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『道徳』は弱者の嫉妬!?『「最強!」のニーチェ入門』

こんにちは、らるです。

道徳…というと
守るべきもの、いいことのように
思いますよね。

私も、道徳を守る人が多く居た方が
生きやすい世の中になるのかなー…なんて
漠然と思っていました。

しかし、ニーチェは、
この「道徳」を真っ向から否定します。

「道徳」の何がダメなのでしょうか?

こちらの本から紹介していきます。

「良い」人ってどんな人?

皆さんは、通常「良い」という言葉を
どんな風に使っているでしょうか?

例えば「良い」スマホと言ったら
どんなスマホですか?

処理速度が速い
画面がキレイ
カメラの性能が良い
最新のアプリに対応している
…などなど、色々あると思いますが

基本的に「性能が良い」ことを指す
と思います。

では、「人」に対してはどうでしょう?

「良い」人というと

やさしい人
周りに害を与えない
素朴な感じの人
無私無欲な人

そんなイメージになるのでは
ないでしょうか?

決して

お金を稼ぐ能力が高い人
強い権力あるの人
力の強い人
頭の良い人

のことを「良い」人とは言いませんよね?

「良い」の本来の意味から考えると
モノに使う時の「良い」の方が
正しい感じがします。


そうなんです。

人に対して使う「良い」の意味が
歪んでしまっているんです。

実はこの「良い」が歪んでしまった原因が
キリスト教に由来する「道徳」にある
と言うんです。

これを説明してくれている部分を引用します。

奴隷にされている弱い民族がいた。
その民族は弱いため、強いものに復讐できなかった
そこでその弱い民族は、空想上で復讐を果たすため
「強いのが悪い、弱いのが善い」という価値観を作り出し

この架空の価値観が宗教を通して世界に広まってしまった。
これが道徳の起源である。

Kindleの位置No.741

弱いために現実の世界では復讐できないから
空想の中で復讐をする
ことにしました。

「強い=悪」「弱い=善」という価値観を
作り、それが道徳になりました。

という話です。

そして、これの何がいけないか、というと

この道徳に従ってしまうと
「嫌なことを文句を言わず受け入れる」のが良い
「弱いままでいる」のが良い

ということになってしまうんです。

それは「人間本来の生き方」ではない
だから、良くない。

と、ニーチェは言うわけです。

実際に

嫌な状態でも、惨めな状態でも
ガマンしてそのままで居るのが良いんだよ

なんて言われたら、
イヤな気がしませんか?

本来、人は

イヤな状態から抜け出したい
もっと自分を高めたい
強くなりたい

という気持ちを持っているんです。

ですが、道徳に従うと
その本当の気持ちにフタを
しなければならなく
なります。

だからこそ、ニーチェは
道徳を否定するわけなんですね。

まとめ

良いモノ=性能の良いモノ
良い人 =無私・無欲な人

というように、
人に対する良いの意味が歪んでいるのは
「道徳」の影響
である。

「道徳」に従うと
嫌でも惨めでも我慢し続けるのが
良い事…ということになってしまう。

人間本来の生き方が出来なくなってしまう。



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