未来を予測して、対策を立てたい
そういう思いは、誰しもが
持っているでしょう。
ですが、これまでの
様々なデータを持ち
知見を持ち
分析する手法に長けていようとも
そもそも「予測は不可能」なんです。
予測は「予測し得ないようなこと」が
起こると困るから、やる
これはもっともですね。
今の延長線上にある未来…というだけなら
たいそうな予測なんてしなくても
勝手に想像できてしまいます。
予測出来たら
予測し得ないようなことではない
確かに、これももっともです。
予測し得ないようなことを
予測するのは不可能
というのは、言葉の意味を
そのまま理解すれば
本当に当たり前のこと、という気がします。
コンサルが行うような
経営の未来予測では
「過去に起こった最悪の出来事」に
着目してシナリオを作るそうです。
この方法の本質的な矛盾というのが…
その「最悪の出来事」というのは
それが起きた時点での「最悪」よりも悪い
「過去に例を見ない悪さ」だった
ということです。
つまり、「過去の最悪」を基準にしている時点で
これから来る、「新たな、より悪いもの」には
対応しようがない…ということですね。
要は、繰り返しになりますが
「予測は不可能」ということです。
必要なのは、予測でなく「構想」
予測が不可能な中では
どうなるか? ではなく
どうしたいか?
これが大事だというわけです。
この「どうしたい」という意思の
積み重ねによって、
世界は作られています。
私自身は、どちらかというと
「どうなるか?」の方を恐れてばかり
居ましたが
もっと「どうしたいか?」の方に目を向けて
これからの人生を楽しく生きていきたいと
思います。