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ホーチミンの街を歩いて

ホーチミンに来て驚くのはまずバイクの数だ。大通りの2車線のうちの半分はバイクが占めていて、何なら車の方がバイクの合間を縫って走っている。車が通れない狭い路地でも、バイクはそこそこのスピードで行き交う。いったいどこからこんな数のバイクが湧いて出てくるのか、どこに行くのかといったことを考えたりもするが、よくよく考えれば、次々と人が湧いては3分おきの電車に乗り込んでいく新宿駅の山手線ホームも大概かと思い直す。

これだけ交通量が多い割に信号は少ないし目立たない。だからと言って、みんなが無秩序に自分勝手に走っているかと言うと決してそんなことは無い。運転手は道路の流れ、脇を歩く歩行者、反対車線など、周囲を注意深く見ながら運転しているようで、歩行者や対向車線に行きたいバイクがいれば、その都度避けたり減速しながら運転している。街なかを歩いていても事故を目にすることはほぼ無い。信号について言えば、100%守られている訳ではなさそうで、赤信号でみんなが止まっているところからのそっと動き出すバイクや車を時折目にする。もちろんそれについても、前を走る車が無いから進んでも問題ないだろうという判断のもとで信号無視をしている様子なので、そういった意味ではきちんと道路状況をよく見ながら運転していると言える。

私も、最初は道を渡るのにも一苦労したが、街を散歩してるうちに、往来の多い道でも問題なく渡れるようになっていった。コツは急に止まったり逆走したりといった、変な動きをしないこと。そうすれば速度を緩めてくれたり、歩行者を避けたりしながら走ってくれる。慣れて来るとそれはそれで気分が良い。モーゼみたいな気分になれる。日本でやったらクラクションを鳴らされまくって大顰蹙を買うこと間違い無い。

ちなみにクラクションについてはホーチミンではいたるところで響き渡っている。おそらくだが、そんなに危なく無くても鳴らしている。なので意味合いとしては、「ここにいるよ〜、気づいて〜」といった感じのような気がしている。日本のように「危ねえぞゴルァ」という程のものではなさそうだ。まあその結果、うるさいことは確かで、大通り沿いには住みたくないし泊まりたくもない。

交通事故は一度見た。お菓子を歩き売りしているおっちゃんと、少年が運転するバイクが接触した。おっちゃんが売る商品は道上に散乱しバイクは転倒して傷がついていたが、2人とも大きな怪我はしなかった様子。2人は道路脇で5分ほど睨み合ったり言い合ったりしたが、それが終わると散開した。私はその一部始終を、道路に面した飲食店から見ていた。一緒にいた現地在住の日本人によると、事故の原因はおそらくおっちゃんが変な動きをしたことのようだ。そして、もしこんなことで警察に連絡をしても、相手にしてくれないということだった。事故が起こってから10分後にはその形跡は全く見えなくなった。

道を歩くにも、バイクで走るにも、危ないかどうかを最終的に判断するのはあくまで自分自身の目であって、信号や交通ルールなどといったものが絶対では無い。聞くところによると、バイクに関しては免許制度はあるものの、持たないで乗っている人が3分の1くらいいるのではないかということだ。それでも街の大半は問題無くまわっている。

ベトナムには「国王の法も村の垣根まで」という諺がある。これは、規則に人を当てはめるのではなく、顔の見える繋がりや関係性に重きを置いているということではないかと思う。そう言うと良い風に聞こえるが、警察や公務員などのうちで賄賂が横行していて、そもそも彼らの給与形態もそれを前提として低い水準になっているらしいので、一概にこうと判断することはできない。

ベトナムの経済成長は著しい。発展とともに交通ルールをきちんと作って運用するという流れになっていくのだろうか。そうなると、この雑多な街の様子やベトナム人を取り巻く慣習などもだんだんと変わっていくことになるかもしれない。今の当たり前が、別の当たり前に移り変わっていくというのは、あらゆる時代と地域で起こっていることだ。このベトナムではそれがどんな風になるのだろうか。通りを行き交うバイクを見ながらそんなことを考えた。

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