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人生に「意味」はない? 『「最強!」のニーチェ入門』

こんにちは、らるです。

先日に続き、こちらの本から
人生の意味についてお話していきます。

私たちは「意味のない」ものに縛られている

一旦、これらのことを考えてみましょう。

お金持ちだといい
スマートな体型がいい
勉強ができるといい
異性に好かれる方がいい

あまり、違和感を感じる人は
いないかと思います。

多くの人が価値観として持っているものです。

なので、逆に…

お金がない
太っている
勉強ができない
異性に好かれない


…と、自分で思う人は
自分を低く見てしまう
ということにつながるでしょう。

ですが、これらは

本当に良い事、悪い事なのでしょうか?

この価値観は誰が決めたのでしょうか?

これらは本当に意味のあることと
いえるでしょうか?

別の例を考えてみます。

の例です。

鶏に対して私たちは

タマゴを沢山生むと良い
よく太ってくれた方が良い
鳴かずに静かにしてくれた方が良い

こんな風に思います。

私たちからしたら
あたりまえのことですよね?

でも、これらを
鶏の視点に立って考えてみたらどうでしょうか?

鶏は、こんなこと気にしてませんよね。

あくまでこれらは
鶏自身とは関係のない
「外からの価値観」でしかない
からです。

人の話も、鶏の話も
構造は同じ
なんです。

人に対して
「スマートな体型の方が良い」

というのも

鶏に対して
「タマゴを沢山生む方が良い」

というのも「周りが勝手に決めたこと」
であると言う意味では同じなんです


単なる、外から押し付けられた価値観にすぎません。

私たちは人間なので
外から押し付けられた人間に対する価値観を
自分自身も取り入れてしまっている

…というだけのことなんです。

私たちは、
人生を「価値観」に沿って
生きてきています。

ですが、その「価値観」は
実際には大した意味はなく

「社会から押し付けられただけ」
すぎないわけです。

ですから
「常識」「多くの人が持つ価値観」に
合わないからといって
落ちこむ必要はない
わけです。

ただ、その一方で
「いい」と言われていたもの…
自分でも「いい」と思い込んでいたものに
本当は意味がない…
と分かってしまうと
虚しくなってしまうこともあるでしょう。

人生に意味はない
と気力を無くしてしまった状態です。

この状態を虚無主義、ニヒリズムと言います。

ニヒリズムに陥り
日々、とりあえず忙しく働いてお金を稼ぎ、
空いた時間は
ヒマつぶしをして生きる人間を
「末人」(まつじん)と
ニーチェは呼びます。

どうでしょう?

この状態に「生きていてよかった」
と思えるような喜びはあるでしょうか?

この「末人」の状態からいかにして抜け出すか
という話は、次回に回します。




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