宗教と政治思想の違い

おはようございます!らるです。

『信念』って、皆さんは持っていますか?

信念とは
それが正しいと堅く信じ込んでいる心
です

意識的にせよ、無意識的にせよ
必ず「正しいと思うもの」は
持っている
と思います。

その中には
昔からずっと正しいと思っているもの

最近正しいと思うようになったもの
(正しくないと思うようになったもの)

があると思います。

それは、個人だけでなく
『群衆』も同じであるという話を
『群衆心理』第二篇 第四章 第一節より
説明します。

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固定した信念
とは、ずっと変わらない信念です。

私達の信念は
変わらない信念=固定した地盤 の上に
変動する信念=表面の砂 が乗っている

状態になっています。

ここでいう、変わらない信念とは
文明の基礎を築いている
ものです。

例えば、キリスト教のような
国家的に浸透している宗教とか
民主主義のような政治的な思想
のようなものです。

この『変わらない信念』
=一般的信念をもつ理由を
ル・ボンは以下のように
説明しています。

民族は、新たな一般的に信念を
とりあげるまで
は、
文明の諸要素を変更する。
従って勢い、それまでは
無政府状態
にある。

一般的信念というものは、
文明の必要欠くべからざる支柱であって、
思想にある方向を与え、
しかも一般的信念のみが、
信仰を鼓吹して、義務観念を
生ぜしめる
ことができるのである。

一般的信念を得るまでは
無政府状態であり、
義務を課すこともできない

ということです。

少しイメージしづらいですが
例えば、民主主義である
今の日本に生きる人と

帝国主義にあった
戦時中の日本に生きる人

武士が頂点にいた
江戸時代の日本に生きる人

それぞれ、
従いたいと思うものも
基本的な考え方も

(例えば、戦争に対する認識)
全く違うので、

もし、これらの人たちが
一度に同じ時代に生きることが
あるとしたら、

きっとしばらくは
「無政府状態」の
ような混沌とした時代

なってしまうことでしょう。

この、一般的信念が
滅びるのは、
革命が起きた時、または
「論議の的」になったときです。

この一般的思想は
一種の理想像であり『幻想』です。

なので、実際に『経験』し
その『幻想』が疑われるようになると
その力を失って
いきます。

この視点で行くと
来世での幸福の実現を約束する宗教
『幻想』が崩れないまま生き残り

現世での幸福の実現を約束する政治思想
実現すると『幻想』が崩れ、
論議の的になり
その力を徐々に失ってしまう

ということが起こるのです。

今日のまとめ

固定された信念=一般的信念が無いと
無政府状態になり、安定した生活は
望めない

一般的信念も一種の『幻想』
実現してしまえば『経験』され
論議の的になり、徐々に力を失う

最後まで読んでいただき
ありがとうございました!

ご意見、ご感想お待ちしています!

また明日も更新するので
ぜひ読んでみてくださいね!




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