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45回目の誕生日。ソフトロベリア洗顔法(健康法)に対する私の思い、感謝、継承

4月15日、今日は私の45回目の誕生日です。健康、ヴィーガン食に興味を持つきっかけとなったソフトロベリア洗顔法について、ここまで生かして頂いた感謝の意味もこめて、書いてみたいと思います。

救われた粉石鹸ソフトロベリア


 
今から16年も前の出来事です。
「あなたのそれ、なんとかしようね。大丈夫だからね」
 
私の第二の人生はこの言葉から始まりのような出来事を書いてみようと思います。それはまた私が健康、食に関心を持つようになったのもここから書くエピソードがあってのものです。

私の人生の再スタートは、恩人と初めて出会った時に頂いた、この言葉から始まったようなものです。「あなたのそれ、なんとかしようね。大丈夫だからね…」当時、特に顔から首にかけてアトピー性皮膚炎で私の皮膚はボロボロで、周囲の人が目をはばかる程、無残であったと思います。
 
恩人にお会いする前の10年間は、皮膚科をとっかえひっかえ、一向に良くならない皮膚炎に悩み続けた日々を、ただただ悶々と過ごしていました。
とにかく地獄のような日々でした。私だけではなく、そんな私を見ている家族も同様に辛い日々を過ごしていましたと思います。ですが、家族は私の快方を願っていても、私自身、家族の期待に一向に応えられない事が、自分の身体の辛さよりも、ずっと辛かった記憶があります。
 

当時、他に頼るものも無かった私は、恩人の「治してあげる」その言葉を心の底から信じてみることにしました。それが今は亡き竹島健児氏が考案したソフトロベリアという粉石鹸を使った洗顔法「ロベリア洗顔法」というものでした。それをその恩人がたまたま持っており、竹島先生と知り合いであり、紹介してくださったのです。私は指の先から関節部分、そして顔にいたるまで、その石鹸を使ってゴシゴシ洗いました。毎日毎日1日3回、3週間ぐらい洗い続けたでしょうか…。
 
日に日に良くなっていく私の皮膚。そのたびに嬉しくなっていく。そしてついに3か月で完治し、15年経った今も全く再発はせず、健康体を保っています。30歳の時に、自分自身の家族を持ち、子供を授かる事が出来ている現在の生活も、この私の実体験があってのものだと思います。
 
しかし現在、この魔法の粉ソフトロベリアは、竹島健児氏のご逝去により、市場に出回っていないのが現状です。作れる人もいません。
 
若干、私の手元に残っている、極々僅かな商品サンプルと全成分表が手元にありました。それを元に何とか復刻して、当時の私のように困っている人に提案することが、それが二人への私の恩返しだと考えております。またソフトロベリアの復刻を望んでいるファンが多くいるのも現状です。
 
「Pay it forward」という言葉があります。映画にもなりましたので、ご存じの方も多いかと思います。これは「他人から受けた善意を次の人に繋ぐ」という意味です。私が恩人と竹島先生から受けた善意を次の人に繋ぐのは私の使命であると感じています。
 


16年前、私が病んでいたころ、私が恩人と竹島先生に救われたように、私も特に皮膚炎、不定愁訴に悩む人々の身体をアップデートするお手伝いをしたいです。そのサンプルの第一弾がようやく先日完成しました。完成まで一歩一歩、進めていきます。
 
45歳、誕生日の誓い…も込めまして。

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