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イジメ問題について考える

きっかけは、こちらのプロ奢さんの投稿

さすがの文章力で、初体験になぞって面白く書かれている。

ただ、イジメの実際の件数自体は変わっていないのではないかという意見もある。

私もここに記載されている内容は、それほど誤っていないのではないかと思う。
となると、先程のプロ奢さんのポストの解釈は、前提が崩れてしまっていると考える。

ではなぜイジメはなくならないのか?

それは学校入学前に「差別(区別)」をしないからだ。
公立の小学校は、基本的に誰でも入れる。
「境界知能」から、「ギフテッド」の子まで、お受験等をしていなければ、同じ学び舎・クラスで授業を受けることになる。
小学校の授業は境界知能より少し上を基準に作られている。
これでは、境界知能の子もギフテッド的な子も、苦痛な内容になるのは明らかだと思う。
そうすると、当然、そのような子が母集団から浮いた存在になってしまう。
浮いた存在は、本能的に異物として排除しないと、不安になる。排除していれば、安心する。そうでないければ、進化の長い歳月の中では種として生きてこれなかったから。当然の生存本能だ。
もちろんこれは教育で、ある程度コントロールすることも可能だ。
しかし知能に差があると、不安で仕方がなくなり、それをどうにか安心させようと、行動せざる得なくなると思う。
それが「イジメ」なのではないだろうか?

これを解消するためにも、小学校にあがる前に、知能テストを義務化する必要があるのではないかと私は思う。
境界知能の人たちと、IQ120以上と130以上とかで、学校はわけるべきなのではなかろうか?
その集団内でも、何もしなければイジメは発生すると思うが、ある程度コントロールできるものになると思う。自分と近いものが排除されると、その近い存在に共感して、自分のためにその対象を守る生存本能も作用すると考えるからだ。
どんなに大人が諭しても、「アイツと私は違うから」と思わせてしまっては、なかなか難しいと思う。排除しなければ、気持ちは不安のままなのだから。

なので、イジメがなくならない原因は、この非効率的に平等な優しい世界だと私は思った。

小学校から知能指数でクラスや学校を分けることをしたら、ギフテッドとされる子たちが、自分らの才能を自覚し、さらに活躍の場が広がって、世の中を良くする方に動きやすくもなるのではないかと思っている。

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