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連載小説 Catopia2

 丸いベッドが優しく振動し、活動時間の訪れを告げた。スリープモードが解除され、脳内に「19:00」と表示される。
 起き上がって伸びをすると、ベッドの差し込み口から尻尾が離れた。充電完了だ。
 台つきのフードボウルに、鹿肉のウェットフードと新鮮な軟水がそれぞれ転送される。昨晩設定したとおりのメニューだ。
 鹿肉の豊かな甘みが口内を満たす。チキンや魚肉と比べれば高い餌だが、ルイにとって、この味と食感がなければ夜は始まらないのだった。それに、ハンター時代に貯めたポイントはまだ尽きていない。
 視界を三人称視点に切り替えると、水色の虹彩をしたロシアンブルーの姿が映った。これがルイのデフォルト、つまり誕生時からの姿だった。
 彼は歯磨き用のまぐろジャーキーを噛み締めながら思った。ハンティングフィールドに行く前に、少し着飾ってみてもいいかもしれない。

 トリミングサロンでは、容姿の設定変更をしてもらえる。成猫前の設定変更は禁止されているため、仔猫の頃はよく模様がほしいと鳴いたものだ。
「豹柄にしてくれ。垂直ハンティングの選手みたいな」
 ルイはマッサージクッションの上でくつろぎながら、顔馴染みのトリマーに要望を伝えた。
「あんた、プロのハンターは引退したんでしょ。ビッグキャットになれないとかで」
 豹や虎などのビッグキャットは、競技ハンティング専用の大型マシンだ。もちろんビッグキャットでなくともプロハンターにはなれるが、イエネコのままで世界大会に出た者はいない。改造やデータ移行が許されるのは、大会で優秀な成績を納めた若いハンターに限られる。
 ルイも一歳半で審査を受けたが、身体検査で弾かれた。彼の心臓は改造に耐えられない確率が高く、また新しいマシンへのデータ移行もリスクが大きいという理由だ。
「雄はいつまでも憧れを捨てられないんだよ」
「はいはい、雌だってそうよ。仔猫が生まれたら、夢見がちなことばかり言ってられなくなるけどね」
 シャム猫のトリマーが床のボタンを叩くと、いくつかのイメージ画像と、模様の持続時間が表示された。
「わかってるだろうけど、耳の形や体格までは変えられないからね」
「もちろんだよ、シャーロット。もう無茶は言わないって約束したろ」
 サロンを出たルイは、ブルーシルバーのベンガルキャットになっていた。

 例の広告は相当不評だったようで、人体回帰の文字はすっかり姿を消していた。代わりに新作のおやつや玩具の宣伝が夜空を彩っている。
 ドーム内に張り巡らされた木製のキャットウォークを進み、森を象った空間に降り立つ。枝は葉の代わりに紐つきの玩具を垂らし、木肌にはロボットの蝉が張りつき、生い茂る猫草の陰ではネズミ型のマシンが這い回っている。特に狩りの方法が定められていない、フリーハンティング用のフィールドだった。
 ルイは木々の間をすいすいと通り抜け、開けた場所に出た。小鳥型マシンたちが、誘うように低空飛行をしている。
 一見仔猫でも捕まえられそうだが、そのなかに見慣れた透明な羽を見つけた。フラワーウィングだ。それほど高性能ではないが、跳躍ハンティングの練習でよく使われる獲物だ。このタイプは長く飛ぶことはできないが、物音がしたり光を遮られると、突然高く飛び立つ。
 ルイは身をかがめ、フラワーウィングの小さな背を見つめた。

 交感神経が優位になり、瞳孔が広がる。心地よい緊張感が全身を満たす。周囲の音がより鮮明になり、脳が自動的に獲物との距離を測る。
 なにをすればいいのか、身体はすべて覚えていた。
 気づけばルイは地面を蹴り、獲物に前足を伸ばしていた。
 あともう少し。もう少しで……。
 しかし爪は尾羽をかすっただけだった。ルイは花畑に向かって落下しながら、横から赤みを帯びた身体が飛び出すのを見た。そいつは太い脚で地面を蹴ると、頭上の小鳥に向かって三メートルほど飛び上がった。力強い前足でフラワーウィングを押さえ込み、首に食らいつく。
 仕方がない。横取りされるほうが悪いのだ。
 音もなく着地したルイは、草花の間をぴょんぴょん跳ねる地味な小鳥に注意を移した。焦らずに再び身をかがめ、鳥が目の前を横切った瞬間に飛び掛かる。
 口内で小鳥の首が折れ、血の香りの水蒸気が放出される。甘い風味を吸い込み、堪能した後、ルイは小鳥を地面に落とした。二十秒以内にリリースしなければ、警告のメッセージがくる。
 小鳥は無機質な動きで首を上下に揺らし、次の瞬間には元通りに跳ね回っていた。

「ルイ!」
 振り向くと、赤い猫が駆け寄ってきた。引き締まった大柄な身体は、ルイの四倍はある。ぴんと立った耳の先端からは、おもちゃの房のような長い毛が生えている。ビッグキャットの一種、カラカルだ。
 しかし鮮やかな緑色の目は、ハンター時代の友によく似ていた。
「リッキーか? 見違えたな」
 ルイも尻尾を立てて駆け寄り、カラカルに鼻をすり寄せた。
「おまえもな。模様があるから気づかなかったよ。相変わらず素早いな」
「それはどうも。ジャンプはどうだった?」
「まあ、悪くないんじゃないか」
 二匹は笑いあった。
「引退したって聞いたけど、反射神経はちっとも衰えちゃいないな。なんでフリーなんかやってるんだ? ジャンプ用のフィールドに行けよ」
「勘弁してくれよ。おまえこそ、もうすぐ大会だろ。アマチュアのささやかなお遊びを邪魔するな」

 ふとリッキーの耳が後ろに向けられた。ルイの耳にも軽い足跡が届いた。
 木立の影から、五匹の仔猫が飛び出す。その後に続いて黒いタビーのメスが、ゆったりとした歩調で現れた。
 ルイは、彼女にも見覚えがあった。半年前の番だ。
 てんでばらばらに駆け回る仔猫たちを眺めるリッキーの目は、不思議な表情をしていた。
「なんだ、彼女が好きなのか?」
 ルイの問いに不意をつかれたように、リッキーは振り向いた。
「まあな」
「じゃあ仔猫を壊すか、大きくなるまで待たないとな」
 カラカルの耳が、ほんの僅かに後ろに倒される。不思議なことに、リッキーは気を悪くしたようだった。
「おまえの仔だろ」
 よたよたと歩く雛鳥型のマシンを、一匹の仔猫が捕えた。仔猫の体毛は、青みがかった灰色をしている。
「まあな。でも、仔猫は毎年作れる。友情には代えられないよ。おまえが望むなら壊せばいいさ」
「その必要はない。ミミとはもう同じ巣に住んでいる」
「どういう意味だ?」
 ルイは旧友に怪訝な顔を向けた。彼の言葉はどうも要領を得なかった。
 リッキーは間を置いて、ゆっくりと言った。
「ルイ、俺はミミと一緒におまえの仔猫を育てているんだ」


画像:Microsoft Copilot(AI生成)

Catopia3へ続く。

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