白と色彩に魅せられた。インターラーム寺院で感じる旧都|友人とトンブリー散歩(2)
タイ > トンブリー > インターラーム寺院
朝食前(1)、一宇の寺院に立ち寄った。
朝の光が眩しい中、時の王のモチーフが施された門を見上げ「彼の地に来た」と少し心が弾む。インターラーム寺院(วัดอินทารามวรวิหาร)に着いた。
奥には運河が流れ、「かつての交通手段の名残りかな?」と一瞬よぎったがすぐに打ち消した。重要度や規模は当時ほどない、けども運河は今も現役だ。(バンコク市内の運河も現役ですよね)
運河沿いにある寺院ということは、重要な場所だった?人々の拠り所だった? と頭の中で考えては「知らんけど」と雑なまとめを繰り返す。歴史を少しかじったからできる遊びかもしれない(笑)
タイを救った大王の眠る寺
少し想像力を刺激するための、少し眠たくなる歴史の話。
◇
タイで「大王」と呼ばれる王は歴史上7人しかいない。
その1人がこの寺院に眠る、タークシン大王(在位 1767年 - 1782年 / 日本は江戸時代)は、ミャンマーに占領された国土を取り返した英雄だ。
そんな国の英雄は、徐々に錯乱状態に陥ってしまい、王朝は1代で終わってしまう。(詳しくは後ほど。)
新しい時代を作った王と王妃が眠るインターラーム寺院は、当時最も大きく栄えた王立僧院だったそうだ。
門の向こうの 美しい白
表の門をくぐり寺院の域に入ると、更に赤褐色の門がある。
中の様子のぞくと白く美しい本堂と仏塔が。その瞬間私たちは吸い込まれていった。ラーマ3世エリアだ。
門を真っすぐに歩くと、結界石(バイセーマー/ใบเสมา) が視界に入ってきた。本堂の周りに8ヶ所ある、世俗と聖域の境目だ。立派な祠の中に置かれている石を見て、ここは格式ある寺院だ、と理解する。
色彩の美しさに気づかされた
白と金、綺麗だな~とぼんやり全体を見ていた私に「ここを見て。こんなに美しい色彩の組み合わせは初めて見た」と言う友人。
「プルメリアの木が大きくて、本堂の金の装飾部分にかぶってる。白い花もたくさん咲いてて、綺麗だよ。空も真っ青。アートみたい。」
ああ、、、気づかなかった、、、上部の模様も珍しいし、どことなくワット・アルンを思い出させる。
”ワット・アルンの仏塔はラーマ2世・3世によって作られた、となると時代は同じか…”、といつものようにグルグル考える。正解は知らないけど、自分の知識を繋げて想像するのはとても楽しい瞬間だ。
「下も見て。本堂の白と、緑と茶、金色がとても綺麗だよ」
私たちはしばらく色のコントラストを眺めていた。
15年で終わった王朝、王の晩年
悲しき終焉
◇
東南アジアの国々には、中国から華僑として海を渡って来た中国人が
やがては定住し、華人として生きている。タイも例に漏れず華人が多く住む国だ。漢字の看板を掲げる商店がよく見られる。
タークシン大王は潮州人の父とタイ人の母を持つ。
アユタヤ時代は能力がある者であれば官僚として役職に就ける時代だったため、彼も高官として従事していた。(彼自身養子縁組はあったようだ)
そんな潮州に所縁のある王は、中国・潮州からの移民を奨励した。(労働力として)潮州出身の者はロイヤル・チャイニーズと言われていたそう。
国を救い、新しい時代を作った英雄は "アユタヤ王族の血を引いていない" ことに強いコンプレックスを持っていた。
400年続いたアユタヤ王朝の血が流れていない、混血の王としての立場は辛いものだったのかもしれない。常に裏切りや反勢力に神経を尖らせていたのかもしれない。想像するといつも複雑な感情になる。。。
(正常だった頃はカリスマ的な統制力で治めていたと読んだ)
ーちなみに、トンブリー王朝の後、現王朝のラーマ1世はアユタヤ王族の血を引いている。
王は次第に、自分は悟りを開いたから僧侶にひれ伏すよう強要したりと、「精神に異常」をきたし「奇行」が目立っていった。
※上座部仏教では僧侶の地位は絶対 国王であっても許されない行為
これらは反タクシン勢がクーデターを起こすには十分の理由となり、トンブリー王朝はわずか15年で幕を閉じたのだった。
それでも、タークシン大王が救国の英雄であることは間違いないなく、彼が王朝を開いた地、トンブリーには王の銅像が見られる。そして、その銅像を目にするたび「彼の地に来た」と、歴史に心が躍るような、なんだか不思議な気持ちになる。
場所
■インターラーム寺院(วัดอินทารามวรวิหาร)
□BTS Pho Nimit駅 徒歩10分 (700m)
駅から徒歩で行くと
バンコクとは違う雰囲気を楽しむことができます。