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自分の気持ちは自分が一番よくわかる…というわけではない【Mさんの話を聞いて】

こんにちは、
複数人で集まるより
1対1の方が好きです、らるです。

先日のKさんのとのお話が
呼び水となって

また、別の方に声をかけていただけました!

今回、お話したのは、もろこしさんです!

noteの方に詳しく書かれておりますが
現在はフリーランスでライター等の
お仕事をされている方です。

私とは、某読書サークルを
通じての縁

もろこしさんが、サークルのZoom会に
初めて参加されたとき
たまたま私が司会
をしていて
お話を聞かせていただいた…というのが
出会いでした。
(後に聞かせていただいたところによると
この時の経験がきっかけで
サークルに定着するようになった
のだとか…
ある種、私が貢献できたところもあると
言えるので、嬉しい
ですね!)

さて、今日は
そんなもろこしさんとのお話の中で
改めて感じたことについてです。


自分の気持ちは自分が一番よくわかる…というわけではない

さて、もろこしさんとのお話の中で
最も印象的だった話…というのが

とある方への『想い』の話でした。

ちょうど、直近のnoteで
書かれていたことです。

私のお聞きしたところだと

・その方の一番になりたいと思うくらい強い思いがある
・相手の最期のときまで、意識の中に残って
 生きる理由の一つになりたい

これだけ聞くと、「恋」なのでは?
と思えそうな話なのですが
実はそう単純でもなく

・変な影響を与えて相手が変わってしまうのがイヤ
・迷惑をかけたくない
・だから、恋人と言えるほどの
近しい関係にはなりたくない

こっちだけを聞くと
「ファン」のように思えます。

前者の側なら、どんどん近づいていくのが
良さそうですし

後者の側なら、できるだけ距離を取って
眺めているだけの方が良さそうです

ですが、そのどちらの思いも
今は感じているのですから
ご本人としても、
どうしていいのかわからない面がある

ということでした。

自分の気持ちの話なのに
どうしたいのかがわからない…ということも
あるわけですね。


本心がわからない理由

正直なところ、私にも明確な答えは
ないのですが、

一つ、自分の想いを複雑にしてしまうものとして
考えられるのが「常識」です。

自分が今まで生きていく中で感じてきた
社会の要請、世間体…
周りに押しつけられてきて
今や自分と一体となってしまった偏見…というのが
常識です。

結局、自分のことを自分で見つめようとしても
その自分の常識という、ある種の歪んだレンズを
通してしか見ることができません。

ですから、自分の想いが複雑に
感じられてしまう事あるのかな…と感じています。

そういう意味では、人のレンズを借りる
(=他の人に想いを語って、意見を聞いてみる)

というのは、有効でしょう。

違った見方を、聞いて、それを受け入れれば
より、自分の気持ちの輪郭が
見えやすくなるかもしれません。

片目で見るよりも、両目で見た方が
物体のより正確な姿見えるようになるのと
同じように…です。

そして、また、自分の感情の動きを
よく観察する
ことも有効でしょう。

様々なタイミングで
冷静に自分の気持ちがどちらに動いたのかを
見つめてみる、ということです。

私はこういうことが気持ちいいんだ
逆に、こういうことは不快なんだ
…と自分への理解を深めていくことです。

自分の気持ちがどう動いていくのかを
理解することができれば
「自分の本当の気持ち」に
き近づけるのではないでしょうか。


私としては、お話を聞くことくらいしか
できませんでしたが、
もろこしさんの場合は、
なにもできずに立ち止まるのではなく
しっかりと行動を起こされていた
ので、
きっと自分なりに納得のいく答えに
たどり着く日も遠くないだろう
…と思いました。

陰ながら応援しております!


お話相手の方は、まだまだ募集していますので
声をかけてくれると嬉しいです!

連絡手段はTwitter等なんでもかまいません!




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