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【ルポ】出会い系アプリで出会った7人の既婚男(序章&プロローグ)



プロローグ

私の人生はスムーズだったと思う。大手メーカーで技術者として働く父と、大学院の博士課程中に、私の姉を産み、専業主婦となった母の元で、何不自由なく育ち、名の知れた私立大に進学。

新卒で入社した大手商社で同期だった橋口君とは、29歳で結婚した。でも、そこにも恋や愛はなかった。体の相性は悪くはないけれど、特に彼でなくても良かった。

橋口君と私は、部署は違ったけれど、新人研修で同じグループになって以来、気が合ってよく仕事帰りに飲みに行っていた。仕事の悩みをお酒で紛らわしたり、「プレゼンが終わった」「営業成績が良かった」などの話をネタに、ビールで乾杯して明け方まで飲み明かしたこともある。

お互いに恋人がいた時期もあったけれど、二人とも恋人とは長続きしなかった。どこかで「恋も愛も幻想だよね」と思っていたからだ。恋や愛だけをガソリンにして、結婚生活という長い道のりを死ぬまで走り続ける自信がなかった。

でも、そんな風にひねくれた考えをする人は少数派なのか、過去の恋人たちは、感情的な関係を好んだしだし、永遠の何かを求めていた。「何か」が何なのか、彼らもわかっていないようだったけれど、どうやら結婚という形を取ることが、その「何か」が2人の間に存在することの証の一つになるらしかった。

想像しただけで息苦しく、酸欠になりそうだ。人生100年時代、30歳で結婚したとして、そこから70年近くも「愛」という幻想に縛り付けられる人生はあり得なかった。どんなに苦しく無意味な修行だろう。
最後まで愛で繋がれた関係を維持すること、それが人生の成功だという幻想は、もはや洗脳の一種ではないかと思ってしまう。

私と橋口君をつないでいたのは、「洗脳されてたまるか」という反骨の精神だった。ある日、私たちは「なんか世の中、面倒だよね」という話をネタにビールジョッキを合わせ、自然の流れで「じゃあ、この二人の間で結婚しておくか」という結論に至った。半分冗談だったけれど、現実にそうなった未来を想像すると、気が楽だった。橋口君なら、永遠を約束させられることはない。お互いが唯一無二の存在でい続けるべきだ、という見えない縄で縛られることもない。そう安堵している自分に気づいた。

私たちの間には、情熱も深い愛もなかったけれど、自由があった。お互いの自由を尊重しながら、結婚生活を続ける。それが私たちの選んだ道だった。

私たちは同期結婚の第一号として祝福され、私はそのまま旧姓で仕事を続けていたが、結婚の2年後、31歳で退職した。キャリアを築いていくことに興味がなかったし、既婚者になった途端、社内の居心地が悪くなったからだ。
上司と打ち合わせ後に会議室で話し込んでいると、「だんなに嫉妬されちゃうから、そろそろ戻らないとね」と軽口を叩かれたり、プロジェクトメンバーとの飲み会に参加表明をすると「橋口君のご飯は大丈夫なの?」と聞かれたりする。彼も何かとやりにくかったのだろう。「退職しようかな」と伝えたときも、「そうなんだ。いいんじゃない?」としか言わなかった。

退職してからは、派遣社員として週3回だけ貿易事務の仕事をしている。フルタイムの正社員から週3回の派遣社員になって、驚くほど時間と心の余裕ができた。手にした時間で、私は自分の人生を見つめ直した。

子供を産むことは多分ない。欲しいとも思わない。二人で暮らしていくには経済的にも問題はない。結婚生活は当初の予定通り、自由だ。じゃあ、私の人生は完璧なのか。「足りないとしたら、愛かな」と、自嘲する自分がいた。

50代、60代の男性上司を見ていると、「奥さんは、どうしてこのだらしない男と一緒に暮らし、ご飯を作ってあげたりしているのだろう」と疑問に思う。その答えは、おそらく「愛」だろう。いや、「愛はないけれど、家族だから」という答えかもしれない。それを「家族愛」と言い換えたりもする。
本当に、すでに鼓動も止まり、血の通っていない「愛」というものを、どちらかの人生が幕を閉じるまで、生かし続けようとする延命治療は必要なのか。私たち人間の本能は、違うものを求めているはずだ。現に、社内では不倫が当たり前のように行われている。「妻とは家族愛、不倫相手とは真実の愛」そう豪語する男もいた。

私は30代という「ギリギリの若さ」を利用して、ある実験と検証をする一人プロジェクトを始めることにした。プロジェクトの初動は、出会い系アプリに登録するところから。
ハンドルネームは子リス。

プロジェクトで明らかにしたいテーマは、下記の通り。
①既婚者の彼らは、アプリの向こうに何を求めているのか。
②私は彼らに会って、心はどう動くのか。

私の仮説はこうだ。そこにあるのは、ただ、枯れずに持て余している性欲を満たしたいという欲望だけ。それをオブラートに包むための恋愛ごっこ。それ以上でも以下でもない。もし、そうでないならば。そこに真実の愛があるならば。私もそれを手にしてみてもいいかもしれない。めでたく手にできたあかつきには、橋口君に自慢してやろう。

彼に今、恋愛ごっこを楽しんだり、性欲を満たす相手がいるのかどうか知らないし、興味もない。私は自分の自由を全うしながら、検証を進めるだけだ。(つづく)

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