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🔶私の好きな奈良:空海の遺した足跡

奈良国立博物館で、2024年4月13日から6月9日まで、生誕1250年記念特別展をやっています。
私も行ってきました。

偉人だとは習っていたけれど…

小学校から教科書に出てくる歴史上の偉人で、「弘法も筆の誤り」の言葉にあるように、弘法大師として知られています。ところが、弘法大師というのは諡号(生前の業績に対し死後に与えられる名)の様で、筆を誤った時は「弘法」ではなかったということでしょうか。
まあそんなことは枝葉末節ですが、つまりは空海のどんなところが偉人と評される理由なのでしょう。

遣唐使で高僧・恵果と運命的な出会い

讃岐国で生を受けた空海は、官僚候補生を養成する大学で学んでいました。修学に悩んでいたある時、記憶力増強効果があるとされる修行を勧められ行っていたところ、効果が現れ虚空蔵菩薩が来臨したという体験をきっかけに、仏道に入ることを決心したようです。
804年、31歳で第16代遣唐使留学僧として唐に渡りますが、直前に東大寺戒壇院において得度授戒し、滑り込みで国家に認められた僧侶として遣唐使の一因に加わったと言われています。

密教というのは、祖師となるインド人僧侶により直接に思想、経典が中国に持ち込まれ漢訳されたものです。根本経典には大きく二系統あり、善無畏(ぜんむい)によって漢訳された大日経と、少し遅れて金剛智(こんごうち)により伝えられた金剛頂経があります。いずれもそれぞれ現世成仏、現身成仏のための実践方法を説くものですが、中国西域の出身である不空が金剛智の弟子となり中国の護国の担い手として重用された後、不空の弟子である恵果阿闍梨が両系統の思想を整え、胎蔵界、金剛界の両部密教を確立しました。

805年、その密教の最盛期とも言える時期に長安に入った空海は、青龍寺において恵果と運命的な出会いを果たすことになります。

老齢の恵果は、教えを授けるにふさわしい人物がいないことを憂いていましたが、空海に会うなり「あなたの来ることを待ち望んでいた」と言い、後に唐で教えを伝える義明(ぎみょう)と空海の二人のみに両界の伝授を行いました。空海はわずか3ヶ月という短期間で全ての教えを理解し、死去した恵果の遺志を継ぐため、20年間の滞在予定を大幅に短縮して、わずか2年で特別に願い出て帰国しました。

密教を日本に広めるための活動

帰国後、空海は朝廷に成果報告書を提出しています(上新請来経等目録表:東寺所蔵の「弘法大師請来目録」、今回の特別展で展示あり)。
その中で空海は、国から派遣された本来20年の留学期間を、わずか2年で帰国したというのは大罪であるが、自分が学んだ密教は、インドから直系でもたらされた仏教の真髄で、既に日本に伝わっている仏教とは大きく異なること、中国でも護国のために用いられているより優れた教えであることを強調し、これを日本に広めたいと熱く記しています。

密教は、言葉だけでは伝えられない秘密の教えとされ、空海はその世界観を目で見て理解せよと説いています。これを可視化させたものが、密教のほとけが取り囲む曼荼羅の空間です。今回の特別展では空海が制作に直接かかわった現存唯一で最古の両界曼荼羅である高雄曼荼羅(京都神護寺)が、修理後初の一般公開として展示されています。

このほかにも、密教、空海に関連した貴重な資料の数々が多数展示されており、非常に見ごたえのある特別展となっています。残り期間僅かとなっていますが、是非足を運ばれては如何でしょうか。

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