【歌舞伎のはなし】大石内蔵助はなぜ「大星」なのか

年末だし、歌舞伎のはなしをしようよ。って思ったので、器のはなしを中断して歌舞伎のはなしをしよう。と言っても、調査の時間が全然取れていないからあまり深い話はできないが……というゼロをイチにするために、Google scholarに頼って論文を読む。

年末といえば『忠臣蔵』で年始といえば「曽我物」だろうと思っているが、実際そうなのかよくわかっていない。なんとなく赤穂事件がディセンバーだから『忠臣蔵』は年末のイメージがある。というわけで、『忠臣蔵』の話から。


廣野行雄の「なぜ大石が大星なのか:『仮名手本忠臣蔵』 と 『水滸伝』」を読んだ。内容としては、『仮名手本忠臣蔵』の前に作られた四つの作品に触れ、その後水滸伝の影響も受けているのではないかと話が締められる。「なぜ大石が大星なのか」の考察が面白い。

まず『忠臣蔵』であるが、名前を聞いたことがあって、赤穂事件の話だと知っている人も多いのではないかと思う。しかし、『仮名手本忠臣蔵』は赤穂事件を元にした時代物の作品あって、実際に浅野内匠頭や吉良上野介が出てくるわけではない。

実際に起こった事件をそのまま使うと幕府に怒られるので、古い時代のものですよとアピールしつつ、古い時代の出来事と最近の事件をうまくリンクさせて創る。なので『仮名手本忠臣蔵』の場合、舞台は江戸時代ではなく室町時代になる。

足利尊氏の執事高師直(こうのもろなお)吉良の役割となり、塩冶判官(えんやはんがん)浅野内匠頭となる。そして、赤穂浪士のリーダー大石内蔵助大星由良之助(おおぼしゆらのすけ)と名前を変えて登場する。内容は赤穂事件をなぞる感じなので、仇討ちものである。


論文の「大石はなぜ大星なのか」の答えを簡単にいうと、事件を囲碁とかけた脚本があったからだ。近松門左衛門作『碁盤 太平記』(近松門左衛門作,宝永七年初演)では、碁盤を見立てとして使用しており、碁盤に書かれた格子の交点は「目」と呼ばれ、そこに石を置いていく。目の中に、特に「星」と呼ばれる箇所が存在する。

囲碁においては「石」すなわち「星」,「星」すなわち「石」

石といえば星につながるため、大石が大星になったと考察している。なるほど面白い。

論文中では、この近松の作品より前に創られた「赤穂事件」を題材とした作品に触れ、そこでは大石は大星ではなく「大岸(おおきし)」であることにも触れている。こちらの方が音が近いのに、なぜ大星にしたのか?という疑問の答えが、先の理由なんじゃないかとのことだ。


さらに、塩冶判官に関しても「製塩で名高い赤穂を連想させる」、高師直は「吉良の家職であった高家と師直の苗字「高」とのつながり」とさらりと述べられており、言葉遊びに痺れる。


しかし、次の赤穂事件テーマの作品(『忠臣 金短冊』(並木宗助,小川丈助,安田蛙文,享保十七(1732)年))では、大石は大星ではなく再び大になる。『仮名手本忠臣蔵』はそのあとの成立で、かつ囲碁の見立てを使っていないのにも関わらず「大」が採用されている。

近松の囲碁,碁盤の星という趣向をひきつがなかったにもかかわらず,なぜふたた び大星由良之助にもどったのであろうか。

これの疑問解決のため、論文中で大序の語りを引用する。

(前略)たとへば星の昼見へず夜は乱れて顕るる、 例を爰に仮名書の太平の代の政

この部分に、昼には星が隠れてしまうように、赤穂事件の起こった江戸時代は武士も戦いの姿が隠れてしまっていることと、大石内蔵助が「昼行灯」とバカにされていたことがかかっているという。それから、天体の「星」が出てきていると指摘。

『碁盤太平記』の大星は,碁盤の星であったが,『忠臣蔵』の大星は天体の星なのである。

では天体の星はなぜ出てくるのか?というと、物語において重要な小道具である南北朝時代の兜には「星」という部分があるためだそうだ。天体の星を仲介として、名前と兜を関連づけている。


ちなみに『仮名手本忠臣蔵』の仮名手本というのは、いろは四十七文字と赤穂浪士四十七人をかけたものらしい。

歌舞伎の好きなところってここなんだよなあ〜とニヤニヤするような、言葉遊びの話だった。ファンが小ネタに気がつくみたいな、そういう面白さ。そのままでも面白いけど教養があるとさらに楽しめるユーモア。

論文を読むのが割と好きなので、久々に読んでワクワクした。かなり省略して書いたので、年末の時間あるときにあまりにも暇だったら読んでみてほしい。



曽我物の話をしようかと思ったが、論文検索して読む時間がないので、ちょうど今やっている團十郎襲名興行の『助六由縁江戸桜』にちらりと触れて終わろう。

助六の話は以前したような気がするが、あの時は助六寿司の話をしたんだっけ。歌舞伎十八番の話をしたとき。助六は曽我もの、曽我兄弟の仇討ちものなので、あの風流な男・助六も実は仇討ちに燃える人物なのである。


『助六由縁江戸桜』でしばしば上演される箇所は、髭の意休(敵と思わしき人物)に恋人である助六をバカにされ怒る総角の「悪態の初音」・助六が遊女たちに煙管をめちゃくちゃもらう(色男なのでめっちゃモテる)・もらった煙管を使って髭の意休(性格も良くない老人なので全然モテない)を挑発する・兄弟と母が集まって仇討について話す・兄に喧嘩の仕方を教える「股くぐり」がぎゅっとまとまったシーンだ。

結局仇討はどうなるの?という感じだが、話の途中の部分を切り抜いて上演されることが多い。盛り上がるところだけ観てる感じだ。内容を知っている上でストーリーだけを楽しむんじゃない観劇。

終盤にある、助六が(遊郭の人々の目から逃れるために)火事に備えて貯められた水の中にざぶんと入り身を隠す(舞台上で実際に水の中に入る)シーンなんかも過去には上演されたことがあるらしい。こんなことをしていると普通に役者の寿命が縮まる。


私が好きなのは、悪態の初音と股くぐりの場面。悪態の初音は総角がブチギレるとこ。ここでは長ゼリフがあるのだが、一瞬暗記したいと思った時期があった。太客であるはずの意休に対し、恋人の助六を馬鹿にされたため「暗闇の中でも意休と助六を間違えるはずがないよ」と突っぱねる。総角は花魁なのでそんなことをしては色々やばい。

股くぐりの場面は、助六(荒々しい)が助六の兄(弱々しい)に喧嘩の仕方を教える場面。なぜ喧嘩をするかというと、探している刀(を持っている敵)かどうかを確かめるべく相手を怒らせて刀を抜かせるためである。「髭の意休は刀を持っている敵なのでは?」と思っているので、助六は意休を挑発する。

股くぐりで股をくぐらせるのは助六たちだが、股をくぐるのは遊郭に遊びにきた他の客である。股くぐりは、この他の客たちのアドリブシーンと言って良い。「(役ではなく役者としての)あなたのとこの息子さんは立派に育ちましたね」などの楽屋落ちが出てくるのが楽しい。


ということで、團十郎襲名公演の千秋楽が配信されるらしいですよ。

襲名とあって役者がやたら豪華。七之助さんの総角……前半は玉三郎さんがやられたとのこと。役者に詳しいわけではない私ですら、両名の美しさを知っているので、マジやべーとなってる。



次回更新 1/2:多分陶器の話をする?
※だいたいリサーチ不足ですので、変なこと言ってたら教えてください。気になったらちゃんと調べることをお勧めします。

参考:廣野行雄. "なぜ大石が大星なのか:『仮名手本忠臣蔵』 と 『水滸伝』." 駿河台大学論叢 51 (2015): 13-20.


めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。