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七夕について思うこと

今日は七夕。

離ればなれだった織姫と彦星が年に一度の対面を果たせる、ロマンに溢れる日だ。

…などと書くと、「ついにコイツ、体内時計が1ヶ月分くらいバグったのか。そうか、疲れてるんだな。記事なんか書かずに寝ればいいのに。」と思われるかもしれないが、仙台出身の僕にとっての七夕は、誰が何と言おうと8月7日なのだ。
この日付は“中暦”というやつなのだが、細かいことは知らないのであまり触れない。

ひと月前の全国一斉七夕デーである7月7日、皆さんは短冊に願い事を書いたりしただろうか。
大人になるとなかなか書くことも無かろうが、お子さんがいる家庭などはそういった機会も多いのかもしれない。


ところで…。

その願い事は「誰が」叶えてくれるのか


神社ならば神様など、願いを乞う対象がハッキリしていそうなものだが、七夕における短冊の場合、担当者が曖昧なように思う。


七夕の由来は諸説あるが、一つだけ紹介する。
我が地元、仙台七夕のウェブサイトに掲載されている内容だ。

むかし、中国の漢水のほとりに、「織女しょくじょ(=織姫)」という 機織はたおりの上手な美女が住んでいました。この娘は王の父君の自慢の娘でした。
そうするうちに、娘が年頃にもなったので、父王はこの娘に農耕に熱心な「牽牛けんぎゅう(=彦星)」という青年が似合いと考え、婿に迎えてやりました。
ところが、それからというもの織女はあれほど好き好んでいた技芸をおろそかにし、肝心の機織も怠けるようになりました。
父王が注意をしてみても一向に効き目がなく改めようとせず、ついに見るに見かねた父王が牽牛を織女から引き離し、漢水の対岸に追放してしまいました。
織女は毎日泣き続けるばかりで、それではあまりにも可愛そうなので、年に一度、旧暦7月7日の夕だけ逢いに来ることを許しました。
その日が来ると、牽牛は漢水を渡って織女に逢いにいきました。その時には、かささぎが群がり集まってきて、橋渡しをしたということです。

仙台七夕まつりより引用、一部注釈追記。
文章力は少々怪しいが、ほぼ原文ママ。


少々読みにくいので僕なりに優しい表現で言い直すとすれば…

昔、中国のとある・・・川の近くにアパレル関係の美女・織姫が住んでいた。この美少は彼女の父親にとって自慢の娘だった。
王である父親は、年頃になった娘に“イケメン農業男子”・彦星を婿としてあてがった。

しかし若い美男美女カップルなど、暇さえあればイチャつく生き物。
ましてや父親公認の仲となればなおさらである。
天職だったアパレルの仕事はそっちのけ、王である父親のスネをかじりながら食って寝て遊んでを繰り返す、気ままな生活。
ついでに婿までもが義父のスネを齧り始め、目も当てられない。
父親も叱ってはみるものの、「え?だってパパが連れてきたんでしょ?何が悪いわけ?」などと言う始末で聴く耳も持たない。
結局イケメン農業男子はアパレル美女から引き離され、川の向こうに追いやられてしまった。
アパレル美女は毎日泣き続け、結局のところ仕事もしない。娘が哀れではあるので、旧暦7月7日の夕方だけイケメン農業男子が会いに来ることを許可した。
その日が来るとイケメン農業男子は橋代わりに大量のカラスを踏み付けながら、川を渡ってアパレル美女に会いに来るようになったのだった。


めでたしめでたし。皆様、よい七夕を。







…では終わらせない。


この「川」の幅、資料は乏しいが最大でも500~1,000m程と思われる。
アパレル美女が毎日泣いていたのは事実として一旦受け入れよう。
しかし、「本当に」会いたい気持ちがあるならば、こんな距離は障害とも言い難い。
この程度の距離の移動もせずに“年に1回”という言いつけを律義に守るイケメン農業男子は、「本当に」他の364日を仕事に充てていたのだろうか。

「いや、でも、中国の漢水は流れの速さが○○で実際に渡るとなれば…」などという正論は不要。うるさい。
そういうのは他所よそでやってくれ。

自分の欲求を満たすために、大量のカラスを橋代わりに踏み付けるような男だ。
自分がイケメンであるのをいいことに、川向こうで他の美女と取っ替え引っ替えよろしくやっていたに違いない。
ふざけやがって。羨ましい。


そしてここで明らかにすると、短冊に書かれた願い事を叶える担当者は、織姫である。

全国的には、短冊に願い事を書き葉竹に飾ることが一般的に行われている。(中略)技芸の上達を祈る祭であるために、短冊に書いてご利益のある願い事は芸事であるとされる。
願いを叶えるのが誰か、という点については織姫説、織姫の父親説があるが、当記事では織姫説を支持することとする。

記事の都合上ね。

整理する。

・ご利益のある願い事は芸事
・願い事を叶える担当者は織姫

選択すべき願いの種類は、「三味線を弾くのが上手くなりますように」「字が上手くなりますように」「裁縫が上手になりますように」くらいのものだ。

「身長が伸びますように」「イケメンの彼氏が出来ますように」を願うなど、愚の骨頂

身長を伸ばすなど織姫の専門分野ですらないし、「イケメンの彼氏が出来ますように」など、年1回しかイケメン彼氏に会うことを許されていない織姫に要求すれば、どんな仕打ちが返ってくるか分かったものではない。
ましてや川の向こうのイケメン彼氏は、そのツラ構えを武器に遊びまくっているかもしれないのだ。
ふざけやがって。羨ましい。


試しに『七夕 願い事 誰が叶える』でGoogleに尋ねたところ一番上に表示されたのは…

七夕の願いを叶えるのは自分

つまり、織姫にお願いをするけれども、それを実現するのは自分ということ。

随分と綺麗にまとめられてしまった。
つまり「各自で頑張れ」ということだろう。
無難にまとめられてしまった感はあるが、そういうことらしい。
じゃあ「お願い」とは何なのか。ただの宣言じゃねぇか。

「お金持ちになりたい」「可愛い彼女が欲しい」「世界征服したい」などと書くのは自由だが、そうなりたければ自分でどうにかせい、という身も蓋もない話。
まぁ正論であり現実的な落とし所ではあるが、少々面白みに欠けるところはある。


…などということは我が家の2歳の娘には言えないので、全て撤回する。

離ればなれのカップルが年に一度デートを出来て、なおかつ、お星さまが願い事を叶えてくれる素敵な日。

それが七夕。


以上。


仙台市では毎年8/6~8/8の期間で七夕まつりが開催される。
今年は難しいかもしれないが、世の中が落ち着いた際には是非足を運んで頂きたい。
全く動きのない地味な祭りではあるが、それはそれで味わい深い。

昨日帰りに撮ったやつ①
昨日帰りに撮ったやつ②
昨日帰りに撮ったやつ③
昨日帰りに撮ったやつ④

こんな感じのが延々とぶら下げられている。


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