」
「すっごい!! やるじゃんショーゴ!」
「このあいだ、『いただきます』を手を合わせてやりたいって言っていたでしょう。だから、僕から〈お母さん〉にプレゼントです」
『お母さん』という言葉をなんだか照れながらしゃべるショーゴである。
「うふふ、いい感じよ。ありがとうございます」
 ショーゴの言葉と彼の作った機械の腕に賛辞を述べ、正面で新しいパイプの手をあわせて礼をするセイコ。オリジナル像の動かないままの手に加えて、少々数は足りないものの、その姿はまるで千手観音菩薩のようであった。
 リリクはそんな母を見て、こっそりショーゴに耳打ちをする。
「この姿ってなんだか……、前にショーゴに見せてもらった本にあった写真みたい……」
「そんな写真あったっけ?」
「うん、昔のUFOの本の……」
「あっ!」
「三メートルの宇宙人(フラットウッズ・モンスター)!!」と二人同時に叫ぶ。
 次の瞬間、
「なんですって!?」の声とともにガツン! と二人の頭に文字通りの鉄拳、ゲンコツが落ちてきた。
「いったぁぁい」
「あっ! ご、ごめんなさい」慌てて、ガツンとやったほうの女神が謝る。
「まだ力の加減ができなくて。どうしましょう! ショーゴちゃん大丈夫!?」
「アタシの心配もしてよぉ。そりゃこっちは石頭だけどさぁ〜」
「ぼ、僕も石頭。だ、大丈夫。で、あります。いててて」
「えへへ、やったー。アタシ、お母さんにぶたれるのもちょっと憧れだったんだあー」
 妙に喜んでいるリリクである。
「なんだよそれ」不思議そうにするショーゴ。
「えー、ショーゴは嬉しくない? アタシは嬉しいなあ」
「う、うん、いわれてみれば、ちょっと嬉しくなくもない、かも、しれない……?」
 歯切れ悪く応えるショーゴの本当の両親はもうこの世にはいない。それを知った上で優しくしてくれる二人の愛情が彼には嬉しくもあり、くすぐったくもある。そんな彼を見てセイコは小さく笑って、
「あらあら、うちの子たちはマゾっ気あるのかしらねぇ?」と言った。
 そんなことはない、はず。と力なく否定しつつ、話を戻すショーゴ。
「このパイプはあくまでフレームです。これが動くなら、ガントリーのラボでもうちょっとまともな腕っぽい樹脂パーツを作ってきますね」
「フレームって骨ってこと?」
「そう、これからお母さんの腕の肉の部分を作ってくるよ」
「あらまあ、お肉。ガリガリも困るけど、あまり太くなっちゃわないといいのですけど……」
「あと、すこし柔らかくおねがいね」
「了解。ぶっ叩かれてもいいように」
「もー、そんなこと言ってないのに!」
 明るい笑いに包まれるブリッジであった。
「そうそう、ショーゴ君、これからガントリーに向かうの?」
「はい。あちらで頼まれている仕事もたまってますし」
「それじゃ、あの人に伝えてきてくださいな。下から何か上がってきてますよって……」
「えっ!? 下から? 地上から、ってことですか?」
「そう、おそらくこれは軍の機体ね……。本船と邂逅可能ベクトルで急上昇中」
 悠然としているように見える女神の前で、リリクとショーゴに緊張が走る。
「すぐ知らせてきますっ!」
 ショーゴはそう叫ぶと慌ててブリッジから飛び出し、まだ不慣れな低重力下、全力でガントリーへ走るのであった。

ズーム上昇

「エキストラタンク・エンプティ(増槽残量なし)。そろそろ切り離しよ」と後席のケイ。
「増槽リリース了解。って、そっちからできねえのか? ユーハブ」前席で操縦桿を握るゴウ。切り離しのための操作は操縦桿から手を離さなければ難しい。
「できますよ、いちおう断っただけ。じゃ、こっちで。アイハブ。フューエル・コントロール。ドロップタンク・リリース」
 基地を飛び立ったゴウとケイの乗る機は、洋上高度九千フィートまで燃費優先の経済上昇、いったん水平飛行にもどし、増槽を切り離した。
 軽い衝撃とともに空気抵抗が減り、さらなる加速を許された機体は、ゴウのコントロールにスムーズに反応する。古い機体でも整備は行き届いているらしい。今の所は彼を不安にさせる挙動はなかった。
「海上とはいえあんなモノ落っことして大丈夫かね」あんなモノとは、機体下部に取り付けていた増槽、予備タンクである。中身が空でも数百キログラムの超々ジュラルミンで作られている。今では製造することも難しいはずだ。落とした後で回収するつもりだろうか。それも大変そうではあるが……。
「平時じゃあるまいし。こんなところにいるのは敵性国の船ぐらいでしょ。命中しても大した被害はあたえられないでしょうけどね」
「平時じゃない。か。俺ら田舎者は平和を謳歌していたんだがね」声にかるい非難がこもり、つい絡んでしまうゴウ。
 ケイは反論する。
「ふざけないで。貴方は戦いから逃げただけでしょう」
「いってくれるじゃねえか……」とゴウはさらに反論しかけるが、不毛な水掛け論を過去に何度も繰り返したことを思い出し言葉を変えた。
「本当のところ、まだ俺は納得できねえ。パイロットはまだしも、なんでお前が飛ばなきゃなんねえんだ?」
「あら、私が命がけなんて柄じゃないとでも?」
「つっかかるなよ。こんなアンティークな機体とポンコツパイロットに命を預けることがってことさ」
 彼らの会話を繋ぐのはヘルメットに取り付けられたノイズ混じりのオーディオラインだ。騒音の中でも意思疎通はできるが、気持ちはなかなか通じない。
「……。無線、閉じてるよな」
「作戦行動中よ。こんな空域じゃ傍受し放題だし、地上要撃管制(GCI)だって受けていないのはおバカな頭でもわかるでしょう?」
「……ったく。そろそろ本音を言ってくれてもいいんじゃねえか?」
 パイロットシートからゴウが問いかける。
「本音、ねぇ。そんなもの、君がいなくなった時に、君のその腕と一緒に捨てちゃった」
「……」
 軽口にどう返せば良いのかわからなくなるゴウ。その反応だけ見れば彼の義理の息子そっくりだ。
「まあいい、とにかく、俺は依頼を受けた。上がるだけは上がってやる。無事降りられるかは保証できんがね」
「やけっぱちであったとしてもね。まあいいわ。やってちょうだい」
「ふん……。まず通常飛行で四万まで上がる。マッハ数は一・五。エンジンの様子をみて問題なければそこからズーム上昇を開始する。後席、アフターバーナー準備」
さすがに緊張気味の声でケイが答える。
「アフターバーナー・レディ」
「オーケー。ゴー」
 ケイは両エンジンのスロットルをぐいと押し込み、さらにロックを外して限界まで押し切る。
 膨大なジェット燃料と大気とを飲み込み、半世紀以上前に製造された大出力エンジンが吠え、経済安定速度で飛んでいた機体は音速の壁を突破、そのままさらに加速を続ける……。

 ズーム上昇とは、大気中に含まれる酸素と燃料とを燃やして推力を発生させるジェットエンジンが、まだ十分に酸素があり、加速力に余裕のある高度を水平に全力で飛び、速度を上げ運動エネルギーを高めつつ一気に機体を引き起こす。そして、本来ならば飛行に適さない大気の薄い高々度まで駆け上り、そのまま機に保存された運動量を使って弾道飛行を行うものである。

「コツは引き起こし直後にちょいと操縦桿をもどすことだ。迎え角(AOA)を最小抵抗位置にすればエンジンは限界まで回ってくれる」
 上昇しつつも放物線の軌道に添わせ、機体にかかるGを少しだけ下げるのだ。
 抵抗が軽減されたエンジンはさらに回転数をあげる。
「限界、超えそうなんですけど……」
「スロットル戻すなよ。ここは整備班の腕を信用して祈っとけ」
「そうさせていただくわ……」
 高度の上昇と共に空の色が変わっていく。濃紺から群青、群青から漆黒の世界へ。
 濃い大気に守られた世界から脱出していく機体を、艶めいた暗黒が取り巻いていく。夜明け前に見たホリゾンタルグレイよりもはるかに澄んだアークが眼前にあった。
 動かしにくい与圧服の首を回し、下界を見やったケイの視界ではもうすでに地球は丸く見え、その表面に、薄く水色に輝く大気の層がはっきりと輝いて見えた。
「もう、ここは宇宙なのね」
「まだ、宇宙の海の波打ち際ってところだがね」
 その波に乗り悠然と泳ぐ巨船、〈バイトアルト〉はもう目前、いやちょうど彼らの頭上後方である。巨大なエイのようなその影がもうじき彼らの機に追いつき、そのまま追い越していくはずだ。

 ゴウは操縦桿に取り付けられている火器管制システム(FCS)の安全装置解除レバーを操作する。もっとも、この機体の場合は火器ではない。通常機では機首に二十ミリバルカン砲が備え付けられているのだが、ユニットで一トンを超える対空火器は軽量化のためにまるごと取り外され、着陸用前照灯・尾灯のオン/オフ・スイッチになっているのだ。


 ◇

「小型機から発光信号!」
 〈バイトアルト〉のブリッジで観測用の大窓に張り付きながら、不規則な光の点滅を見て取ったショーゴが叫ぶ。
「なんて言ってるの?」リリクが即座に聞いてきた。
「……。読めないのはお前だけだが……」ショーゴに連れられてブリッジに駆けつけたリリクの父、タケオ。
「だから聞いてんのよ!」
「『コチラ ゴウ シンヨウスルナ』……」一連の点滅を読み上げるショーゴ。
「ゴウですって? あれに先生乗ってんの?」とリリク。
「あいつめ、なにやってんだ」タケオから見ればゴウはちょっとした喧嘩仲間のような間柄だ。
 ショーゴは続けて読み上げる。「『イママデ ドオリダ シンヨウスルナ』……だってよ?」
「先生乗ってるのに信用するなってどういうことかな?」もっとよく見ようと窓に張り付き、リリクは声を上げる。「あ、ほんとだ! 二人乗ってるけど、前の席、片腕だわ。あれ先生だ!」
「この距離で見えるのかよ。目だけはいいくせにな……」単純な信号の読み取りもできない娘を憂いる父タケオである。
 そしてもう一人、機械の目で見えているセイコも娘の目の良さを肯定した。
「まあ本当。ゴウさんですね。なつかしいわねえ。あら、後ろの女性(ひと)はもしかして……?」

 ◇

「ここいらが限界だろうな」
 くるくると数字が跳ね上がっていた高度計の変化が少しずつ、そして急速に収まり、回転がごく緩やかになってきた。
 機が迎える放物線の頂点が近づいている。まだ〈バイトアルト〉には届かない。とは言え、ここまで上がれる有翼機は地上にはもうほかに残されていないにちがいない。
 先ほどの信号は角度的にケイからは見えなかったはず。気づかれていなければいいが。とゴウは懸念していた。
「それで、ここまで来てどうする気なんだ?」
「誰かさんと一緒よ」
「!?」
 ケイは後席で抱え持っていた発光銃を、〈バイトアルト〉の巨大な影へ向け、不可思議な信号を送った。

 ── C3 FF 50 45 45  …… ──

 ◇

「ん? なんだ? これは?」光信号を見たタケオが声を上げる。
「光のオンオフでバイナリ・コードになってる?」とショーゴ。「制御信号? あ、ダメです! お母さん! 機械の目で見ちゃダメです! すぐ目を塞いで!!」
「え? 何? どうしたの?」とリリク。
「これは機械の言葉だよ、ジャンプ命令だ。宛先アドレスはきっと割り込みシーケンス!」
「意味がわからん、どういうことだ?」とタケオ。
「多分……、なんですけど……。この船の……」
 とっさに警告を発したものの、タケオに睨まれ、急に勢いをなくしたショーゴ。その言葉を、途中からセイコが代弁する。
「多分、この船の、制御を奪おうとしたのね。大丈夫、外部視覚は切り離しました。平気よ。ありがとう、ショーゴちゃん」
「そ、そうなんじゃないか、と……思って……」と赤くなって口ごもるショーゴ。
「なら、もう大丈夫?」とリリク。
「そんなわけねえだろ」とタケオ。
「どうかしら、そうとも言い切れませんわ。あの女性(ひと)なら、どんなことでもやりかねませんから……」
「あの女性(ひと)って? お母さん、知り合いなの?」
「想像通りだとすると、おケイさんって呼んだら怒る人かもしれないわ。ゴウさんを焚き付けられるのは彼女ぐらいですからね」
「あ、二値コードの羅列をやめて普通の言葉になったようです」と、ずっと光の点滅を見つめていたショーゴ。
「あきらめたか?」
「それじゃ、視覚センサー戻しますね。もともと私にマシン語は通用しませんけれど……。コンピュータじゃないですからね。ああ、やっと見えたわ」
「普通の言葉になったの?」
「ああ、だが……、今度も訳がわからないな」信号を読み取ったタケオが呆れた声を上げた。「空賊の不法占拠に対する退去命令……、だと?」
「なにそれ?」とリリク。
 セイコ像も憮然として「軍の管轄外ですよ。もうこの船は民間船。母港はタイキ宙港で登録されているはずなのに……」と答える。
「僕ら空賊なのかな? ここは半分宇宙なんだけれども」とショーゴ。
「宇宙海賊じゃん! かっこいい!!」
「半分だけだけどねー」
「呑気な奴らだな、しかし……。まさか、な」
 リリクとショーゴの能天気なやり取りにあきれつつ、ふと思案顔をするタケオ。
「なにかあるのですか?」とセイコ。
「スマートボム・インシデントのあと、たしか大型船の無人運用禁止規則ができたはずだ。沖で停泊中でも当直が必ず乗っていなきゃいけない。お前が……」と女神像を振り向き「乗っていることは俺たちしか知らないしな」
「アタシも知らなかったわけだしねぇ……」とリリク。
「ええっと、無人船だとどうなるんですか?」とショーゴ。
「無人の船、つまり漂流船は、臨検をした国が拿捕するか、危険と判断されたら沈めるってのが、まあ、奴らの勝手な決まりだ」
「では、もしかして、今僕たちは臨検されてるってことでしょうか? この船を国がほしがってるってことですか?」
「国というか軍が、だろうな」ショーゴの疑念を肯定しつつ訂正するタケオ。
「しかし、それもおかしい。ありゃただのジェット機だ。臨検は誰かが移乗して初めておこなえるはず。あのカトンボの推力ではここまでは昇れん」
「どうするつもりなのかしら……。まさかゴウさんが攻撃してくるとも思えないし……」
「攻撃!? ミサイル撃ってくるの?」
「落とす気なら最初からやってるさ。それに、翼には何もぶら下げてない。身軽にしてあそこまでなんとか上がってきたんだろう」
「臨検……かあ」と思案げにショーゴが言う。「すると、まさか、とは思うけど……、あの飛行機から乗り移る? 脱出装置で飛び出すとか?」
「冗談だろ。しかし、それは……」と思案するゴウ。「ふむ。たしかに出来んことはないな。パイロットシートにロケットモーターが付いているしな」
 窓に張り付きながら、「最近ショーゴとクソ親父ってばなんだか仲良くしてるなー。二人ともアタシとよりしゃべってるんじゃない……?」などと呟いていたリリクだったが、興味のある話題に振り向いて口を挟む。
「え? ロケットモーター? そんなんでここまで届くの?」
「まあ、まず無理だろう。そもそも速度差がありすぎる。ただ……」タケオがそこまで言った時、またジェット機の機首が光った。
「発光信号、今度は先生からだ」すかさずショーゴが読み上げる。「『ユウレイハ ナニモ スルナ』 だって、なんのこと?」
 ショーゴに割り込まれた形になったが、タケオはそのままゆっくりと言葉を続けた。
「……ただ……、こちらから、〈バイトアルト〉から電磁誘導をしてやれば、脱出した乗員を救助することぐらいはできるだろう……」
「ああ、僕らの〈キウンカムイ〉ロケットを吸い寄せたあれか!」とショーゴ。
「さっきも言ったが、あの機から緊急脱出自体は不可能じゃあない。少なくとも空気の抵抗はもうほぼないから、キャノピーを捨ててもすぐに分解ってことはないはずだ」
「キャノピー捨てるって……。じゃああの飛行機降りられなくなっちゃうじゃない! ダメよそんなこと! あんなにきれいな機体なのに!」
「もちろん、この瞬間は空力は考えなくてよいだろうが、少し降りたら超音速で大気抵抗につかまる。一瞬で空中分解しちまうだろう。機体はもちろん、人体なんざ……。ちょっと考えたくないことになるだろうな」
「センセイは……、たとえそうなっても、ユウレイは何もするなって言ってるってことですか!? いったいなぜ……」
 何もしなければ、脱出した乗員はその機体と同じ運命をたどることになる。育ての親の決意を知ってショーゴは動揺してしまう。
「ユウレイ……。この船は幽霊船、そう軍には思われているはずね。一度も軍からの問いかけに答えたことはないから……」
「え? そうなの?」とリリク。
「そうなのよ、いろいろあったものでねぇ」母は答える。
「しかし、今まではそれで良かったんだが、もし、あんなところで脱出されてしまうとな……」とすぐ先の事態を予測していたタケオに対し、セイコは、
「ゴウさんですもの、助けないわけにはいきませんよ」と答える。
「ゴウじゃなくてもな。お前はそういうやつだ」
「で、でも、先生は何もするなって言ってるけど……?」育ての親の考えが理解できず混乱するショーゴである。
「自分の命よりもこの船が幽霊であったほうがいいという判断だろうな」
「そんなっ……!」
「ジレンマですね。あなた。良いんですか? 彼らを助けたらこの船は幽霊ではいられなくなりますよ。あなたの計画だってきっと……」
「幽霊船の船長は俺じゃない、お前さ。乗員や乗客は船長の判断にしたがうもんだ」とタケオは言い、「お前らもいいよな?」と子供たちに問いかける。
「もちろん!」と少年と少女は声を合わせ、ショーゴは続けて「異議なしです!」と叫んだ。
 彼らの答えに頷きながら、窓に向かって眼下を見やったタケオは口の中で呟く。
「しかし、まさかそんな二者択一を迫られるとはな。命がけでもやる価値があるってわけか……」

 ◇

 機体のキャノピーは、パイロット、ナビゲーターのどちらかがヘルメット後方の脱出トリガーリングを引くと、爆破ボルトによって瞬間的に切り離される。地上での整備や搭乗時はいざ知らず、緊急脱出時に悠長にゆっくり開くわけにはいかないためだ。
 さらに引き続けるとシートに取り付けられたロケットモーターが点火され、乗員は安全距離まで一気に射出される仕組みである。
 その性質上、握りやすく輪の形になっている引手に今、後席のケイがその手を添えていた。
 前席からはケイの意図を察したゴウの叫び声。
「いったいなぜこんなことに命を懸ける!?」
 狭いミラー越しに見たヘルメットの内側には、すまなさそうな瞳が映る。
「……。いまはもう軍人だから。かしら、ね」
 小声で舌打ちをしたゴウは、すっかり舵の役割を果たしていない操縦桿を殴りつける。「ファック!」
「軍もね、何かあるとは思っているのよ。でも、確信がもてないの。あの大きな幽霊船にね」
「そりゃ一体どういうことだ?」
「なぜ、落ちないの? あそこまで安定しているのは不自然でしょう?
 オートパイロットが生きてるとしたら、スマートボム・インシデントを超えて生き残ったAIが制御しているはず。
 それを、なんとしても手に入れる。それが無理ならば破壊する。
 それが、私に下された使命。あの船のAI設計陣最後の生き残りの私にね」
「お前……」
「もちろん地上からも何度もコンタクトをしてみたけれど、なんのレスポンスもなかった。ただ、あなた達と通信はしているのは確認されているわ。何らかの光学センサーが機能していることは軍の観測でわかっていた……。
 気がついていた? さっきの〈バイトアルト〉からこの機まで引いた直線を延長すると、あなた達の村に当たるのよ」
「まじかよ。そんなことまで計算していたのか」
「そう、それで、私しか知らない呪文(コマンド)でバックドアを開けようとしたのだけれどね。ここでやっても反応がなかった。となれば、緊急制御システムの救助機構に生体リクエストを送るしかない。打つ手はもう、これしか残ってないの」
 と言って女は手に力を入れる。
「AIが生きているという保証はないじゃないか! いま飛び出したところで、命を無駄にするだけだぞ」
「そうかもね。あなたには申し訳ないけれど……」
 ケイが指先に力をこめようとした時、ゴウはあらためて制止にかかった。
「まあまてよ。今、俺からは言うわけにはいかないが、いつかきっと種明かしをしてやる」
 ここは人一倍旺盛なケイの好奇心にかけるしかないだろう。
「どういうこと?」
「今は言えない。そういっただろう」
「単に命が惜しいのではなくて?」
「俺がそんな男じゃないのはお前がよく知っているだろうが!」
「そう、かもね……。でも、最後まで諦めないのも知ってる……。これってつまり時間稼ぎ、よね?」
「……。チッ。バレてるわな、そりゃ……」
「相変わらずね……。軸線をずらしたわね。流石に外を見ればわかるわ」
 いつの間にか機体の真上からバイトアルトはずれ、巨体の影はキャノピー側面を過ぎ、機の腹面側に回ってしまっている。ほとんど効かない舵を限界まで倒し、ゴウは機体をゆっくりとロールさせていたのだ。
「ああ……」
「今さら飛び出しても、上から回収はできない、ってことね……」
「まあな。そして……。正直に告白しちまうと、このままだとどっちにしろヤバイ」
「どうしたの?」
「ロールがな、止まんねえんだわ。背面で濃大気層に突っ込みそうだ」
「ちょっと! なんとかしなさいよ! 凄腕なんでしょ!」
「死のうとしていた奴が何いってやがる……。なあ、そんなら、まずその輪っか掴んでる手を胸の前におろしてくれ……。でもって、両手の指を互い違いに組み合わせて、ついでに目を閉じてくれ」
「なによそれ……」
「空の女神に幸運を祈っててくれってことさ」

 ◇

「あ、後ろの席の人、バンザイやめたわ。脱出装置から手を離したみたいよ」とリリク。
「ほんとうによく見えるねぇ」
 目をしばたたかせ眼鏡のふちを持ち上げるショーゴ。
 しかし、リリクは安堵していない、「それよりさあ……」と声をあげる。
「あの飛行機、ロールしちゃってるよ……」

 ◇

 すでに下降に入った機体のコックピットは、さらなる緊張に包まれていた。
 ズーム上昇は登るのも一苦労だが、降下こそがたいへん危険で命がけの行為なのだ。
 真空にほぼ近い空気抵抗のない高空から、音速の数倍で大気の層に切り込むのである。機体ベクトルと大気進入角をあわせ、機首を進行軸に正確に沿わせなければならない。
 少しでもずれていれば急激な圧縮抵抗を受け、機体は分解してしまうだろう。
 もちろん、進行方向に対して機首がぶれている、いわゆるドリフト状態はもってのほかである。その状態で大気圏に突入して無事でいられる有翼機など存在しない。ゴウたちの乗る骨とう品は言わずもがなだ。
 そして、あろうことか、彼らの機体はまさにそのドリフト状態にあった。
 機首は下を向きすぎ、左にひねられた状態でそのまま大気面に突入しようとしている。
 かつて、『洗濯機で飛んでも、操縦桿さえついていれば無事におりる』とまで言われたゴウの背筋にも、冷たいものが流れた。
 その男にして「これは、無理かもしれん」と覚悟を決めかけた。その時、大空のあわいを滑空する女神が、彼らの機体に、そっと、彼女の見えない手をのばし、触れたのだった……。
 音もなく、ゴウの操縦を超えた動きで適正な進入角度に修正されていく機体。
 ほっと胸をなでおろす彼の後方、計器に埋め尽くされたコ・パイロット・シートでは、ケイが電磁気ポテンシャルメータを見つめながらその瞳を潤ませていた。

「やっぱり、生きてんじゃない……。私の〈夢の船〉……」

〈つづく〉

―――

第八部へ

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