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「死ぬなら『がん』がいい」理由

こんにちは、らるです。

先日「老衰死」が思ったほどいいものではない
という話をしました。

じゃあ、どんな死に方がマシなのか

…というと、その一つの答えは「がん」です。

がんは治療さえしなければ、ある程度の死期がわかるので、それに向けて準備ができます。もう一度行きたいところ、会いたい人、食べたいもの、見たいもの、聴きたいもの、したいことを楽しみ、世話になった人に礼を言い、迷惑をかけた人に謝り(死が前提なのだからたいていのことは許してもらえるでしょう)、ケンカ別れした友とも仲直りする余裕があります。
(中略)
医者たちが、「死ぬならがん」と言うのは当然と言えるでしょう。先にも書いた通り、私の父ががんの宣告を受けて、ぱっと表情を輝かせたのもご理解いただけると思います。

久坂部羊. 人はどう死ぬのか (講談社現代新書) (p.109). 講談社. Kindle 版.

「死ぬならがん」と、
お医者さんの中には言う人もいるらしいのですが
それは、「死期がある程度読める」ことが
要素として大きいようです。

ただ、治療をしすぎると
副作用で動けなくなってしまい
残りの寿命をうまく使えない
…という恐れも出てきます。

 がんで死ぬときに大事なことは、無理に治ろうとしないことです。かつては、がんは治るか死ぬかのいずれかでしたが、今は、治らないけれど死なないという状態が作られています。いわゆる「がんとの共存」です。
 がんを根絶しようと思うと、過度な治療を受けて副作用で苦しんだり、場合によっては逆に命を縮めてしまったりします。過激な治療ではなく、ほどほどの治療でようすを見て、治療の効果より副作用のほうが大きくなったら、潔く治療をやめる。これががん治療の要諦です。  治療をやめたら死ぬじゃないかと思うかもしれませんが、治療を続けても、さらにはがんを根絶しても、人は死にます。死にたくないと思うのではなく、上手に死ぬというふうに発想を変えれば、治療の中止も大いに好ましい選択であることがわかるでしょう。  それをいつまでも治療に執着していると、せっかくの残された時間を、つらい副作用で無駄にする危険性が高いです。

同上

もちろん、死ぬことは
誰にとっても怖いものです。

私もできるなら避けたいですし
がんになりたくもないです。

しかし、がんで死ぬことが
他の死に方と比べて
少しでも良い面がある
と考えることもできるのです。

がんと診断された時
どう過ごすかは
本人次第ですが
無理に治療しようとせず
残りの時間を大切に過ごすことも
一つの選択肢です。

死ぬならがん
という考え方もあるのだ

…ということを頭の片隅に
入れておいていただけると幸いです。

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