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”いつか”来る死を想像して備えよ、ではなく…【あした死ぬ幸福の王子⑥ 】

こんにちは、らるです。

『人生は短いんだから…』

というのはよく聞くフレーズでは
あるのですが、そうは言っても
今日も明日も明後日も
自分が生きているだろう…と
なんとなく思ってしまっていて
それを疑うことって
ほとんどないですよね。

ですが、ハイデガーの哲学では
死の特徴として

『いつ死ぬかわからない』
=『今、この瞬間にも死ぬ可能性がある』

ということが言われています。

人間はいつでも死にうる。それは、まさにこの瞬間においてもだ。いいか若者よ、ハイデガーの言う『死の先駆的覚悟』とは、いつか来る死を想像して備えよ、という話ではない。今、この瞬間に人間は死ぬ存在なのだという事実を真っ向から受け止めろ、という話なのだ

飲茶. あした死ぬ幸福の王子――ストーリーで学ぶ「ハイデガー哲学」 (p.125). ダイヤモンド社. Kindle 版.

この『死の先駆的覚悟』
=今、この瞬間に人間は死ぬ存在であると受け入れる
ことができてこそ、人間の本来的な生き方である

「自分の人生とは何なのか?」

をという生き方が出来る、ということですね。


…そんなこと言っても
どうやったら覚悟なんてできるの?

という話になると思います。

そこで出てくるのは

『負い目』です。
良心とも表現されていますが)

人が負い目を感じる理由だが──答えを先に言うなら『人間が有限の存在である』からだ


飲茶. あした死ぬ幸福の王子――ストーリーで学ぶ「ハイデガー哲学」 (p.138). ダイヤモンド社. Kindle 版.

人が負い目を感じる理由は
「限界」があるからだ

というわけです。

限界というのは、能力的なものもあるし
時間的なものもある…というわけです。

で、この負い目、良心が
なぜ、死を覚悟することにつながるか、
というと

①良心とは、負い目を感じる心である。
②負い目は、人間の無力さ、有限性から生じるものである。
③また、負い目は、誰でもいつでも感じられる日常的なものである。
④その日常の負い目を見逃さず、向かい合うことで「死の先駆的覚悟(本来的な生き方)」ができる。

なぜ④の結論になるかと言えば、負い目と向き合うということは、「無力さ」と向き合うことであり、「有限性」と向き合うことであり、すなわち「死」と向き合うことであるからだ。

飲茶. あした死ぬ幸福の王子――ストーリーで学ぶ「ハイデガー哲学」 (p.144). ダイヤモンド社. Kindle 版.

「限界」に向き合っていくと
「死」に向き合うことになっていくからだ

というわけですね。

ちょっと、遠い話のようでイメージしづらいですが

例えば、
「ゲームのやりすぎて時間を無駄にした…」
という負い目
を感じたことを考えてみると

仮に「時間が無限」にあるなら
別に、いくらゲームをしていようが
関係ないわけです。

時間が有限である…ということの
究極のリミットを考えれば
それは「死」以外にはない
わけですから

負い目に向き合う⇒死に向き合う

というのは、わからなくもないかと思います。

ただ、直感的には感じづらいと思いますし
本当に深く向き合っていかないと
実感まではできなさそうに思います。


負い目と向き合う方法

「あの……『負い目』と向き合えばと言いますが、具体的にはどうすれば良いのでしょうか?」
「うむ、その問いにハイデガーの言葉を借りて答えるなら、『良心の呼び声に耳を傾けよ』ということになるな」
(中略)
ハイデガーは『良心の呼び声は無言だ』と言っている。つまり、内容のあることは何も言ってくれない」
「え? どういうことでしょうか?」
「どういうこともなにも、言葉通り『呼びかけ』だということだ。たとえば、おまえが誰かを『おい』と呼びかけるとき、そこには何も内容を含んでいないだろう?」
「それはそうですが、でも普通、呼びかけには何か目的があるはずですよね。水を持ってきてほしい、とか。『良心の呼び声』なるものはいったい何のために呼びかけてくるのですか?」
「それは、おまえが『負い目のある存在』だと気づかせるためだ。つまり、『おまえは負い目があることを忘れていないか?』と、そのために『おい』と呼びかけてくるわけだ。だから、『あれをしろ、これをしろ』と具体的な命令はしてくれない。ただただ『気づけ』と無言の圧力をかけてくるだけの声ということだな。ちなみに言っておくが、『良心の呼び声』は突然呼びかけてくるようなものではない。今この瞬間にも、ずっとおまえに呼びかけている。おまえがそれを聞き逃しているだけにすぎない……。

飲茶. あした死ぬ幸福の王子――ストーリーで学ぶ「ハイデガー哲学」 (p.145). ダイヤモンド社. Kindle 版.

良心は、常に心の中にあって
『無言』で呼びかけ続けている

「ホントにそれでいいの?」
…ということを。

これに向き合うことが
負い目と向き合うことであり
死を意識にすることにつながる

ということです。

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