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「責任」持てていますか? ニーチェ『道徳の系譜学』

先日、「忘れっぽさ」が健康の源
という話をした。

今日は、それに対抗する力
「記憶」と「責任」

ニーチェの言う「至高の人間」
この「至高の人間」の「良心」
ついて書く。

ニーチェ曰く
約束を守ることのできる人間こそが
「至高の人間」
なのである。

「約束」を記憶し、守るというのは
実は、とても高度なことである。

道徳の系譜学 第二論文
一 約束する動物 より引用する

まず、必然的な出来事と
偶然的な出来事を区別する
術を
学ばねばならない。
さらに因果の法則に基づいて
思考する
ことを、
はるか先のことを
今のことでもあるかのように
観察し予見することを、
自分の目的が何であり、
そのために必要な手段が何であるかを
確実に想定する
ことを、
そしてそもそも計算し測定する能力
学ばねばならない。
(中略)
未来としての自分を
保証できるようにならねばならない
のだ!

このような力を持った
「責任」を持てる
「約束」できる人間を
ニーチェは「至高の個人」であるという。

確かに、言ったこと常に守り
常に信頼に答えてくれる人間には
私も尊敬の念を感じる。

逆に、簡単にウソをついたり
曖昧に誤魔化す人間には
尊敬は感じない。

ニーチェの言うことは
正しいと感じる。

更に、ニーチェはこの「至高」の人に
ついて続けて書いている

ニ 責任と良心 より

不幸な出来事に抗してでも、
「運命に抗して」でも、
自分の一言を守り抜く
ことが
出来る人間を、他人に約束する言葉を
絶対に信頼のおけるものとして
与えることのできる人間を、
尊敬するのである
(中略)
責任という異例な特権をめぐる
誇り高き知、このごく希少な
自由についての意識、
自己自身と運命まで支配する
この力の意識
は、
彼の心のもっとも深いところまで
降りてゆき、彼の本能に、
支配的な本能になっている
のである。
(中略)
この至高な人間はそれを
みずからの良心と呼ぶのだ……。

約束を守れる人間
責任を持つ人間というのは

自己自身だけでなく
運命まで支配する人だ
ということだ。


「責任」という言葉は重いものだ、
というのを改めて感じる。

私にとっては「責任」は
基本的に逃れたいと思うものだ。

「責任」を自ら意志して持ち
自己自身と運命を支配できる人間は
どのくらいいる
のだろうか…?






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