【歌舞伎のはなし】時代のお客さんを楽しませる演劇が歌舞伎だと思っている。
前回かなり硬めの内容になってしまったんで、今回は実際の戯曲を取り上げることにする。前回話題にした花巻の登場シーンをば。
三幕目、「武兵衛」という男が「花巻」も新造(遊女見習い)として勤めている遊郭にやってきて、本命の「一重」を待っているもなかなか会ってくれないので怒っている。
「おれは帰るぞ!」とドタドタとしているところに、一重と遣手(管理職)の「おつめ」が武兵衛を宥めに入る。武兵衛は「一重が来ない上に、こんなブサイク(花巻のこと)を代わりにつけるとは、どういうことだ!」と。それを聞いた花巻は「私の顔が足の裏に似ているといったって、そんな踏み付けにしないでくれよう。あんまりひどいから悔しくて悔しくて」と大声で泣き出す。
その様子におつめが叱るも店のスタッフの男性「与九兵衛」が止めに入って、場が収まる。
おれが悪かったと武兵衛は無礼を詫び、花巻に金を渡す。それまでわんわん泣いていた花巻は一気に機嫌を直し、ニッコニコになる。分かりやすく金で解決する騒ぎであった。
「まことに重宝な顔」という表現がいい。使っていきたい。
管理職の女性が、見習いの遊女たちを見世(顔を見せる場所。遊びに行くわけではなく、客に見られたり客を呼んだりする。)に行ってきなさいと言い、花巻含む三人がこの場から退場する。
花巻は、「かの」が来たら私を呼んでと言っていて、かのというのは「あの」=あの人=間夫を普通は表すが、花巻の場合はそのような人はおらず、ここでは菓子売りのことを指している。隙あらば食い意地を見せてくる、それが花巻。
買い食いはしちゃダメよ、と言われて「恋知らずだねえ」「じれったいんだよう」と返すユーモアセンス。「なんだかちっとも分からない。」と素直に言う人がこの場にいて良かった。思い切ったツッコミじゃなくて、ポロっとこぼすのが良い。
足の裏に似た顔をした人が喧嘩して金もらって食い意地を張るシーンでした。
○
四幕目、病気が良くならない一重の様子が心配でしんみりしている場に、花巻が割り込んでくる。
花巻がドタバタと入ってきたのは、間違えて唐辛子を食べてしまって辛すぎる〜〜!となったからである。花巻が「辛すぎるから、なんでもいいから甘いものをくれ」と要求すると、オーナーの男性が「養生糖を食べなさい」と勧める。そこに別の男性が止めに入り「唐辛子と養生糖は一緒に食べると体調を崩すからやめなさい」と言う。
止められた花巻は「いや、一緒に食べちゃダメな組み合わせと言っても大丈夫だよ。食べるよ。」と返すと、「それは旦那さんが嫌だろう」。「いやいや、実は唐辛子を食べてないから、養生糖を食べても平気なんだよねえ」と、ただ自分が養生糖を食べたかっただけだったことを明かす。「じゃあ養生糖はあげられませんねえ」「くそう、食べ損なった。」
これ、掛け合いで読んでほしいシーンだな。楽しそう。女装をしたおじさんが演るっていうのも面白みになってるなあ。
というシーンが、今の「三人吉三」では上演されない、この惜しさ。観てみたかったなあとばかり。しかし、歌舞伎は新しいものを取り入れていく芸能だから、今だから楽しめる歌舞伎というのはある。江戸時代の人は初音ミクとのコラボもワンピースも野田歌舞伎も、家や映画館で歌舞伎を観るとか、そういう歌舞伎の楽しみ方の広がりがなかったわけです。
伝統芸能でありながら、新しさがある。時代のお客さんを楽しませる演劇が歌舞伎だと思っている。そういうところも好きなのよね。
参考文献:『三人吉三廓初買 歌舞伎オン・ステージ14』延広真治編(白水社、2008年)
○
今回と前回のを行ったり来たりすると理解が深まるかも。
めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。