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「音と言葉の武道」としての日本語ラップ
子供達や青少年が合気道を始める様にラップを始める世の中が来ても案外良いんじゃ無いか?そんな風に突然思い始めました。確かにヒップホップはカウンターカルチャーなので相応の悪影響も当然あるのですが、そんな俗世の汚い部分まで包み込んだ文化だからこそ、人を育ててくれる面もあるのは事実です。
ラップは音と言葉から成り立っていますが、歌と違ってよりハッキリと言霊やその人の覇気が影響して来ます。言葉がメロディの添え物では無いからか、誤魔化しが効かないのです。
そして、競い合いがあります。今となってはラップの競い合いの基準はもっぱら売上や再生回数ですが、昔は同じビートの上で誰が一番かませるかを競い合う時代もありました。これは即ち、意見が違う者同士が正々堂々ぶつかり合える事の喜びなのです。異なる者同士が、同じ場所に立っていられるのです。
そして、自分なりの個性の探究があります。たった一つの正解があるのでは無く、自分だけの道を進む必要があります。ですがその途中で師に出会い、薫陶を受けたりもします。
これらの特徴が、心技体を追い求めながら成長して行く武道と通じる様に思ったのです。
ラッパーじゃ無い、ミュージシャンだと言ってしまえばそれまでです。しかし、ラップスキルを追い求める者はそれでは満足しません。ラップスキルを追い求める者が欲しているのは、評価よりまず自由なのです。
どんなビートの上で、どんな跳び方だって出来る。誰にも、何にも、自分の身体にさえも縛られない、空を飛ぶ鳥の様な自由を求めてスキルを磨くラッパーも少なくないと思うのです。
ラップを通して音と向き合い、言葉と向き合い、自分の身体と向き合い、心と向き合う。全ては一つに繋がっています。
自分の心の奥の仏様を見つけ出して、その光をラップにしてリスナーに光と熱を届ける。これは実践的なスピリチュアリズムでもあり、武道でもあると思うのです。
僕はその様な武道としてのラップ、そしてヒップホップを日本でやって行きたいと思う様になりました。コーチングや資料作りも、そのお役に立つ為でありたいと思うのです。
どれだけの方が支持して、付いて来てくださるかは分かりません。ですが、何回も考えた末の結論はこれでした。
実際、ビジネスとしてのラップゲームにラップの技術それ自体はそこまで必要ありません。わざわざテクニカルな事をやらなくても、皆んなが求めている歌詞を皆んなが求めている音で曲にし、皆んなが求めているアーティスト像を演じ切って歌えば人気は出ると思います。
しかし、その為だけの技術では無いのです。僕達はただ、鳥の様に空を飛びたいのです。ただ自由自在に言葉を操り、本当に心の中に抱いた思いを、人々を陶酔させる魔法の音色に変えたいだけなのです。僕はその為のビジネスをやります。これからも、何卒よろしくお願いいたします。
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