我慢ができる”優しい人”をひとりにしちゃだめだ

と思った。こういう人はどこまでも優しいし気をつかうから、自分の限界より他人の都合を考えちゃうのよね。

いま私はそこそこキツイけど人に頼るほどでもないし、もしかしたらその人は別のところで忙しいかもしれない。迷惑がかかってしまうかもしれない。ならちょっと我慢してみよう。

みたいな思考になっちゃう。それでいける時もあるけど辛いものは辛いから、やっぱりまだ余裕があると思っていても人を頼るべきなんだよね。一旦自分優先にして、本気で余裕が出てきたら、感謝を述べて一人にして貰えばいい。

人に「助けて〜」って言うのもちょっと体力使うし気も使うから、まだ余裕がある時じゃないと言えないってところもある。助け呼ぼう!って勢いで呼べなくなる。一人で穴掘ってたら、いつの間にか上に登れなくなってたみたいな感じ。途中段階でよじ登っていれば仲間を呼んでこれたのに。


こうなった時に(どうしてこういうことになってるんだろう?)って思い始めると、(自分はめちゃくちゃ頑張ってるけど辛い、とはいえ他の人は悪くないし、結局抱えきれない自分のキャパシティーの狭さが問題なのかな)って考え始めてしまう。で、どうしようもなく悲しくなってしまう。誰も悪くないのにどうしてこんなに辛いんだろうって。

確かに誰も悪くはないんだよ。でも、やっぱり優しい人に甘えすぎているんだと思う。頼りすぎなんだと思う。人は人なんだから、どうしようもない時もあるのに、あの人は大丈夫だからって思い込みがある。それまでは大丈夫だったからという安心感も。

だから、それまでは大丈夫だったっていう実績があるから、その人はなおさらSOSを出せないし、出せないから気付かれないし、ただただ悲しい結末を迎える。


優しい人にこそ優しく、安心して任せられる人にこそ気を遣って、悲しいことにならないための予防をしていかなきゃなって。嫌な事に気を取られすぎて、心地よいことへのありがたさを忘れてしまわないように。

そして、自分でも余裕なくなって訳分からなくなる前に助けを呼べる環境を作ること。限界がきたらもう終わりだから、限界の10歩手前くらいで引き返して通常の道に戻れるように気をつけていこう。



めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。