愛することって愛を受け取る力も関係するかもしれない

「みんなで!どう解く?」の「好きって言われると嬉しいのに、どうして好きっていうのは難しいんだろう?」を考える動画を見た。


回答まとめ

・とっておきの秘密だから

・相手に悲しいな〜とか嫌だな〜とか思われるのは苦しいから
→自分が何かを考えているのと同じように、他人も自分とは違う何かを考えている

・本当に好きって言われたら嬉しいのか?嫌いな人に言われても嬉しいの?その人に嫌いって言うかは考えられるけど、同じ様に「好き」も相手に伝えるかを考えるものなんじゃないか

・好きって言葉は強いから。愛してるに近い意味になっていて、好きを超えてしまっている。「好き」以外の言葉(いいねなど)を持っていたい

・なんか体が言わないから

・振られたら恥ずかしくて、明日とかどうしようってなる
→まず自分が守られていないと好きって言えない。秘密を教えるのは恥ずかしい。
→恥ずかしいって気持ちがなくても言っていいのか?明日どうしようってなるのは変わらない。自分のことだけじゃないから。

・ライバルがいるから。
→自分と相手だけの話じゃない。言葉にすることであらゆる関係性が変わるかも。
→ライバルがいなかったら言えるの?


なるほど

「好きって言葉は強い、強すぎる」っていうのは凄くよく分かる。だから「体が言わない」のだと思う。私は、言葉には力があると信じているし、発言に責任を持たないといけないと思っているから、心では思っていることが音声に出来ないこともある。明らかに相手が自分のことを好きだと思ってくれていて、好きだとも言ってくれていて、自分もそれに応えたいのに、なかなか口に出来ない。


そうやって好きだと言えなくて、元交際相手と付き合い始めた頃(19歳)に、どうして愛情表現をしてくれないのか?自分だけが好きみたいで嫌だ。と言われて、距離を置いていたことがある(1週間くらいだったけど)。それで、少しずつ言える様に練習して、最後の方は簡単に好きだと言える様にはなったけれど。

それで良かったと思う部分もあるし、私自身の言葉との向き合い方が少し変わってしまったなと残念に思う部分もある。良かった部分は、素敵だとかありがとうとか、今まで言いたくても言えなかった「相手に好意を伝える言葉」を引き出せる様になったこと。あと「ごめんなさい」も前よりは言える様になったと思う。

そうしたメリットがあったにせよ、なお残念だなって思ってしまうのは、やっぱり好きという言葉が軽く出てくるに従って、思いも軽くなってしまう感じがするから。


当時は分からなかったかもしれないけど(もしかしたら今も分からないかもしれないけど)、愛情表現は言葉だけではないのだから”気が付いて”欲しかったなという思いがある。遊びに来るたび毎回冷えた炭酸水を最低1本は冷蔵庫に用意していたこと、私は苦手で一切飲まないのに他人のために置いていたという行為が、どれだけのものだったか。あの炭酸水には、買って運んで冷やして、飲み干したらペットボトルを捨てるという一連の流れがあったのだと。500ミリって結構重いんですよね。でも2種類買って帰ってた。

そうすることが楽しかったという気持ちはかなりの部分を占めていたけど、ある部分では相手から伝えられる「好き」に対するレスポンスだとも思っていた。バレンタインデーのチョコを買う時の気持ちで、いつも買っていたくらいには気持ちが入ってたと思う(多分)(いや、ちょっと盛った。)。でも、いつの間にか「用意してくれてありがとう」とも言わなくなって、簡単に飲む様になっていたから、やっぱり伝わらなくなっていたんだろうな。

その人に伝わらない愛情表現をしていたのは私の反省点だけど、言葉にして欲しいと自分の要望を言って私の表現方法を受け入れる/気が付く力を伸ばせなかったのは相手の反省点だと思う。交際期間中のあらゆる出来事振り返るたびに、私は本当に相手を愛していたのだろうかと思ったり、私は愛されていたのだろうかと思ったりする。

愛することって、ずっと発信する側のことばかり考えていたけど、愛を受け取る力も関係するかもしれないね。


話を戻そう

「愛してるって最近言わなくなったのは 本当にあなたを愛し始めたから」は、「好きって言葉が強すぎる」に通じるところがあるかも。思いついただけだから違うかも。

好きって伝えるのには、勇気もいるしタイミングもいるし、これからの自分・相手・そのほかの周りの人たちへの影響も考えないといけないし、これがあるから難しい!って一つには絞れない。一つに絞る必要もないけど。

紆余曲折あって、私の結論は「本当の気持ちだから言葉にするには重すぎる」になりました。


めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。