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それでも帰りたくなる、パトゥムターニー

タイ > パトゥムターニー

敢えて「帰る」という言葉を使いたい。


友人の家へ向かう


ある日の午後、私はタクシーに乗り、バンコクからアユタヤ方面へ北上した。17歳の1年を過ごしたパトゥムターニーで友達に会うためだ。

チャオプラヤ川をバンコクから上流へ辿っていくと、ノンタブリー県に入り、パトゥムターニー県を経てアユタヤ県に辿り着く。私の過ごした場所はこのパトゥムターニー県のチャオプラヤ川沿いだ。
毎日船着き場から向こう岸に渡り、学校へ通っていた。

寺院でタクシーを下り、慣れた足取りで友達の家へ向かう。実はこの寺院、400年の歴史ある礼拝堂があることで地元では有名らしい。(วัดโบสถ์:https://goo.gl/maps/ogKZ94cMoRbtrRxe8)

迷うことなく道を進んでいく。

これまでに何度彼女の家に遊びに行っただろう。留学生だった私は学年をまたいで色々なクラスの授業を受けていた。2歳年下の彼女とは英語クラスが同じだった。

家の入口で彼女のお母さんに「 แม่ สวัสดีค่ะ 」お母さん、こんにちはとワイ(合掌)をし、靴を脱ぎ家の中に入る。裸足でタイル床を歩くとひんやりしてとても心地いい。「ちょっと足洗わせて」と自分の家かのように、ห้องน้ำトイレ(シャワーとトイレが一体になっている)へ。

少しのんびりしていると、もう1人友達がやってきた。彼女と会うのは15年以上ぶりだ。そんな彼女に「まだ覚えてるんだけど、私の家でカレー作って食べたよね?なんで私の家で作ったんだっけ?」と言われ、3人で ”なんでそんなことになったんだっけ...?” と首を傾げる。

「そろそろワット・ホンホン寺院の魚に餌やりに行こうか」

この時、連日の大雨でチャオプラヤ川の水位が上がり、川沿いは冠水していた。ボートで川を渡ろうと思っていたが流れが早く危険とのことで、車で橋を渡りお寺へ行くことになった。

ワット・ホンの餌やり場の奥には、ひっそりとクイッティアオ屋がある。

ワット・ホンホン寺院 (วัดหงษ์ปทุมาวาส:https://goo.gl/maps/337U5E79ECNGE2L96)
実はモン族の古い寺院ということを初めて知った。(パトゥムターニーはモン族が多いという話は留学生の時に聞いたことがあったけど、当時はいまいち何のことか分かっていなかった…)

1660年頃、ミャンマーのタウングー朝から多数のモン族がアユタヤ王朝に助けを求め逃げてきた。この際、アユタヤ王朝ナライ王がモン族を保護し、この地に住まわせたことが始まりとのことだ。

餌やり場からはかつて通っていた学校が見える。

お参りを済ませ、川へ向かう。魚に餌をやるのはタンブンの一環ではあるが、私の肌感覚だと、友達同士、カップルで、家族と、「ちょっと魚にエサやりに寄ろうか」と立ち寄るちょっとした地元の娯楽のようにも感じる。

川に餌をまくと日本では考えられない大量のナマズが押し寄せてくる。最初は気持ち悪くて直視できなかったけど、何事も慣れだ。今では一度に大量のエサをやり、押し寄せてくるナマズの水しぶきから逃げて遊ぶこともできる。

学校はチャオプラヤ川沿いにある。この写真は学校から川を撮ったもの。

川の向こう側を見ると、通っていた学校がある。
もう15年以上も前の出来事なのに、色々なことが鮮明に蘇ってくる。

タイの高校は中学・高校が一体になっているが、中学3年生までが義務教育であるため、その後高等教育に進むかどうか選択することができる。(進学試験あり) 
当時17歳の交換留学生だった私は6年生のクラスに入った。1学年9クラス、全校生徒約3000人、田舎出身の私には驚きの連続だった。

クラスメイトと。後ろの木々の向こうにはチャオプラヤ川。

日本人のいない地域で、タイ人ホストファミリーの家に滞在し、タイの学校へ通う。タイ語もタイの文化も何も分からない。17年間過ごした日本での常識が一切通用しない世界では、まるで体だけが成長した赤ちゃんのようだった。

もちろんうまくいかないことばかり。タイを少しずつ受け入れられるようになったのは、半年が経った頃からだった。(この時の話はいつか詳しく書きたいな)

大雨で水位が上がったチャオプラヤ川。それでも人は川沿いで憩う。

それでも帰りたくなる

ここで過ごした1年。何度悩み、何度泣いただろう。
寂しさ、悔しさ、自分の非力さを感じ、時には努力することを放棄した。スマホのない世界。常に辞書を持ち歩き、心の中のモヤモヤは日記帳に書き殴った。

川沿いの心地よい風。下流から上流に土を運ぶ土運船。川沿いの市場。
夕日を浴びて水面に光る魚たち。寺院前の魚釣り禁止エリアを避け、橋の上から魚を釣る人々。

そんな、見慣れた風景の中に
当時の友達と ”当たり前” のように溶け込む自分がいる。

他人にとっては「何もない田舎」でしかない場所かもしれない。それでも私にとっては「帰りたくなる」場所だ。

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