生きるのってムズカシイ……

 「学校には行かなくていい」とか、そういった類の意見を聞くことがある。しかし、私は、一回、高校を中退して、通信制高校を卒業しているので、言いたい。ちゃんと、高校は卒業しておきなさい。高校で習う基礎(教科書の内容)は知っておきなさいと。それでないと、あなたは、ふつうではないけど、ふつう以下です。はっきり言って。しっかりした非凡というのは、そういった基礎をちゃんと持っています。
 ほかに、私は、学校に行かずに(全日制ではなかったので)、孤独にレポートを書いていましたが、やはり、社会的な能力が低下してしまいました。社会での生活能力はやはり、基本的に身につけておかなければ、大人になって、いろいろと、苦労します。そういうのは、うまく人と話そうとかではなく、スルースキルとか、怒らない、感情的にならないといった(感情的になって仕事をするのはビジネス上の損になります)、人間の基礎的な土台(危機管理能力など)でそれが出来上がっていなければ、社会に出て、それを身に着けるのは、なかなか難しいです。要するに、うまい逃げ方、戦い方を身につけておきましょうというお話です。
 うまく、話そうとか、お笑い芸人みたいに面白い話ができるようになるといったことはコミュニケーションではなく、社会生活において、自分が損をする状態に陥らないための技術だと思えばいいのです。そこのところを皆さん、勘違いしてしまっていると思います。そもそも、面白いとか笑える話なんて、できる人間は、そういません。別にお笑いなんて会社になくてもお笑いしに会社に来ているわけでもないのでいらないでしょう。そこで、うまくやっていけるようなコミュニケーション能力――例えば、愚痴をしている人たちのところにいかないとか――が本当は必要なんです。なんなら、必要なこと以外、しゃべらないとか私はそれでいいのではないのかとすら思えています。私、まったくもって、面白くないですからね。お笑い畑にいくと、そこは、かなりのキツイ道があります。言葉に気を遣ったり、面白いことを考えたり、と、とても疲れるのです。なにせ、お笑い芸人が面白いのは、同じお笑いのネタを100回とか、練習したり、常に面白いものを見たりと、ここでは全てを書けませんが、面白い話ができるというのは、特にプロといわれる人たちのお笑いは並みの訓練では再現できないのです。面白いなんて目指さなくてもいいんです。面白い話の得意そうな人の話を聞いて、面白いといって楽しめばいい。そんな、楽しみ方で私たちはいいんじゃないでしょうか。今なんて、こんな面白い人がいてなんていって、youtubeやらなんやらつけちゃえば、ウケるんですから。気にする必要まるでなし。

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