【歌舞伎のはなし】歌舞伎や能や狂言はネタバレを食らってから観るもの

もうそろそろ下準備が整ったのではなかろうか、ということで『三人吉三』の話をしよう。

具体的な作品の話するにあたって言っておかないといけないことがあって、基本的に歌舞伎や能や狂言はネタバレを食らってから観るものです。特に能はそのようにしてください。絶対に途中で寝るので、起きた時に何が起こってるか把握するためにも。よろしくお願いします。

ネタバレをしないで観に行く場合は、なるべく解説のやつを借りてください。マジで何言ってるか分からんので。内容を把握できるかどうかで面白さが随分変わる。「ストーリーなぞ知らん、着物を見たいんじゃ」という人は、そのまま観てもいいと思います。


という訳だから、今回の物語の筋はだいぶ前に書いた記事をどうぞ。内容を知っている人が見たら、いい感じにまとめたな〜ってなるんじゃないか?なってほしい。なって。なりなさい。



三人吉三廓初買(さんにんきちさ・くるわのはつがい)』というタイトルは、初演時にのみ使われたそうで、現在では『三人吉三巴白浪(-ともえのしらなみ)』が使われている。最終的に白浪(=盗人・悪人)が三つ巴で刺し違えて死ぬことから付いているんでしょう。

逆に、廓初買の方は、物語の始まりの部分から取ってつけているんだろう。和尚吉三の双子の弟(生き別れ)が、双子の妹(売春をしている)に誘われて初めて性を買う場面。

あれ、よく考えたら、三人の白浪(盗人)というだけか、巴白浪は。じゃあ、これも物語の冒頭から取っていると考えた方が良さそう。なぜなら、現在はラストシーンを演じられることが少ないから。


現在では有名台詞もあることから人気の作品となっているが、初演時はそこまで振るわなかったそう。結構キャストも良かったのに。和尚吉三に四代目市川小団次、お坊吉三に初代河原崎権十郎(のちの九代目市川團十郎)、お嬢吉三に三代目岩井粂三郎(のちの八代目岩井半四郎)である。結構聞いたことありげな有名な血筋じゃないですか。しかも作者が河竹黙阿弥ときている。これで当たらなかったのは不思議なくらいだ。同時期に他の劇場がヒットしていたらしい。ライバルが強すぎた。

そういえば、歌舞伎の「作者」というのは、複数人いることが多いらしい。今の演劇のように一人の人が全部を考えるんじゃなくて、誰かが大まかに考えて、それを分担して書き上げていたとのこと。どこに当たればいいのか忘れてしまったが、そのようなことが何かしらの論文に書いてあった。


『三人吉三廓初買』は、「大川端庚申塚の場」、「こいつぁ春から縁起が良いわえ」あたりから三人の吉三が兄弟の契りを交わす場面がよく上演されている。「三人一座で義を結ぼうか」で幕切れになりがち。この辺の台詞回しが面白いので、今日はそれを話したい。


まずは、お嬢吉三の名台詞。ここは七五調の美しさを愛でるところです。

月も朧(おぼろ)に白魚の 篝(かがり)も霞(かす)む春の空 冷てえ風もほろ酔いに 心持ちよくうかうかと 浮かれ烏(からす)のただ一羽 ねぐらへ帰る川端で 竿(さお)の雫(しずく)か濡れ手で粟(あわ) 思いがけなく手に入る(いる)百両
  (舞台上手より呼び声)御厄払いましょう、厄落とし!
ほんに今夜は節分か 西の海より川の中 落ちた夜鷹は厄落とし 豆だくさんに一文の 銭と違って金包み こいつぁ春から縁起がいいわえ

心持ちよくうかうかと→浮かれ烏のただ一羽
ねぐらへ帰る川端で竿の雫か濡れ手でアワ:粟と泡とをかけている、泡は川・雫の縁語
西の海より川の中:『守貞漫稿』の厄払いの台詞「いかなる悪魔が来るとも此厄はらいがひつとらへ西の海とは思へども、ちくらが沖へさらり」をかけている←と本に書いてあった。


次に、お坊吉三とお嬢吉三が喧嘩を始める場面。

お嬢 互いに名を売る身の上に、引くに引かれぬこの場の出合い。
お坊 また彼岸にもならねえに、蛇が見込んだ青蛙。
お嬢 取る、取らないは命づく。
お坊 腹が裂けても飲まにゃあおかねえ。
お嬢 そんならこれをこゝへかけ、
(トお嬢、百両包みを、舞台前、真ん中へ置く)
お坊 虫拳ならぬ、
両人 この場の勝負。

蛇が見込んだ青蛙:「蛇に見込まれた蛙」を踏まえたもの。
虫拳というのが、今でいうじゃんけんのようなもので、三竦みの関係で勝負を分ける遊びのこと。蛇、蛙、なめくじが、グーチョキパーの関係になっている。先に、「蛇が見込んだ青蛙」と虫拳に繋がるものを台詞に入れ込んでいるのがうまい。
また、三つのものが対立した構造ということで、この後に登場する和尚吉三の存在を匂わせているのもうまい。


次に、和尚吉三がお嬢とお坊の喧嘩を止める台詞。

イヽヤ、のかれぬ二人の衆。初雷も早過ぎる、氷も解けぬ川端に、水にきらつく刀の稲妻。不気味な中へ飛び込むも、また知人(ちかづき)にゃあならねえが、顔は覚えの名うての吉三、いかに血の気が多いとて、太神楽じゃああるめえし、初春早々剣の舞、どっちに怪我があってもならねえ。今一対の二人は、名におう富士の大和屋に、劣らぬ筑波の山崎屋。高い同士の真ん中へ、背伸びをして高島屋が、見かねて止めに入ったは、どうなることと、さっきから、お女中様がお案じゆえ、丸く納めにあだ名さえ、坊主上がりの和尚吉三、幸い今日は節分に、争う心の鬼は外、福は内輪の三人吉三。福茶の豆や梅干しの、遺恨の種を残さずに、小粒の山椒のこのおれに、厄払いめくせりふだが、さらりと預けてくんなせえ。

とりあえず、長いので太字の部分を中心に。

名におう富士の大和屋に:富士の山、大和屋=お嬢吉三役の屋号
劣らぬ筑波の山崎屋:富士山の対比として筑波山、山崎屋=お坊吉三役の屋号
高い同士の真ん中へ、背伸びをして高島屋が:高島屋=和尚吉三役の屋号。実際に身長が低かったらしく、役者の体格も台詞に盛り込まれている。これをそのまま背の高い役者がやるとしっくりこないだろう。

お女中様:見物人の婦人たちを指している。観客を劇の一部に取り込む、また観客を喜ばせる台詞。
丸く納めにあだ名さえ、坊主上がりの和尚吉三:喧嘩を丸く収める、自分の坊主頭の丸さとかける
鬼は外、福は内輪の三人吉三:いうまでもなく、鬼は外、福は内。


言葉遊びだらけの台詞軍。ただ七五調にするだけではなく、内容も凝っていて、屋号や体格を盛り込むなど練りに練られているなあと感心するばかりである。役ではなく、役者のプライベートを指すようなおかしみを「楽屋落ち」というのだが、メタ発言に似た面白さがある。世界観に浸っていたら現実を見させられた、みたいな。

こういうのを知っておくと、ただ流して聴くんじゃなくて、ここはこうだよね!って分かるのが楽しい。あと、黙阿弥を読むと縁語とか掛詞に強くなるので、古典を学ぶのにも役に立つ。和歌が分かりやすくなった。



冒頭のリンクにも書いてあるが、リンクに飛ばない人が多そうなので再度書いておこう。「三人吉三」は、二つのストーリーがあって、それがテレコ式に進んでいく。一つが「侠客伝吉因果譚」、もう一つが「通客文里恩愛噺」である。

今ではカットされることの多い「通客文里恩愛噺」が結構大事なので、個人的にはあんまりカットして欲しくない。むしろこちらだけで上演してもいいんじゃないか?と思う。こちらの方は元ネタがあって、それはそれ単体で成立していたのだし。まあ、その元ネタちゃんと読んでないんだけどさ。

ということで、次回以降は「通客文里恩愛噺」のはなしをしていこうと思う。



次回更新 9/12 :歌舞伎のはなしの続き、そろそろ演目のはなしをする予定
※だいたいリサーチ不足ですので、変なこと言ってたら教えてください。気になったらちゃんと調べることをお勧めします。

参考文献:『三人吉三廓初買 歌舞伎オン・ステージ14』延広真治編(白水社、2008年)

めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。