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論理的に調理して『センス』で決める~料理コラム~

消えた『不正解』

最近『分からないこと』を探すのが難しいと感じるようになりました。たかだか数年前の話ではありますが、私が料理を始めた時代には、奥深い知識が得られるコンテンツなんて存在しておらず、とにかく分厚い本を探し求めていたのに、今となっては何でもキーボードを叩けば出てきます。

昔では手を付けられなかった化学的な、生物学的な知識が、私達のような末端までいきわたるようになり、料理のハードルが著しく下がっているのでしょう。

もちろん世間一般に言われる『難しい料理』を作るのは、簡単になったとはいえ、実践してみると、頭では分かっていてもできない場合が多いです。実際に頭でわかっていることと、実際に出来るは、全く別次元の話です。

正解を求める意味はない

『分からないこと』を探すのが難しいと感じるようになった。と冒頭でも述べたように正解を導き出すことが当たり前の社会になりつつあります。しかしその正解の中には、幾重にも分かれた更なる正解への分岐点があることを忘れてはいけません。

正解が分かるのが当たり前で、正解を探す議論だけではなく、どの正解に落ち着かせるのかを議論するフェーズだと思っています。そのような意味では、人類は一つ進化を遂げたのだと実感しています。

【例】あなたはどれを選択しますか?

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線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。  この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?

勿論、この問いに※正しい答えはありません。このような『人によって違う正解』に対して、世間は一つの解を求めがちだったりします。

論理的思考の使い方

論理的に思考して、正解を導き出すのは悪い事ではありません。なにせ私自身も理屈っぽく論理的思考を好んでいます。しかし使いどころには気を付けているのです。

論理の意味:考えや議論などを進めていく筋道。思考や論証の組み立て。思考の妥当性が保証される法則や形式。「論理に飛躍がある」

論理とは、つまり仮定のことを指してます

論理的に考えるのは、結果に対する道筋を最適化する為の手段であって、実際の結果とは直接的に関係しているものではありません。『〇〇だから○○です』と論理的に説明をすれば、説得力があるものの、それによって得られた結果は、人によって全く違った解釈になりえるのです。

何故このようば議論を持ち出したかと言うと、これは料理をする上で非常に重要な考え方であると自負してるからです。

論理的に調理して『センス』で決める

仕上げ時間の短縮に重きをおく料理が多くみられる『中華料理』や『イタリアン』のパスタ等と比較すると、フランス料理は仕込みに対する時間が、圧倒的に大きなウエイトを占めます。

これが意味するのは仮定を占めるウエイトの大きさです。つまり論理的思考によって最適化する余地が大きいことを示しています。

『正解が一つではない』と前置きしたうえで、フランス料理を作るときに重要なのは、いかに論理的に考えて調理するかです。そしてどこに正解を持っていくかは、『センス』で決めるのです。

もちろん料理は化学でもありますが、芸術でもあります。この相反する二つのバランスを調和させることが、一番難しいポイントであり、醍醐味でもあると実感しています。

・味
・香り
・見た目
・温度
・触感

これらの複合的な要素を、芸術的な要素と、混ぜ合わせることは非常に難しいと思えます。そして料理は芸術か?と聞かれれば、芸術の部分も多くあるがそれだけでは決してないと言えるだろう。

味や香り、見た目、すべてが複合したうえで芸術と呼ぶ人がいるかもしれないが、味や香りを演出する為に必要な要素は、芸術とは相反する化学・科学であり、芸術性をもとめるのであれば、料理である必要性はあまり感じていない。芸術を極めるのであれば、食べ物である必要は全くないだろう。

無駄か否かを考える『無駄な思考』

無駄なことを真面目にすることこそ、人生のだいご味だと考えます。その行為が無駄かどうかを考えること自体がナンセンスだと考えています。

人生に幸福度を求めるなら、結果だけを求めずに仮定を楽しんだ方が良いでしょう。結果を求めた場合は、達成した瞬間しか幸福感は得られず、達成した瞬間に次ぎの結果を求めてしまいます。

『正解する事が当たり前』の世の中で、それを論理的に説明することに消耗するのではなく、どの正解に落ち着かせるのかを楽しみ、その方法を論理的思考で最適化するのです。

あなたの正解に対して、多くの批判が集まったとしても、その正解にたいしての論理を最適化できていれば、だれが何と言おうと反論の余地はないでしょう。

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