見出し画像

ルサンチマン人間って、どんな人? ニーチェ「道徳の系譜学」

ルサンチマン=怨恨(恨み)の念

ニーチェ哲学のキーワードだ

辞書で意味を調べると
以下のようになっている。

強者に対し仕返しを欲して
鬱結(うっけつ)した、弱者の心。

鬱結=気がふさいで晴れ晴れしないこと

Oxford Languagesの定義

今日は、ルサンチマン人間の特性を
紹介する。

「自分はルサンチマン人間だろうか?」
「本当はどういう姿になりたいのか?」

という視点を持ちつつ、
読んでいただけると幸いだ。

ルサンチマン人間と対比されるのは
「高貴」な人である。

何が違うのか?

『道徳の系譜学』第一論文
10 ルサンチマン人間の特性より

高貴な道徳は、
勝ち誇るような肯定の言葉、
然りで自己を肯定することから
生まれるものである。

「高貴な道徳」は「自己肯定」から生まれる
では、ルサンチマン=奴隷の道徳は?

「外にあるもの」を、
「他なるもの」を、
「自己ならざるもの」を、
否定の言葉、否で否定する
この否定の言葉、否が
彼らの創造的な行為なのだ。

自己「以外」の「否定」から生まれる

つまり「外」に依存しているのだ

ルサンチマン人間が行動するためには
外部から刺激が必要なのである。
=「受動的」なのである。


外の何かを否定することばかりに
エネルギーを割いていないだろうか?

誰かから言われないと
動けない人間になっていないだろうか?

それらは、ルサンチマン人間の兆候である。

逆に、「高貴」だとどうなるか

まず自発的に行動し、成長する。
それが反対物を必要とするとすれば、
それは感謝の念のもとで、
さらに喜ばしく、
みずからに肯定の言葉、
然りを語るためにほかならない。

自発的に行動し、成長

反対する物=敵が出てきても
それに感謝し
更に自らを肯定する

これが「高貴」の姿である。


自分の内面からの欲求によって
なりたいものを目指して進み
外部からの力…トラブルや
他人からの妨害
に対して
むしろ感謝し、
更に自分の道を力強く進む…


これに該当する人をあなたは
知っているだろうか?

知っているなら、
あなたはその人をどう思うだろうか?

既に自分がそうだ! と言えるか

今はそうでなくとも
そうなりたい!   と思うか

あるいは…

自分にはなれない、と
恨みの念(ルサンチマン)を
感じるだろうか?


私は、高貴になりたいと
そう思っている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?