命の尊さを感じる。ただただ生きよう。
突然ですが、先日、実家の父方の祖母が亡くなりました。
やっと告別式まで終えて、一段落。
それまでに思ったことを、つらつらと書きとめておこうかと思います。
命って突然消えるよね
祖母は、97歳で亡くなりました。
うちの実家はもともと、私の両親・私・弟の核家族で暮らしていました。
私の父は長男でしたが、仕事の都合で祖母宅から離れて暮らしていたのです。
祖父が亡くなってからも、祖母はずっと一人暮らしでした。
何年前かは忘れてしまったのですが、いよいよ1人で暮らすのも心配だ、祖父母の家もどうするか?となり、祖母は私の両親と暮らすようになりました。
転んで怪我をしてから、入院したり介護施設に移ったり・・・。
今年の6月、具合を悪くして一時は危篤状態だったのですが、奇跡的な回復具合を見せてくれて、自分で腕を動かしたり頷いたりするまでになりました。
病室も大部屋になり、“100歳を目指してもらおう”と周りは応援していたんだけれど。
私は知らなかったけれど、最近また具合が悪くなっていたようで・・・。
父親から訃報の電話をもらった時には、全く予期していなかったのでびっくりしました。
人の命が尽きるのって、どこで決まるのだろうか?
何かに決められているのかな?
97歳の祖母でこんな気持ちなんだから、元気だった人やまだまだ小さい子どもが亡くなったら・・・とか、事件とか事故とか不慮の形で亡くなったら・・・とか考えると、想像を絶します。
到底受け入れられない。
悲しむ暇はない
人が亡くなって驚いている間に、悲しむ暇を与えずに次々にやることが迫ってきます。
私は孫の立場なので、両親の様子を見ているに過ぎない部分ばかりですが。
葬儀場を決め、祖母を送ってもらいました。(家が狭いので自宅に戻らず直接運んでもらいました)
その後すぐに、葬儀場の方と日程や葬儀のプランを考えたり、各方面への報告の仕方を考えたりしていました。
引き出物の量とか、どのくらいの人が参列しそうかとか、予想をつけるのすら難しいし。
今回は家族葬でした。
田舎なので、普通の式でしたら隣組の手伝いなどをお願いしたりと、更にやることが増えるでしょう。
遺影の写真も「できれば、今日いただけたらありがたい」と言われ、午後の打ち合わせまでの短い時間で母親と実家の写真を探しに行き、即選びました。
母が祖母を連れて出歩くことも多かったので、それなりに写真はあったのですが、選ぶのが難しいですよね。
生前に自分の遺影写真を撮る方がいるのも、理解できます。
式場で流す「思い出映像」用に、スナップ写真も選びました。
これはゆっくりめの提出でしたが。
初日はこんな感じで、祖母の顔をゆっくりと眺める暇もほぼ無く、過ぎ去りました。
次の日からは、実家の片付け。
隣組の手伝いはないので、みんなで実家に集まることはなかったですが、仮の祭壇を置く場所の確保をしなければいけないので、和室を中心にお片付け。
そしてその前に、和室の物を移動するためのスペースがほしいので、2階の部屋を片付け(笑)
人のことは言えませんが、うちの実家、物が多すぎるのです(^_^;)
私が置き去りにしていった物達を、ある程度処分しました。
まだ整理しきれなかったけれど。
終活として自分の荷物を減らしておくって、大切だなと思いました。
私もあまり物を増やさず(←欲しいものは即買うのは誰⁈)、定期的にいらない物は捨てる技術を持ち合わせたいと思います!
いろんな人のつながりが見える
普段は仕事もせず好き勝手に生きているので、家族以外とのつながり希薄気味で生きています(>_<)
でも、こういう時はやはり血のつながりであったり、祖父母の兄弟や遠い親戚の話だったりが出てきます。
両親の友人もお線香をあげに来てくださったり。
正直私は、祖父母の兄弟が亡くなっていれば、そちらの家の方が“うちでお香典いただいているから”とかのやり取りは正直面倒だからなくていいのに・・・とか思う派なんだけれど。
あと職場のやり取りとかも。
現状は無くてスッキリです。
想いがある方々でやり取りできれば、それが1番なんじゃないかな・・・と、つい思ってしまう。
(ある意味、想いがあるからいろいろ悩むのでしょうが)
そして、ここ数日でいろんな人と会うことで私が思ったことは、人の話を聞くのって面白いなと再確認したことです。
まぁ、話す人自体が面白いんだろうけど。
祖母との思い出を話してくれたり、おもしろおかしく自分語りをしてくれたりするのを聞いて、楽しませてもらいました(^_^)
やはり私、人見知りのくせに人に興味があります。
やっと悲しむ時がきた
8月って、結構亡くなる人が多いのでしょうか?
季節関係なく、高齢化社会だしね。
葬儀の予定が立て込んでいて、亡くなってから5日目のお通夜・6日目の告別式となりました。
告別式の朝。
葬儀場でのお別れの儀式。
ここがやっぱり、悲しさを実感する・・・。
動かなくなってしまった身体を棺に入れた姿で毎日見ていたけれど。
棺の蓋を開けて、お顔の周りにきれいな花を並べていく時間・・・。
もう、ずっと前から生きてはいないんだけれど、おばあちゃん・・・今どんな気持ちなんだろう?
この肉体がなくなってしまうって、やっぱり切ないよね。
そして火葬場に移動。
最後のお別れをして、1時間ちょっとで火葬が終わった。
心拍や呼吸がなくなる瞬間は見ていないから、この時間が1番辛い。
肉体がなくなって、骨だけになってしまった。
人間は目に見えるものに囚われてしまうから、お骨になった姿で亡くなったことをより実感してしまう。
父親も、この時が1番悲しそうだった。
いくら97年生きたとはいえ、母親が亡くなることはやっぱり辛いものだよね。
いろんな気持ちが込み上げてきて、斎場へ向かうバスの中で自然と涙がこぼれてしまった。
隣に座っていた小学生の息子が、私の涙に気付いてそっと拭ってくれた。
優しい息子の姿がありがたい。
ポンポンと私の頭をなでて、励まそうとしてくれた。
おばあちゃんへの手紙
告別式では、孫代表として「お別れの言葉」の手紙を読んだ。
おばあちゃんへの感謝の気持ちと楽しかった思い出、伝わったかな?
ただ、本当はもっと伝えたいこともあったんだよね。
ああいう場では、使っちゃいけない言葉とか言うべきでない出来事とかがあるから。
ちょっとだけ、ここで付け足したい。
おばあちゃんは、戦争の時代を経験した人。
10代後半くらいかな。
私が小さい頃は、よく戦争の話を教えてくれた。
食べるものは無いし、その辺の草も食べてたって言っていた。
上空をB29が飛んでいるところを見たし、近くの町に爆弾を落としていったんだって。
私達にはわからない、戦争の時代。
そこからどんどん文明や技術が栄え、昭和・平成と過ぎ、令和の時代まで生きたのだから・・・。
その環境の変化たるや、ものすごいですよね。
よくぞ生き抜いたと、褒め称えたい気持ちです。
あとは、とっても優しくてかわいらしいおばあちゃんなんだけど、意外な一面もありまして・・・。
祖母の家は実家より更に田舎だし、囲炉裏やかまどもあるような古い家だったから、ネズミが出ることもあって・・・。
そしたらばあちゃん、火鉢用の鉄でできた長~い箸で、ネズミをぶっ叩いてやっつけていた!!(゚Д゚)
昔の人は、ほんとに逞しい(笑)
ネズミは“人様の食べ物を食べる悪いヤツ”だからね(^_^;)
とにかく、私は祖母が大好きです(*^_^*)
そんなこんなで、無事に告別式・納骨まで済ませ、一通りの出来事が終わりました。
まとめ
私は祖母が亡くなる前から、時々“生きる”とか“死ぬ”とかのことを考えることがありました。
人が死ぬって、物理的には心臓と呼吸が止まった時だとは思いますが、別の見方ではちょっと違う気もしています。
私は、人が死んでも魂は残るのではないかと考えていて、正解はわからないけれど、何らかの形でこの世にずっと生き続けるのかも・・・とも思っています。
仏教的には、四十九日を過ぎて極楽浄土へ旅立つらしいですが。
ただ、やっぱり目に見える形で、この肉体をもって生きていることの尊さも感じるので、いくらでも長生きするのはありがたいことだし、親孝行にもなるのではないかと思います。
あとやっぱり、人の価値はみんな同じだと感じます。
自分を含め人間は愚かな生き物だから、持っているものやしてもらったこと、やり遂げたことなどで、自分や他人の存在価値を感じようとしてしまう。
でも、本当は生きているだけで十分に価値があるのだと思います。
だから、“生きるのが辛い”という人がいたら、本気で「そのままで大丈夫、ただただ生きよう」って言ってあげたい。
(このへんの価値観について腑に落としたい方は、マガジン・有料記事をご覧になってくださいね。ついでに日常の悩みはほぼ消えます。)
祖母が生きた証を自分の中に刻み込んで、家族や身近な方々と共有して、いつまでも祖母のことを忘れずに生きていきたいと思います。
ここまで読んでいただいた方がいらっしゃいましたら、本当にありがとうございました。
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