【歌舞伎・義経千本桜】泣き所と笑い所とざっくりとしたストーリー解説

国立劇場が期間限定でYouTube公開している『義経千本桜』をやっと観終わりました。長かった。まあ1日で見切れる量なんだけど、他のことをやりつつ観てたら四日くらいかかった。

泣けるし笑えるし、有名な場面を知っていればストーリーつかめるし、なんといっても歌舞伎の代表的な作品だから観るだけで知識になる!欠点は、何やってるか分からないと眠くなること。

ということで、観るべき場の紹介と感想を述べてゆく。あらすじは思いっきりコピペです。


二段目 鳥居前の場

都落ちする義経の前に、家臣の佐藤忠信(さとうただのぶ)が到着。義経は、後白河法皇から賜った〈初音(はつね)の鼓(つづみ)〉を静御前に渡し、忠信に守護を命じます。

この場面は名場面ではないんだけど、個人的に好き。ここの忠信は偽物で、のちに正体が分かる源九郎狐が化けているところ。この場面の最後に、狐六方が見れるのがとても好き。人間らしく振舞ってるんだけど、ちょいちょい狐っぽさが出てくるのを見つけるのが面白い。思いっきりネタバレしてるけど、意味分からないと本当につまらない場面になってしまうので、分かっててみた方が楽しめる。

狐六方:六方とは、客席を通る花道をケンケンみたいに駆け抜けていくアレ。その狐っぽくなったバージョン。


二段目 大物浦の場

西海での合戦後、船宿の主人・渡海屋銀平(とかいやぎんぺい)に姿を変え、幼い安徳帝(あんとくてい)を乳人(めのと)の典侍の局(すけのつぼね)と共に守護する平知盛は、義経に海上で戦いを挑みます。

泣ける場面その1。知盛はもちろん破れるんだけど、その時の姿がかっこよくて。義経の目の前で、出家すれば見逃してやるって感じの後に知盛が放つ「この数珠を掛けたるは知盛に発起せよ、とな?穢らわしい」は痺れる。敵を討つことに命をかけているのが、武士としてかっこいい。
その後の、まだ幼い安徳帝が「我がいままで生き延びたのは知盛のおかげであるが、たった今こうして生きているのは義経が殺さないでくれたからだ。我に免じて義経を殺さないでくれ。」って止めるのもかっこいい。幼くとも天皇であり、その自覚を持って行動する人物なんだな〜と思う。
それを聞いて知盛が、義経に「絶対に安徳帝を頼朝から守ってくれ。頼んだぞ、頼んだぞ、頼んだぞ。」って念押しして頼むと、義経が「分かった。絶対に守り抜く。」って返す。それを聞いた後の「昨日の敵は今日の味方。あな嬉しや、嬉しや。」の台詞とウハハハって感じの笑い方と顔が、絶妙に涙を誘ってくる。

直前まで敵だった人に、大切な主君を預けて、安心して死ににいけるって分かった時の、最期の笑顔なんですよ。そりゃ泣ける。

そして、有名な場面である海に身を投げるシーンに繋がる。重い錨を満身創痍なのに懸命に持ち上げて、やっとの思いで海に投げ入れると、自分と繋がった綱がどんどん海に引きずり込まれていく。知盛が確実に海の底に沈む、そのタイムリミットが目に見えて分かる。それを見守る義経と安徳帝に対して、天皇を頼んだぞというのと主君を慕う気持ちで見返す知盛。ついに引っ張られて海に身を投げる、そのダイナミックさ。

「穢らわしい」からここまでずっと泣ける。泣いた。


三段目 鮓屋の場

平維盛(これもり)の妻・若葉の内侍(わかばのないし)、若君の六代(ろくだい)、家来の小金吾(こきんご)は維盛を尋ねる旅の途中、いがみの権太に金を奪われ、小金吾は、都から来た追手と激しく争い、討ち死にします。
権太は、父の弥左衛門(やざえもん)が維盛を匿うと知り、内侍と六代を捕らえ、維盛の首と併せて源氏方に渡します。弥左衛門は、怒りのあまり、権太を手に掛けますが、そこで権太は初めて、思いもかけなかった真相を明かします。権太の血を吐くような思いとは……!?

いがみの権太という名前からくる嫌な奴感。この場は、上記あらすじの2段落目の部分に当たるんだけど、それまでの前振りが長い。歌舞伎は、基本的に、前振りが、長い!!土台をしっかり固めたところに、どんでん返しで思いっきりひっくり返してくるから、前振りが長いの。よって最近の短くした演目だと、そういう前振りみたいなのはカットされがち。あまり動きがない場面もないと客側も疲れちゃうから意味はあるんだけど。
そういえば長台詞がある場合は、それさえちゃんと聞いておけば、その前後の流れが分かる様になっているので、頑張って聞き逃さない様にするとうまく鑑賞できる。この人よく喋るな〜って思わないで、聞いてみてほしい。

で、いがみの権太が何をしたかというと、源氏方の人間を騙して、維盛と妻と子供を救ったのは当然の展開として読める。ここで重要なのが、身代わりにしたのは誰なんだって話なの。
維盛の首はいがみの権太の父親が用意していたから、それを使えました。生け捕りにした維盛の妻と子供の代わりは、自分の妻と自分の子供を使いました。えっ!?
この事実を告白したのが、自分の父親に刺された後なんだよ。源氏方が帰った後に、父親が「この裏切り者め!」ってすぐ刺しちゃったから何もできなかった。で、血がめっちゃ出てるなか、自分の妻と子供を辛い目に遭わせている心苦しさを吐露する。

これがこの世で会える最後なんだって思いながら、身分の上で守るべき人間を救うためにやらざるを得ないという心情。最善の方法がこれなんだって納得するしかない状況。考えるだけで辛くて、泣ける。今日はここで号泣した。
息子の嫁も孫も失った親は、事情を知らずに我が子を斬ってしまった。この1日で彼らは、自分の子供も嫁も孫も一気に失う。それもまた悲しい。

これを踏まえて再度観ると、いがみの権太が妻と子供を縛って連れてきたところも、「面を上げろ!」と言っても顔をあげない二人の顔を乱暴に持ち上げるところも、少しのためらいがある気がする。そして、連れ去られる二人を見送る顔が、無理だと分かっていても無事でいてほしいと願う気持ちが漏れてしまっている様に見えてくる。惜しそうに権太を見る妻と子供の姿も、これが今生の別れなのかと苦しくなる。
思い出すだけで泣ける。泣いている。


四段目 河連法眼館の場

吉野に落ち延びた義経を訪ねる静御前。付き随う忠信は、静が持つ〈初音の鼓〉になぜか心惹かれる様子。そして、義経のもとに、もう一人の忠信が! 静に同行した忠信の正体は、狐(源九郎狐)であると判明します。
親狐の皮が張られた〈初音の鼓〉を慕う狐の様子に、義経は心を打たれ、狐に鼓を与えます。狐は大いに喜びながら、いずくともなく去って行くのでした。

ここはもうハッピーな場面。すっごいニコニコしながら観れる。
「その鼓は私の親。私はその鼓の子でございます。」って正体を明かしたら、もう忠信のフリは出来ないから、鼓を持つ静御前と行動を共にすることはできない。つまりそれは、親子の別れになっていて、悲しいけどさようなら!って狐は去っていく。
その後に鼓を打つと、音が鳴らない。「親子の別れを悲しんでいるのでは?」流石に義経も、親子を一緒にしてあげようと狐を呼び出し、「初音の鼓をお前に授けよう」と狐に渡す。その後の喜びようと言ったら!可愛く見えてくるんですよ、あのモップみたいな衣装が。表情も動きも嬉しさに満ちていて、もはやスーパーハッピーが動いてる感じ。

この場面の見所は、その可愛さもあるんだけど、役者の身の軽さとか瞬間移動や早着替えといったアクロバティックさ(ケレンという)が重要。普通に表情を作るのが上手かったり、立ち回りや台詞の言い方が上手かったりっていう要素の他に、こういう技術を持っているのも役者の評価を高めるので、歌舞伎役者は本当に大変。

この狐の部分、文楽(人形浄瑠璃)でもやばい動きしてるから、比較すると多分面白いです。歌舞伎と文楽で動きのダイナミックさ争うくらい。



なんだかすごいたくさん書きました。そりゃそうだよね、ストーリーが詰め詰めだから。これでも昔はあったけど、今はない場面があるんだろうなあと思って、歌舞伎作者ってすごいな〜って思っている。

豆知識としては、歌舞伎の台本は数人で手がけていて、その中でもトップの作者がその台本の「作者」として扱われたらしいですよ。


ああ、もっと話したいことある。やっぱ良いな、歌舞伎。みんな好きに観よ、好きに感想を述べよう。

https://youtu.be/az2wWl4AY9U


めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。