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5-4. 化学の基本法則

こんにちは、おのれーです。

前回まで少し計算ばかりになってしまって、頭がごちゃごちゃになってしまった方もいらっしゃるかもしれませんが、今回はちょっと一休み?がてら、今では当たり前になっている化学の土台をつくってきた人物たちの紹介をしていこうと思います。

■「近代化学の父」は、法学部出身の徴税請負人だった!

現在では「近代化学の父」とよばれているラボアジェは、実は法学部出身で弁護士資格を持つ人物です。また、絶対王政下のフランスにおいて、徴税請負人や手形割引銀行の総裁も務めました。

そんなラボアジェが「近代化学の父」と言われるのはなぜででょうか?

実は、ラボアジェは大学時代から科学研究に興味を持っており、徴税請負人をつとめるかたわら、フランス科学アカデミーで毎日6時間を科学の研究にあてていました。

その中で発見したのが有名な「質量保存の法則」です。

質量保存の法則とは、「化学変化の前後において、物質の質量の総和は変わらない」というものです。ざっくり言い換えると、反応前にある物質の重さを全部足したものと、反応後にある物質の重さを全部足したものは同じ重さになる、ということになります。

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そんなラボアジェですが、民衆から徴税をするという仕事をしていたために、フランス革命後、ギロチンで処刑されてしまいました。

しかし彼の業績は、彼の死後、長年彼の助手も務めていた妻のマリーによって「科学論文集」が編集され、1803年に出版されています。


■ブドウ糖を発見した、薬屋の息子プルースト

次に紹介するのは、プルーストというフランスの科学者です。ラボアジェよりも10歳くらい年下で、家業は薬屋という、当時化学実験をするにはもってこいの環境で育ちました。

プルーストは実験を繰り返す中で、鉱石からとり出した炭酸銅にふくまれる銅、炭素、酸素の比が、常に5:1:4であることをつきとめました。 さらに、天然に存在する炭酸銅と実験室で合成した炭酸銅とで、これらの成分が同じ比を示すこともつきとめました。

これが、「同一の化合物を構成する成分元素の質量の比は、つくり方によらず、つねに一定である」という「定比例の法則」です。

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どんな条件で実験をしても、結びつく元素の割合が等しいということから、のちにドルトンが「原子」というものの存在を思いつくきっかけとなりました。

プルーストはこの他にも糖類の研究者として知られており、ブドウからブドウ糖(グルコース)を発見しています。


■「原子」の存在を世に示したドルトン!

ラボアジェやプルーストの研究を、イギリスの科学者ドルトンは「原子」という粒子の存在によって説明しました。

ドルトンの「原子説」はこれまでも何度か登場しましたが、改めて確認してみましょう。

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「質量保存の法則」は、"化学変化の前後で物質の質量の総和は変わらない"というものですが、③に示されている"原子の組合せが変わるだけで、原子が新しくできたり、なくなったりしない"というドルトンの説明によって、理論的に裏付けされました。

また「定比例の法則」は、"同一の化合物を構成する成分元素の質量の比は常に一定"というものです。このことからドルトンは、④に示されているように、一定の重さをもつ原子という粒が、決められた数ずつ結びついて化合物ができていると考えました。

ドルトンが唱えた「原子」という考え方は、その後の化学の発展に大きな影響をもたらしました。

さらにドルトンは「原子説」と時を同じくして、「倍数比例の法則」というものも発表しています。

「倍数比例の法則」とは、「2種類の元素A,Bが化合していくつかの化合物をつくるとき、Aの一定量と化合するBの量を化合物同士で比べると、かんたんな整数比になる」というものです。

例えば、炭素Cと酸素Oの化合物には、一酸化炭素COと二酸化炭素CO2があることが知られています。このとき、同じ量(12g)の炭素に結びつく酸素の量は、一酸化炭素が16gに対し、二酸化炭素が32gと、ちょうど1:2の関係になります。

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これにより、より「原子」という一定の重さを持つ者どうしが結びついて化合物をつくっているのだということがさらに明確になりました。

ちなみにドルトンは、12歳で教会の塾の教師、15歳で学校の助手、17歳で教授となったそうです。私がその頃の自分を振り返ってみると…(以下略)。すごいですね。


■「分子」の存在を明らかにしたアボガドロ!

ドルトンが「原子説」を発表した後、フランスの科学者ゲーリュサックは、「気体同士の化学反応では、反応に関係する気体の体積比は、同温・同圧のもとでは簡単な整数比になる」という「気体反応の法則」を唱えました。

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ちなみにゲーリュサックは、実験器具としてよく用いられる「ピペット」という用語を世界で初めて使った人物でもあります。


しかし、このゲーリュサックの「気体反応の法則」は、ドルトンの「原子説」では説明がつかないものでした。

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そこで、イタリアの科学者アボガドロは、気体をつくっている粒子は原子ではなく、複数の原子が結びついてできた「分子」だという考えを発表しました。

そして、1811年に「同温・同圧・同体積の気体には、気体の種類に関係なく、同数の分子が含まれる」という「アボガドロの法則」を唱えます。

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最初はなかなかこの考え方は受け入れられなかったようですが、その後のいろいろな研究によって、彼の死後、ようやく正しいことが確かめられました。そして、ゲーリュサックの「気体反応の法則」も、分子の存在によって証明されることになったのです。

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今回はここまでです。

こうした昔の科学者の努力と発見が、今の化学を支えているのですね。そして、今の科学者、これからの科学者たちの研究が、さらに未来の化学を支えることになっていくはずです。名前が後世に残らなかったとしても、科学技術の発展のために努力を重ねた科学者たちの思いが積み重なって、受け継がれていくのですね。


最後にワンポイントチェック

1.質量保存の法則とはどのような法則か?
2.定比例の法則とはどのような法則か?
3.原子説とはどのようなものか?
4.倍数比例の法則とはどのような法則か?
5.気体反応の法則とはどのような法則か?
6.アボガドロの法則とはどのような法則か?

お疲れさまでした。これで5章も終わりです。次回からは6章に入り、「酸と塩基」について見ていきたいと思います。お楽しみに!

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