愛は恐ろしい!恐ろしい!苦痛!そして恐怖!
この間『Fleabag』を観た。号泣した。主人公の過去のことから、今の状況から、いろんな感情が混じった涙だった。1日で全部観るとは思っていなかったのに、観てしまった。次の日寝不足だった気がする。そして目が腫れてた。
愛することについて掘り下げられそうなので、ちょっと書いていこうと思う。
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主人公のパパのセリフ。
お前を愛してはいても、常に好きではいられない
お前は人の愛し方を、誰よりもよく知ってる。だから人を愛するのが辛いんだな。
司祭のセリフ。
昨夜考えて、愛について語るのは難しいと気付きました。でも語ります。
愛は恐ろしい!恐ろしい!苦痛!そして恐怖!自分を疑ったり、自分を責めたり。周りの人たちを遠ざけたり、身勝手になったり。不気味になったり。髪型を気にしたり、残酷になったり。思いがけないことをしてしまうものです。
誰もが誰かを愛すると、苦しみます。自分一人では、耐えきれない苦しみです。
”人生は愛する相手を選ぶためにある”とかつて教わりました。直感に従って選べばいいから簡単だという人もいますが、私はそうは思いません。
選ぶには、強い意志がいります。弱ければ、愛は手に入りません。希望がなければ愛することはできません。しかし、こうも言えます。愛する相手を見つけた時に、希望は生まれます。
愛を実らせた御二人を祝福して、聖書からこの言葉を捧げます。強くあれ。心を雄々しくせよ。全て主を待ち望む者に。
司祭が神を選ぶのも、強い意志を持ってする行為であるし、神の存在によって生まれる希望にすがってこれから生きていくんだろうな、と。
ずれた解釈だけど、「人を愛することができた時に、自分は人を愛することができるんだなって思って、安心というか、そういう喜びを感じる」のも希望が生まれるって表現することが出来るんじゃないかなあ、と思った。
「愛は恐ろしい!」とは本当にそう感じた人じゃないと出てこないんじゃないか。
自分が何をしでかすか分からない、理性を失ってしまうほどになる。自分が分からなくなる。こうだったらいいのに!って思うのに、どうも出来なくて、苦しい。その葛藤が全部自分の中で起きていて、救いを求められない。愛さなければ楽なのにとさえ思ったりする。
選ぶというのは、他を選ばない/捨てるということだ。選択肢がない訳じゃないのだと思う。他を切り捨てて、それを選ぶ。確かに強い意志が無いと出来ることではないだろう。
愛する人、信じる人を見つける=自分の苦しみを共有する人を見つける
お互いに愛し合って、それまでの苦しみを共有して、救われて、これからを生きていく。
愛さなければ楽しいままで、苦しくもなくて、生きていけるけど。どうしても愛してしまう生き物なんじゃないかなあ、人って。感情が無ければいいのにって思うように、愛を知らなかったら良かったのにって思うようになってるのかもしれない。そうは思っていても、やっぱり知っている方が良いなって結論が出るのも含め、人として育ち生きていく以上、避けられないことなんじゃないか。
良いことも悪いこともあるし、むしろ悪いことばかりで、”それでも”素敵なことなのかもしれない。素敵なものだと思いたいのかもしれない。
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やはり難しい。
しっかりした恋愛をしたいと思った。選ぶことは他を捨てること。愛する相手が見つかって希望が生まれるのを期待している段階だけれども、いざとなったらちゃんとしたい。
めでたし、めでたし。と書いておけば何でもめでたく完結します。