「個」の集まり=「大衆」…ではない! ギュスターヴ・ル・ボン『群衆心理』より
こんにちは、らるです。
タイトルを見て
「どういうこと?」と
思った人が多いと思います。
「大衆って言っても
結局は人の集まりでしょ?
だったら、一人=個が集まったものが
大衆って考えて良いんじゃない?」と。
実は、話はそう簡単ではありません。
人間は
『「個人」として一人のときと
「大衆」の中の一人のときとで
全く違った性質を示す。』
と、『群衆心理』という本で
語られています。
「一人」のときには理性が働いて
やらないことを
「大衆の中の一人」になった途端
平気でやるようになってしまうのです。
『赤信号、皆で渡れば、怖くない』
の精神と言えば、
イメージが付きやすいでしょうか。
極論すれば、これの超巨大版が
ヒトラーが率いたナチスドイツの
悪行です。
そして、困ったことに
この「大衆」になると変わってしまう
という性質は、
歴史を見る限り
人間の一般的性質の一つです。
簡単に抗うことはできません。
…
私は以前に書いたとおり
『道徳』を学ぶことで
「一人」として生きる時の
考え方を、明確にしていっています。
ですが、道徳で培った
「一人」の時の性質が
「大衆の中の一人」になった時に
役に立たなくなるとすれば
この「大衆」の性質についても
学び、対策しておく必要があるでしょう。
これが、今、私が「大衆」について
学んでいる理由です。
「個」としての私作りを「道徳」で
「集団の一人」になるときの対策を
「大衆を学ぶ」ことでやっていこう
ということです。
…
しかし「大衆」をせっかく学ぶのなら
単なる「対策」になってしまっては
面白みがありません。
「大衆」になったとき
「個」でいる時と、違う性質に変わる
というのなら
悪い方だけでなく、良い方に変える
こともできるのではないか?
という希望も持っています。
なので、私は「大衆」を学ぶ目的を
「大衆」の性質を理解して
・私が悪い方向に流れないよう対策すること
・周りを良い方向に導く可能性を考えること
と、定めました。
これから、学んでいきたいと思います。
…
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